疑心暗鬼と猜疑の世界での「願い」は、呪いと紙一重
ある時、仮称Aさんが
「〇〇さんって、実際にはどうなの?」
と、たずねてきました。
Aさんがそういう種類の問いを発する時は、あまり芳しい気持ちからでない、ということは経験値として持っていました。
少々用心しながら、どういう意味?と、聞いてみました。
彼女がその方面のことについて学びたい気持ちになっていて、そのために聞いているのなら、と思ったから。
興味が(実はものすごく)あるのは、わかってる。
でもきっと、素直にそうは言わないだろうな、とも思いつつ。
すると、Aさんはどうしたか。
自分の交友範囲にいる、〇〇さんの専門ジャンルと「少しばかりかぶっているところがある」人たちの名を次々出しながら、〇〇さんは自分の周りでは評判が悪い、ということを延々と話し始めたわけです。
「…ていう風に言われているから、緋呂さんはどう思ってるのかな、って聞いてみた」
て。
その話の中には、Aさん自身の実体験は、一つもありません。
Aさんは〇〇さんと直接会ったこともないし、サービスを受けたこともないし、メールやコメントの交換もしたことがないのですよ。
たまに、記事のシェアにいいねを押している程度。
それ、私に聞いてどうするの?
こんなに評判がよくない人だって知ってるの?と、ご忠告のつもりでしょうか。
調子に乗ったのか、〇〇さんと懇意にしていて私も仲良くさせていただいている他の方のことまで、よくわからない持論で批判を始める始末。
「今の話って、Aさんはどこにも何も直接関わってないんだから、どうでもよくない?」
て、うんざりしながら言ってみたわけです。
この話はここまでで終われ、というつもりで。
Aさんと私が友人であることと、〇〇さんやその他の方との交流とは、全く別問題。
Aさんがその人たちのことをよく思ってないことはわかったけれど、自分自身の経験したことを言ってるわけでもないのに、私の好意や印象を操作できるとでも思ったんでしょうか。
逆に、Aさん側の関わってる方達については、私は一切面識も交流もないので、実際ににどういう方達であるのかなども不明です。
話が噛み合うわけがない。
今はAさんとは交流もありませんけれど。
自分が経験したわけでもない他人の伝聞(しかも、嘘か事実かすら不明)を根拠に印象操作しようとするって。
要は、自分の思い通りになる人だけ周りに置こうっていう姿勢ですよね。
そんなことで左右される人を周りに集めて、楽しいですか?
私は、近い人でも、人物像をできるだけフラットにみていたい、と思っているので。
マイナス評価も、耳に入る時には入れて、その上で総合的に見ていたい、と思っています。
ただし、聞くに値するのは、「本人が、直接言われたりされたりした事実」のみです。
経験を土台にしていても、話を膨らませていたり妄想になってたりすれば、聞く価値ないし。
まして伝聞が根拠とか、話になりません。
Aさんはその時以外にも度々、そういうことがある人だったから。
結局は付き合いきれなくなって遠ざかりました。
支配欲の強い人は、不安の強い人。
私はそういう風に、思います。
不安が勝つから、人を支配したくなる。
信用しない。
常に疑心暗鬼で、直接自分に関わりないようなところまで見張っている。
一人でカリカリして、妄想の中で戦ってる。
妄想では、常に勝つのは自分。
でも、実際には決して直接対決はしないんです。
私にしたように、陰口で印象操作しようとする。
そして。
残念なことに、その程度で操作されてしまう人に厚い信頼など置けるわけがない。
何らかの「埃」を見つけ出して…時には捏造して。
糾弾にかかるのだよねえ。
そのエネルギー、建設的なことに使えばいいのに。
久しぶりにその名前が耳に入ってきたので、つい、思い出してました。
相変わらずのようで。
神や仏は、自分の想像の通りに、想像の世界で働いてくれるからね。
その「願い」は、他人への呪いと紙一重なんだけどね…。
くわばらくわばら。
ダンナ氏作の握り佛