「自分のため」の先に。サイキックミディアムのリーディングから遠くへ釣り針を投げるの巻
この人はスゴイ、と思う友人に恵まれているのですが。
その中でも異彩を放つのが、大阪のサイキックミディアム、奄海るか先生。
先日、新しいカードのリーディングモニターになりましてん。
今回のリーディングは、文字起こしではなく、音声メッセージにて結果が送られてくるシステム。
文字で読むよりも、その箇所の「ニュアンス」がイントネーションや声の強さなどで感じられるので、すごくわかりやすい。
ぶっちゃけ「これはいい!」って思ったね。
で。
その鑑定内容がね。
最初に聞いた時には、「???」だったんですよ。
るかちゃんて、本人が「意識を逸らしている」こととかもわかる人なのでね。
私が、「そこを見ないようにしてる」ことを、メッセージで伝えてくれてて。
当然の結果として、意味がわからんのですわ。
そんで。
何回か聞き直し。
カードの画像見ながら、聞き直し。
「なんのために、それをやってるのか?」
という質問。
何のためにって。
そんなん、「自分のため」に決まっとるがな。
けど、言いたいことは、「自分のため、の、その先」ということで。
その先?
そして、それを考える中で出てきたのが、前の記事にも書いたこと。
指示っていうよりは、「計らい」というニュアンスがより正確かな。
広げた手数を絞り込みにかかります、たぶん - 緋呂の異界絵師通信
これね。
見えない世界的な指示、というのではなくて。
私の、「その先」に対して自覚を促す、という計らい。
自覚を促すためにも、ここに書いちゃうことにしました。
私、何か一つでもいいから、「歴史に残したい」です。
実はほんの最近まで、そういうことにはヒトカケラの興味もなかったんだよねえ。
美術館の常設展とか、納骨所みたいな感覚になることすらあったし。
でも、ある時に、ふと。
「もし、私が作品なり、名前なりを残すことができたなら、私に関わってくれた大事な人たちのことも、同時に残せるかも知れない、ということなんじゃ?」
って、思ったんですよ。
私がすごくお世話になった(&進行形)の方の何名かは、もうすでに、残る側に入っている方達でもあるのだけど。
その可能性が、より、高まるし。
より、広がるんじゃないのかな。
なーんてね。
そう思ったら、なんか、やる気出てきてね。
自分のためには違いないけど。
本当に、自分だけのためだったら、そんなには頑張れないんですよねえ。
めんどくさくなるから。
けど。
私が連なっている人たちに、何かをお返しする機会を一つでも増やす、という意味では。
この「先」をちゃんと見るって、大事やな、って。
ずっと前に、とある方に、
「何かはわからないけれど、とにかく、常識を越えて長ーーーーーーーーーーーい」
っていうことを、言われたことがあって。
意味がわからなかったので、ツッコミして掘り下げてもらって。
そしたら、「たぶん、作品ですね。それが、常識を超えた長さ存在し続ける、ということかなと」っていうことに。
その時は、長く残すということには本当に、何の魅力も意味も感じていなかったので、「へえー」とか、めっちゃ棒読み反応をしてしまったんですが(笑)
でも、よく考えたらね。
作品って、ある種の「タイムカプセル」なんですよ。
その時、その時代、どういう流れの元で作られて、どういう流れの中でそれが残っていったか...ということが、共に情報として保存されるわけでしょ。
まあね、事実がその通りに保存されるかどうかってのは、わからないけれど。
でも、今の時代のこの文明の元ならば。
こうやって、本人が書いているものとかもある程度、どこかに痕跡としては残るでしょうから。
何世紀も前の作家の情報がなんかヘンな伝わり方している、っていうことと比べたら、事実が残りやすいとは、思うんですよ。
これは、タイムカプセルだな、って。
防水して缶に詰めて埋めることなしに、それよりもずっと広大な情報の網を、一つのモノを起点にして、投げかけることができるわけ。
そういうことを考えたら、自分だけのためと思ってる時には沸かない熱意が出てくるよね。
ということで。
今回、思いがけず、遠い先へと釣り針を投げるようなことになりました。
焦点を結ぶ、という。
るかちゃん、いつもありがとう~。