旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

深く考えずにやってみた実験で、思わぬ結果が出た...占符おそるべし

言縁占符(ことよりせんふ)を使って、時々Facebook上でイベント的に無料リーディングをやってます。

 

そして、昨日、リーディングだけのメニューを出しました。

早速、お申し込みいただき、リーディング結果をお届けもしております。

 

で、ふと気がついたの。

 

有料でリーディングメニューを出したということは...だ。

無料でイベントリーディングしたくなった時、具合がよくないのじゃないかな?って。

 

それをつぶやいていたら、もっと短い一言でもいいのじゃ?というアドバイスをいただいて。

そもそもタイムラインでお答えしていた内容って、一行分で収まるので、「一言」しかなかったんですよ。

だったらもう、カードの画像だけでもいいんじゃない?

て。

札を見て、質問された方がご自身で、その意味を汲み取ればいいのではないだろうか。

実際、私がメッセージを書いたって、それと違うことを感じたのならそれを採用してくださいね、って宣言しているものだし。

 

ということで、実際に、それをやってみました。

 

そしたら、すっごい、予想外の結果に...。

 

 

いただいたお題を見て。

占符を引く。

写真を撮って、コメント返信としてUPする。

 

そしたら。

ものの数件に回答したところで、すっごくストレスを感じてきまして。

 

なんじゃこれ、と。

 

決定的になったのは、「死」の札が出た時。

ああ、この札はヤバい。

よもやまさか、このまんまの意味を考えてしまったら。

マジ、まずい。

違うから、そうじゃないから。

あーーーーーーー!

 

 

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その段階で、ものすごく実感しました。

 

この札は、こういう使い方には向いてない。

それでいい受け手もいるかもしれないけど、たぶん、そうじゃない人の方が多い。

 

なるほど。

 

タロットにも死神のカードとか、ギョッとするようなのがあるんだし、まあ、別にいいんじゃないのかな。

なーんて、考えていたけれど。

甘かった。

 

いや、違うんだよ。

死神の絵が描かれてるカードを見るのと、死という文字が書かれている札を見るのとでは。

違う。

そりゃもう、完全に、違う。

 

 

そして、それ以上に実感した。

 

私、自分の受け取ったことをその人に伝える、っていうことが、「自分にとってすごく重要」なんだね。

札見せて、はい、思ったように感じてね...というのを委ねてしまうって、楽なんじゃないかと思ったんだけど。

逆だった。

 

なんせ、自分の描いた絵の時は完全に、「はい、見たまんまで、そのまま思うように受け取ってもらえば全然OK」て、心から思っているから。

何を描いたとか、どういう意図があるかとか、そんなの私に聞くなよ、って本気で思うからさ。

札だって、同じかな、って思っていたけれど。

 

真逆だった。

 

なんというか。

絵は、絵にできあがった段階で、私自身が見えない世界からもらった、受け取ったことは全部、そこに出してしまっているから。

私の中には、大して何も残ってない。

だから、見たまんまでどうぞ、って思う。

 

でも、占符はそうじゃない。

できあがっている札があって。

二枚一組、または三枚一組で、札が構成している「力場」がそこにできていて。

それに対して、読み手の私に、降りてくる言葉たちがある。

だから、札だけでは完結しない。

 

この試み、やってよかった。

本当に。

 

自分がこれの使い手になったってことが、すごい、よかったと思う。

 

普段やっている、

「降りてくるものを全出しして作品を作る→自分の中にはほぼ残りはない」

という仕事とは真逆のステップを踏む

「先に札が力場を作り、そこに後からメッセージが降りてくる」

というカタチ。

 

言縁百式の符を描きはじめる前に、これに気がついて、ほんとよかった。

 

 

これで、メールリーディングの意義も、護符を作る時の心構えも、今までとは違ったものになるの間違いなし。

 

 

という、メールリーディングの受付他詳細は、こちらの記事で!

 

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

最後は宣伝で終わるのであった。

 

 

 

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