旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

泥から生まれる美 

「刺激を与えるのが好きでしょ?」

と言われて、思わず手を打った。

まさに。

それだ。

 

波紋を起こす小石となる。

それだって、つまりは、「刺激を与える」こと。

 

人の背中を押す(あるいは、ド突くとか、蹴るとか...)のも。

変化を促す、ということも。

 

それらは全て、「刺激を与える」ことなのだ。

 

 

「度肝を抜かれたよ」

と。

その「刺激」の最上級を表す言葉を、もらった。

 

まだまだ、もっと、いける。

そう思ってもらえたし、自分でもそう思っている。

 

 

陶器は、他の素材よりも格段に、制約が多い。

だからこそ、超えた時の達成感は他のものと替えがたい。

 

 

私の絵付けは「下絵付け」と言われる手法。

素焼きの上に描き、その上から釉薬がかかる。

使う色に含まれる成分と、釉薬に含まれる成分、そして温度。

それらが複合的に絡んで、劇的に変化した姿になって、窯から出てくる。

 

使う絵の具は、「泥」だ。

 

焼いて形が固まる前の土も、型に流し込んで成形するため、水分が多く流動する...つまり「泥」だ。

 

 

泥の中で育ち花開く美しいものの代表といったら、やはり、蓮だろう。

仏の花でもある。

 

陶画は、蓮に似ている。

 

泥から生まれる、美しいもの。

 

私の思う「美しい」は、誰もが思う美しいものとは、やや、違っているけれど。

それは、内包する要素のことを言うのであり、やはり、見た目美しいもの、ということには違いない。

 

 

紙に描く。

板を焼き込む。

布に描く。

 

そうしたことの積み重ねで得た経験値を手は上手く変換してくれる。

 

土を練る。

土を彫る。

土を彩る。

 

土に水を含ませて。

流動状に...泥にする。

 

カタチのないものから、生まれてくるモノがある。

 

 

 

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がね地蔵、焼けました!

 

 

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宇宙カップ&ソーサー #artwork #ceramics #space

 

 

 

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あなたが探しているのは「自分軸」ではなく「自分軸という言葉のイメージ」つまり影にすぎない

自分軸を探してる...って、なんかちょっと、カッコイイよね。

生々しさも少ないし。

あってもなくても、生きていけるし。

高尚な悩みの範疇に入るんじゃないかな、って感じだし。

 

 

そうは言っても。

探してる、というほとんどの人は、

「そもそも、何を探してるのか、わかってない」

と思う。

 

自分軸って、そもそも何?

 

まず、その定義を自分でしっかり持っていないと。

ただの影を追っかけるだけで、疲れる一方で、よけいに迷うよ。

 

単純な話なんだけどね。

 

「自分軸」とかいう、誰が作ったか定かで無いけど、いつのまにか定着しているような言い回しで考えるのを、一旦やめることだ。

 

まずは、

「自分にとっての<自分軸>とは、何を指すのか」

の定義を、自分なりに、し直すこと。

 

遠回りに思えても、それが一番早いと私は思う。

 

 

私の思う「自分軸」と、あなたの思う「自分軸」は、きっと違うカタチをしている。

なのに、あなたは、誰かが見せてくれたことがある(ような気がする)影を、自分の中に探そうとしている。

 

そんなもの、見つかるわけがない。

無理矢理当てはめても、納得いくわけがない。

 

 

自分軸を探している、という人向けの記事をいくつかご紹介。

 

好きなことをして生きよう…とは、ちょっと、違う。
好きなように生きようよ。
好きなことをして生きるのもよし。
好きなことを今ガマンして、他のことを優先したいなら、それもよし。
自分が好きなように、生きていこう。

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

 

 

真っ白な紙とペンを渡されて「好きに描いて」と言われても意味がわからない人でも。
「好きな線を描いて」と言われたら、描ける人が出てくる。
「好きなところに点を打って」と言ったら、できる人が出てくる。
「好きな線を引いてもいいし、好きなところに点を打ってもいい」と言えば、同じグループで同時にやってみても、たぶん、全員違うものができてくる。
それをお互いに見る、という経験値が、「違うものを描いてもいいんだ」というインプットになれば、たぶん、「好きにやる」の意味がわかってくるのも早い。
…のでは、ないかな

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

  

自分の「原点0.0.0」は、常に自分の中に置いておかなきゃね。

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

 

 

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過去の自分がしかけた呪い、またまた発見 「伝える」ことにまつわるブラックホール

「伝わらなければ言っていないことと同じなのです。」

 

とあるブログにあった、一節。

 

これをシェアする時に、こんなコメントをつけた。

 

不十分で不適切で伝わらない、ということは、言ってないより悪いと思うようになってきた。
誤解や混乱の元だから。

 

最初からうまくやれるわけはない。
失敗しながら学ぶしかない。

 

それすらしないで、相手の理解力のせい、人間性の問題などに責任転嫁して自分の守りしか考えないと、結局人に伝わるのはそうした「卑しさ」「身勝手さ」ばかりになってしまうのだ。

 

当然だろう?
察してもらうことを強要したから、そういう姿勢を察してもらったのだ。
うまくいってるということだよ。

 

 

 

こんなことを書いた同じ日に。

まさに「今の自分は、その通りになっている」というのがテーマとなる話になった。

 

何を伝えていて、何は伝えていないか。

 

本来伝えるべきことなのに、伝えていない。

 

伝えているつもりでいても、人には伝わっていない。

 

そんな、諸処の話。 

 

 

自分が昔、自分にしかけた呪い...というのが。

違うカタチで、表に出てきた。

こちらは、前にそれについて書いた記事の一つの、引用。

条件が重なると発動してしまう、「うまくいかなくする」制限。
それを、私は「呪いだ」と感じ。
どうせなら、逆手にとって利用できないか、っていうことを書いた。

自分で仕掛けた呪いは、逆転して活用するがよいというか「それしかない」と解釈した! - 緋呂の異界絵師通信

 

これを逆転するにはどうしたらいいだろう。

 

 最近の課題は、実に怪しげな角度で飛んでくる(笑)

 

 

 

 

元ネタになった加藤望さんの記事

(怪しげではありません!!)

nozomicoaching.com

 

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