毒舌であろうが穏やかであろうが、肝心なのは批判のスタンス
書き方が毒舌か穏やかか、というのは関係ナシ。
人の批判をする、という時の姿勢が、結局は「相手を貶め、自分やその身内的関係者を賞賛する」ところに意識があると、いくら「正論」や「破綻が少ない」述べ方をしていても、逆効果になることが多い。
…というのが、最近ほんと、しみじみと感じていること。
毒舌こき落としの場合は、相手をとことん落としたいということは素直に見える。
穏やかな書き方の場合は、その素直さも見えないだけに、より気味が悪く感じることが多いのだな…と、これも最近よく思うこと。
だから、言葉はキレイでにこやかで柔和なんだけど悪意が滲む系の人に、すっごい薄気味悪さを感じることが多いのかも。
片方が完全に正しくて、もう片方が完全に間違っている…なんてことは、そうそうない。
毒舌だろうが穏やかだろうが、やってることは批判に違いない。
「自分が正しい!」ということではなくて、「自分の意見はこうだ」…というのを主にすれば、たとえ意見が食い違った相手とでも、それなりに話を進めることはできる。
と、私は思っている。
今までも、そういうことはたくさん、あった。
だけど、たとえキレイで穏やかな表現でも、相手が間違っているのだから正すのだ、というスタンスで述べていると、話会う余地もない。
まあ、そういいながら、自分がそうできてるか…って言ったら。
笑うしかないけどね。
昨日の夕暮れ空
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