深く考えずにやってみた実験で、思わぬ結果が出た...占符おそるべし
言縁占符(ことよりせんふ)を使って、時々Facebook上でイベント的に無料リーディングをやってます。
そして、昨日、リーディングだけのメニューを出しました。
早速、お申し込みいただき、リーディング結果をお届けもしております。
で、ふと気がついたの。
有料でリーディングメニューを出したということは...だ。
無料でイベントリーディングしたくなった時、具合がよくないのじゃないかな?って。
それをつぶやいていたら、もっと短い一言でもいいのじゃ?というアドバイスをいただいて。
そもそもタイムラインでお答えしていた内容って、一行分で収まるので、「一言」しかなかったんですよ。
だったらもう、カードの画像だけでもいいんじゃない?
て。
札を見て、質問された方がご自身で、その意味を汲み取ればいいのではないだろうか。
実際、私がメッセージを書いたって、それと違うことを感じたのならそれを採用してくださいね、って宣言しているものだし。
ということで、実際に、それをやってみました。
そしたら、すっごい、予想外の結果に...。
いただいたお題を見て。
占符を引く。
写真を撮って、コメント返信としてUPする。
そしたら。
ものの数件に回答したところで、すっごくストレスを感じてきまして。
なんじゃこれ、と。
決定的になったのは、「死」の札が出た時。
ああ、この札はヤバい。
よもやまさか、このまんまの意味を考えてしまったら。
マジ、まずい。
違うから、そうじゃないから。
あーーーーーーー!
その段階で、ものすごく実感しました。
この札は、こういう使い方には向いてない。
それでいい受け手もいるかもしれないけど、たぶん、そうじゃない人の方が多い。
なるほど。
タロットにも死神のカードとか、ギョッとするようなのがあるんだし、まあ、別にいいんじゃないのかな。
なーんて、考えていたけれど。
甘かった。
いや、違うんだよ。
死神の絵が描かれてるカードを見るのと、死という文字が書かれている札を見るのとでは。
違う。
そりゃもう、完全に、違う。
そして、それ以上に実感した。
私、自分の受け取ったことをその人に伝える、っていうことが、「自分にとってすごく重要」なんだね。
札見せて、はい、思ったように感じてね...というのを委ねてしまうって、楽なんじゃないかと思ったんだけど。
逆だった。
なんせ、自分の描いた絵の時は完全に、「はい、見たまんまで、そのまま思うように受け取ってもらえば全然OK」て、心から思っているから。
何を描いたとか、どういう意図があるかとか、そんなの私に聞くなよ、って本気で思うからさ。
札だって、同じかな、って思っていたけれど。
真逆だった。
なんというか。
絵は、絵にできあがった段階で、私自身が見えない世界からもらった、受け取ったことは全部、そこに出してしまっているから。
私の中には、大して何も残ってない。
だから、見たまんまでどうぞ、って思う。
でも、占符はそうじゃない。
できあがっている札があって。
二枚一組、または三枚一組で、札が構成している「力場」がそこにできていて。
それに対して、読み手の私に、降りてくる言葉たちがある。
だから、札だけでは完結しない。
この試み、やってよかった。
本当に。
自分がこれの使い手になったってことが、すごい、よかったと思う。
普段やっている、
「降りてくるものを全出しして作品を作る→自分の中にはほぼ残りはない」
という仕事とは真逆のステップを踏む
「先に札が力場を作り、そこに後からメッセージが降りてくる」
というカタチ。
言縁百式の符を描きはじめる前に、これに気がついて、ほんとよかった。
これで、メールリーディングの意義も、護符を作る時の心構えも、今までとは違ったものになるの間違いなし。
という、メールリーディングの受付他詳細は、こちらの記事で!
最後は宣伝で終わるのであった。
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