【ハウスDIY進捗】屋外収納スペース着々進行中&室内初稼働!
屋外収納スペース、順調に進んでおります。
まず、床部分。
↓
↓
↓
古材を使っているので、ゆがみも出ていて、なかなか大変なところもあったようです。
壁と屋根。
↓
↓
裏側
室内は、今日から私が作業を開始。
パンチングボードの引き出し棚の上の板にアームを付けて、iPhoneで定点撮影できるようにしました。
カメラの目からは、こんな感じです。
茶色い丸いものは、簡易的な手回しろくろです。
まあ、そんな立派なモノではなくて、「回転台」って感じですね。
でも、簡易でもなんでも、これがあるとないとでは効率違うからねー。
ここで作陶までやる、ってなれば、手回しろくろ欲しいですけど。
まあ、当面はいいかな。
机は折りたたみなので、移動も収納もできます。
机の場所は、その時にやる内容で違ってくるので、大きな重い作業台よりも使い勝手はいいかと。
この机は、以前に別に仕事場を借りていた時に買ったもののリサイクルです。
もう一台、同じような大きさの折りたたみ机があるので、もう少し広い作業台が必要になったり、仮置き場が欲しい時は出してこようと思います。
今日は、ここで、小さめのひょうたんを二つ、ライトを入れる開口部を作るなどの下準備をしましたが。
集中できていいですねー。
入り口のガラスにはUVカット&直射日光避けのフィルムを貼ったし。
窓は北側だから、今の季節は実に、快適です。
まだ網戸がないので、窓開けておくと虫入ってくるのが玉にキズ。
もうすぐ、蚊の季節だしなあ。
前回まで
【ご案内】
5月、6月期間限定セッション
【内なる龍覚醒セッション】は、限定25名まで、お申し込み5月31日必着。
このセッションを受けた方、これから受ける方に特化した「内なる龍の肖像画」オーダー制作いたします。
詳細はこちらの記事で。
★外部サイトからも読者登録できます!→
毒舌であろうが穏やかであろうが、肝心なのは批判のスタンス
書き方が毒舌か穏やかか、というのは関係ナシ。
人の批判をする、という時の姿勢が、結局は「相手を貶め、自分やその身内的関係者を賞賛する」ところに意識があると、いくら「正論」や「破綻が少ない」述べ方をしていても、逆効果になることが多い。
…というのが、最近ほんと、しみじみと感じていること。
毒舌こき落としの場合は、相手をとことん落としたいということは素直に見える。
穏やかな書き方の場合は、その素直さも見えないだけに、より気味が悪く感じることが多いのだな…と、これも最近よく思うこと。
だから、言葉はキレイでにこやかで柔和なんだけど悪意が滲む系の人に、すっごい薄気味悪さを感じることが多いのかも。
片方が完全に正しくて、もう片方が完全に間違っている…なんてことは、そうそうない。
毒舌だろうが穏やかだろうが、やってることは批判に違いない。
「自分が正しい!」ということではなくて、「自分の意見はこうだ」…というのを主にすれば、たとえ意見が食い違った相手とでも、それなりに話を進めることはできる。
と、私は思っている。
今までも、そういうことはたくさん、あった。
だけど、たとえキレイで穏やかな表現でも、相手が間違っているのだから正すのだ、というスタンスで述べていると、話会う余地もない。
まあ、そういいながら、自分がそうできてるか…って言ったら。
笑うしかないけどね。
昨日の夕暮れ空
【関連記事】
毒は自分にも回っていく 毒に己の価値を汚染されないために - 緋呂の異界絵師通信
【ご案内】
5月、6月期間限定セッション
【内なる龍覚醒セッション】は、限定25名まで、お申し込み5月31日必着。
このセッションを受けた方、これから受ける方に特化した「内なる龍の肖像画」オーダー制作いたします。
詳細はこちらの記事で。
★外部サイトからも読者登録できます!→
毒は自分にも回っていく 毒に己の価値を汚染されないために
上のリンク先は、レジンアートらむねさんの記事。
らむねちゃんは、すごく尊敬している作家さん。
上の記事で、最近私もよく考えていることが、きっちりわかりやすく書かれていたので、引用させてもらう。
なぜなら、それを書き続けていると「誰かの話を書く事が主な目的」になってしまうから。
一番大切なのは「毒を吐き出す事」などではなく
「良い物を作る事」だと思うんですよね。
私はまだまだ、吐きたいときに吐きたいように吐いているけれど。
それでも、ここ最近はぐっと、そういうことは減った。
そもそも、ここに吐き出したいという欲求が、すごく低くなった。
「そのことをずっと考え続ける」ということが、困難になってきたので。
脊髄反射でムカついたことを書き殴るって、それはそれで集中力がいる。
今もう私は、そこにエネルギーを注げなくなった。
ムカつくことは相変わらずあるけれど。
わざわざ書いて何になるのかな、っていう感覚の方が強くなってきている。
それでも、書きたい時はあるので、そういう時は遠慮無く書くけれどね。
らむねちゃんが書いているのは、真理だ。
私も知り合いにはクリエイターやアーティストが多いのだけど。
とにかく毒を吐きまくる(もっとも本人にとってそれは毒ではなく、あくまでもその人なりの正論…なのだけど)人の記事を見ていると、実際の作品が「それほどでもない」ことが多いと、気がつくんだよね。
以前は私、読む側としても毒舌記事を楽しんだから、どっちかというと吐くブロガーの方を多く読んでいるのだけど。
それも、最近では、記事にこもった怨嗟の濃さや度合いがあんまり濃厚だと、読めなくなってきた。
書くのが仕事の人は別。
また、書く仕事以外でも、らむねちゃんがリンク先の冒頭で書かれているように、当てはまらない人達は、いる。
そして、クリエイターやアーティストは、「そんなことよりモノはどうした」というのが、やっぱり本筋だと私も思う。
もちろん、いろんな絡みでほいほいとブログにモノを載せられないということはあるだろう。
それでも、作っているモノもスゴイ人というのは、やっぱり、書いていることにもそれが出てくる。
作品をちっとも更新することなく(進歩の跡もよく見えないし)毒ばかり吐いているな、っていう作り手のみなさんは、エネルギーのムダ遣いというか、漏れを放置してるというか…。
仮に、それが正論であっても…だよ。
そんでもって。
毒を吐く機会が減ったり、濃度が薄まったりしている(と自分では思っている)私のブログは、頻度が高く濃かった頃に比べると、明らかに、アクセス数は落ちている。
けれど。
毒を楽しみに来る人達に支持されて、それが嬉しいか?って思えば。
別に、アクセス減ったっていいじゃん…と、思う。
毒ばかり吐いている作り手
(何度も言うが、書く仕事の人は別。書く仕事の人は、毒吐きも仕事の一環だから。私の神社参拝が仕事の一環であるのと同じ)
に、今は私は、ほとんど魅力も感じない。
そういう人の何人かは、とうの昔に読むのをやめてしまったし。
総じて、作っているモノ自体にも、興味が持てなくなったケースが多い。
毒は、少量ならば効果が出る。
ただ、自家中毒を起こしているようなクリエイター/アーティストは、作るモノのエネルギーが粗悪になりやすいから要注意。
他人の動向に浸食された自分の感性を、毒というカタチで吐き散らかす。
いつまでそれをやり続けるの?
自分には確固とした芯がある…と思っている人ほど、他人の動向でブレブレにブラされてるのにね。
そんなにまで強烈な毒を吐き散らかさないといられないって、それ自体が「他人に浸食されている」証拠なんだけどね。
昔は、私も、そこがわかってなかったね。
もっとも。
他人さまから見たら、私は今でも十分以上に毒吐きなのかも知れないけど(笑)
【ご案内】
5月、6月期間限定セッション
【内なる龍覚醒セッション】は、限定25名まで、お申し込み5月31日必着。
このセッションを受けた方、これから受ける方に特化した「内なる龍の肖像画」オーダー制作いたします。
詳細はこちらの記事で。
★外部サイトからも読者登録できます!→