激烈な「特定の人への批判」で逆に自分の信用を失う結果になりますよ、という話
私は人と話をしてて、相手の人が誰かのことをマイナス評価した時に、丸ごとは信じない。
だから、その時は話を合わせているけれど、実際には目の前の人が言ってることの方がなんかおかしい、と感じていることも、まあ、ある。
(そのことを、その時に相手に伝えるかどうかは、関係性による)
その時は話を合わせている、ということに賛否はあると思う。
ずるい立ち回り方だなという自覚があることもあるし。
けれど、「その時の私は、目の前にいる人が話したいことをまず、話してもらいたいので、そこに水を差さない」という意味で「話を合わせる」を選んでいる。
相手にシャッターを降ろされるよりはマシだと思うからだ。
もっとも、その相手に「この人も自分と同じ意見でアイツを見てる」という誤解をされる可能性があることは間違いない。
特に相手を支配したい欲が強いと「私が感じる」人だと、話を遮ることは本当に、避けたい。
下手に「そうかなあ、私はそうは思わないけどなあ」なんて言おうものなら、標的がこちらに向かうし。
そこでバトルになるほど、無益で疲れることはない。
ある意味「触らぬ神に祟りなし」ってやつだ。
その展開になる可能性があっても、そんな時に自分の意見をちゃんと言うべきだと思えるためには、その相手との「先の可能性」を天秤にかける必要がある。
バトっても雨降って地固まる道を選び、より建設的になりたいのか…ただし0になるおそれもある。
いやもう、そんなの別に求めないから今やり過ごしたい、というのが強いのか。
まさに、そんな、「支配欲の強い人」が「他の人のことを」「クソミソにダメ出し」しているのをけっこう、頻繁に聞いてきて。
「ふんふん、へえー、そうなんだ」
という態度で度々、やり過ごしてきて。
結果的に、その積み重ねで「私はこの人(目の前にいる支配欲の強い人)を信用できないな」という確信を強化していった、という出来事があって。
支配欲が強い、というのって、不安の裏返し。
掌握していないと不安だから、掌握できなさそうな相手は攻撃する。
直接でなくても、たとえば「共通の知り合いに対して悪口を吹き込みつづけ、孤立させるようしむける」みたいなことも、やる。
その場合、悪口の中身は事実がほんのちょっとだけ含まれていれば十分で。
大部分は、自分の中で膨らませた「あいつ憎し」が根拠になった言いがかりなのだ。
少なくとも、私は今までそういうケースに複数回遭遇してきたので、一定の法則性はあると思っている。
後から、第三者や、言われていた本人に裏を取ると、言ってた悪口のほとんどは「誇張」と「妄想」の産物であるとわかる。
その結果、「悪口言ってた人への、信用できない印象の裏書」となるわけで。
バカバカしいからさ。
やめようよ。