人の幸・不幸を勝手に決めるな
ある記事を読んだ。
不健康な人の導きを乞うな、という内容。
治療中内服中の人には人の相談を受ける職につく資格がない、という。
非常に、気分が悪かった。
以前から、そういう論調を見ると、気分が悪かった。
自分が幸せでない人に人を導く資格はない。
これ、概ね賛成だけど。
健康についてだけは、一概にそうだと言えない。
私は。
なぜなら。
非常に大きな難病を抱えて死に瀕したことも幾度もある。
そんな人が大勢の人を導いたことを実際に経験している。
彼は、自分は決して不幸ではなく、むしろ病により得られるものを享受している、といつも言っていた。
でも、あなたはそんな体なのだから幸福であるはずがない…と、まるで誘導するような質問をしょっちゅう受けていたようだけど。
他にも、生まれつきの心臓病を抱えながら、見える力を活かしてアドバイスしていた人も知っている。
まだ若かったけど、ロクでもない大人よりよっぽどちゃんとしてた。
彼も、自分は幸福だとと断言していた。
仮に、彼らが実際には不幸を感じていたとして、立場的に、幸福であるというしかないじゃないか…というひねくれた見方をするのであれば。
そういう見方しかできない人なんだね、と、残念に思うしかない。
むしろ、そういう見方しかできない人にこそ、人にアドバイスする資格はないとも思う。
その人が不幸かどうかを健康であるか否かで勝手に決めないでほしい。
健全な精神は健全な肉体に宿る。
という標語は、私は嫌いだ。
というか、この言葉を利用する人が嫌いだ。
(注:ただし、この言葉は誤訳である。本来の意味とは全然違う訳が広まっている)
それは、理想的なごく一部の人にのみ当てはまるものだ。
だいたい、完全に健康な人間なんてどれだけいるというんだろうか。
「健康でないことを理由に不幸になっている人」には、人を導く資格はない。
というなら、賛成だ。
不幸な自分でいるために健康でないことを選び続ける人、というのは実際にいる。
が、それは、
「病と付き合っている」というよりは、「むしろ自慢げに誇張する」
あるいは
「人を、不幸の渦に引き込もうとする」
言動があるので、少しつきあえば判別できる。
仮に、そういう人が他人を導く立場であろうとしているのであれば。
それは、問題外だ。
むしろ、「やめなさい」というよりは、「ご自由に」と私は思う。
そこに集まるのは、同じように、不幸でいたい人だと思うからだ。
不幸でいることによって、人の注目を集めようとする輩であると思うから。
そういう人らは、むしろ、同類で寄り集まってくれれば他に行くこともないからいいかも…とすら思う。
また、同じように。
病と付き合っている人、付き合うことになった人に向かって
「あなたの○○が病気になって出ているんだよ」
などのことを平然と言う人が嫌いだ。
よくそんなことが言えると思う。
仮に、全快した後で、「こういうことは、○○が作用していることもあるんだよ、だからこれからは気を付けてね」のように建設的にもっていくならば、話はわかる。
病の告知を受け、これからどう付き合うか闘うか…という段階の人に向かってそういうことを平気で言うヤツは地獄へ行けと思う。
未消化の感情が凝って病を生む…とか。
そういうことは確かにあると思う。
が、それを、そのタイミングで言うべきなのかどうか、判断できないのが恐ろしい。
いや…むしろ、「だからこそ、言う」のだろうか。
不幸をまき散らすために。
オマエら、悪魔か。
悪魔が気を悪くするかもな。
※Facebookに投稿した内容に加筆。