結局、これ抜きには語れなかった2016年
いよいよ、カウントダウンも迫ってきた感な大晦日の夜です。
あれこれやってると、あっという間に、12時過ぎて。
あ、と思ったら、すでに「おめでとうございます」時間になるのだ。
ってことで。
特に、締めの記事みたいなのは、書きません。
すでに「今年の10項目」は書いたしね。
今年は、新サービスのサイトを作りながら新年を迎えることになるでしょう。
押し迫ってから大きな買い物をしたのも、すでに来年への動きを始めているせい。
私は今年、何度も書いたけれど、本当によく遊びました。
いろんなところに行き、いろんな人に会った。
そして、「SNSやブログで見せている姿は、あくまでも<その人の一部分>にすぎない」ということを、今までになく実感しました。
良くも悪くも…ね。
「ああ、あのことを、こんな風に上手く言うと、こういう風に素晴らしく伝わるのか」とか。
そういう意味では、とっても勉強になったとも言えます。
(それは一体ダレのことだ?って詮索始めてるアナタ。ダレでもいいじゃん。アナタのことかもよwww)
自分も、もっと、表現の仕方を研究する必要がある…って、かつてないほど感じたのも、この一年。
自分を表現して、好きな道で生きていこう!っていう人達にぐるっとまわりを囲まれて、そういうことが「普通」で、自分の持ち技や表現技能を「お金」とか「商品」とかに換えて、謳歌する。
それがすっかり、「ベース」になった生き方。
すでにそれを成し遂げている人、そうなりつつある人、そうしようとしている人。
今、私の交友関係は、そんな人達で溢れてる。
半世紀生きてきて、こんな面白い環境になったこと、なかった。
それはやっぱり、2015年7月に参加した「かさこ塾」があったればこそ、作ることができた環境。
参加した頃と、その直後。
私は、一旦、「絵を商材と考える」ことを、やめました。
その頃は、それが自然なことだと感じたから。
そして、当時の私なら、そうなるしかなかった。
あれから1年ちょっと。
ぐるっと一周して、私の手の中には、「絵を売る」ためのプランがいくつも、現れました。
欲しいものを一旦忘れると、意外な方法で手に入る…とは、よく言われます。
ちょうど、そんな感じかも知れない。
受講の最終日。
かさこさんに、「私、今までずっと、絵を売りたいって思っていたけれど、それ違いました。絵を売るってことは、もう考えません」と、言ってみた。
「いいんじゃないですか?」と、あっさり言われた。
納得して、絵はもう商材ではない、と公言するようになり。
その流れの中で、「あかり玉」をメインに据えた。
ところが。
今は、「絵」と「あかり玉」の、二本の柱になろうとしてる。
「絵」が柱になるきかっけも、かさこ塾のコミュニティの中から始まった。
かさこ塾は、誰にでも「良い塾」ではないと思う。
全く効果が出ない人もいると思う。
拒否反応が出る人もいると思う。
むしろ損した、とすら思う人も、いると思う。
よい薬とは、誰にでも効果が出るけれど、効き方は緩い…というものを指すのか?
受け付ける人とダメな人がいるけれど、受け付ける人にとっては劇的に効く…というものを指すのか?
かさこ塾は、後者。
効く人には、信じられないくらいに効く。
効かない人には、信じられないほどのニセ薬。
自分の人生をぐいっと、変えてやろう!
そんな風に思う人にとって、「効果が薄い薬」に、意味があるだろうか?
別に、かさこ塾でなくてもいいんだよ。
あなたにとって、それが何か…なんて、私にわかるわけがない。
あなたは、この一年。
自分にとっての「真の良薬」に、出会いましたか?
もう出会っているけど、まだピンと来てない…っていうだけかも知れないね。
ピンと来るためには、日常的に、自分がどうなりたいか…って考えて、考え続けている必要があるのだよ。
まず問いがあって、その先に、答えが用意されるのだから。
かさこ塾に関する記事は、ここからどうぞ。
宗教なの?みたいな見方をされることもあるみたいだけど。
強い方向性を示す集団とは、いつの世でも、宗教みたいに見られるもんです。
つまり、それほどの求心力があるってことです。
巻き込まれることに恐怖感を持つ人も、いて当然。
けれど、怖いなと思う人ほど、飛び込んでもらいたいとも思う。
結局、かさこ塾抜きには語れなかった2016年。
かさこさんに、最大感謝で締めくくります。
そして、この画像は、近日公開の私の新サービス商品です。
乞うご期待!