龍の話 内なる龍は「内なる龍」だし、そもそも龍は下ろしたり捕まえたりするもんじゃない
龍の話。
最初に断っておきますが、私は龍に限らず、いわゆる「見えない世界の存在」てのは、見えません。
声も聞こえません。
でも残念なことに、意志の片鱗といったものが流れてくることがあります。
完全に何もないならいいんですけどね。
もちろん、その「流れ込んできた意志の片鱗」を、まんま鵜呑みにはしません。
まずは一旦否定して、疑うところから始めます。
「あんた誰?」とかいうのは愚問なので、しませんよ。
とにかく「どうやら、あの時のアレはマジだったらしい」と結論づけるまでに数年かかってるようなこともあるし。
今もってそこまで至っていない件も、たくさんあります。
で。
龍の話。
今私は、「内なる龍覚醒セッション」の施術者として動いてます。
なんでこれをやろうと思ったか。
いろいろな、ちょっと、怖いな…と思うってことが、度々重なったからです。
あのですね。
龍、どこからか下ろしてきて人にくっつける…とか。
そういうモノじゃありません。
モノって言うと失礼だけど。
ともかく、そんなものじゃありません。
龍をどういう姿で捉えるか、というのは、人それぞれの感性の自由でいいと思ってます。
雛形はあるけれど。
目視できる人がいる…という件についてですが。
私は、それらすらも、「龍とはこういう姿である」という認識が人に刷り込まれているので、その結果、目視する人達にもそう見える…と考えてます。
生命体としての生態はあるけれども。
だいたいが、人間の側に備わった「見る力」「聞く力」「体感する力」そして何より「記憶する力」と「それを共有する力」の作用でもって一定の型を保つ…というものだと。
だから、全くもって違った姿を「いや、龍ってこういうのじゃないの?」と素で言ってくる人がいたら、ぜひお会いしたい。
私は「今ある龍の絵」には軒並み、おそよ全てと言ってもいい(全てを知ってるわけじゃないから、およそ…というしかない)あらゆるものを、「仮の姿」のようにしか認識できないので。
私的に、「こういうものかも」というイメージはあるけれど、物理的に表現する手段がまだ見つかってません。
だから、今言われている龍と全く違う姿を素で認識している人がいたら、ホントに、お会いしたい。
つまり私は、先人が長い歴史を経て形作ってきたものを無意識下で共有しているので、多くの人が龍として認識する姿が保たれている…と、考えているのです。
私が思う「龍」と、あなたが思う「龍」は、本当は全く別のもので。
だけど、「龍ってこういうもの」という共通認識を無意識下で持っているから、お互いに龍を認識できている。
この2,3年ほど、龍がとても流行しています。
そのこと自体は、悪いことじゃないと思っている。
意識の焦点が集まれば、経路が太くなって、彼らの存在強化に繋がるからね。
けれど。
その分、危険な水域に来てもいると、思ってます。
領域の境界線を、人間側が曖昧にしてしまっている。
解釈を曲げている…というか。
都合のいいように捉えてしまっているというか。
「魔法使いの弟子」っていう戯曲がありますが。
その物語は、
・師匠の留守中、弟子がズルをしようとして
・自分の代わりに箒に掃除させようとした
・未完成な魔法を使ったので、
・うまくいったのは、ほんの序盤だけですぐに魔法が暴走
・でも弟子には、解除法がわからない
・どんどん、大惨事に
・帰ってきた師匠が解除してくれて、一段落
というもの。
今、人間がやってることは、この、どこなんでしょうね。
師匠が帰ってきてくれれば、いいけどね。
っていうのを、割と肌感覚で、すごく強く感じていることが、多かったんです。
最近とりわけ強いけど。
見えない世界を描くっていう仕事を受けた初期の頃から、ずっと、それは続いてきてます。
ひょろっとした小さいカワイイものを捕まえてみた。
わあ、これ龍じゃん!
と思って、自分の腕にまいてみた。
どうやら、いろいろ動いてくれるみたい。
同じようなのを、また捕まえてみた。
ある時。
突然、自分が回収される。
その小さいカワイイものに見えたものは、姿の認識すら困難なほどに巨大で、人の感覚とかけ離れた別世界のものの「毛の先」だった。
まあ…ラヴクラフト的ですけど。
例え話で済めばいいんだけどね。
そういうことがあって。
私も、「内なる龍覚醒」の施術者をやることにしたわけです。
勘違いされている方も多く。
「内なる」って冠がついてるのを、みなさんどう認識してるのかと。
どこか、他所から下ろしてくるとか、自分用にあてがってもらうとか。
そういう話ではありません。
自分の内側の存在に、起きてもらおう…というセッションです。
他所から捕まえてくる必要なんて、「一般的な人間には必要無い」ことなんです。
でも、みなさん、そういうのをお好みですね。
特別になりたい…のか。
特別な自分なんだから、そういうことがあっても当然…なのか。
どっちが先かわからないけれど。
「一般的でない」とは。
国の行き先を左右するとか、巨大な組織や団体の長かそれに近い立場であるとか。
「一個人」という活動を超えた役目を負っているレベルのことを言います。
誰でも下ろしてきてもらえばそうなれる、という性質のことではないです。
そうは言っても、「あんなこと言ってるよ。でも真実は全然違う」って思う人が必ずいるのは、わかっています。
そして私は、「私の感覚が世界の真実だ…なんて、ヒトカケラも思ってない」です。
真実はこうなのです…あなたにはわからないだけです。
という言葉を、何度か聞いてきました。
もちろん、そうだと思います。
でも、「それは、あなたの世界において…でしかありません」と、今まで返事をしてきました。
私の世界では、私の感覚が「優先」されます。
が、それが真実だとは、全く、思ってません。
真実とは、人の数だけある。
というか。
真実というのは人の数だけの面を持つ。
龍。
下ろしてくるものじゃありません。
捕まえてくるものでもありません。
使役できるものでもありません。
時々、天気を操れるという人に出会います。
じゃあ、竜巻を止められますか?
アメリカ大陸の半分くらいを覆ってしまうようなハリケーンを、消せますか?
自分の上空の雨雲を散らす、っていうレベルではない話です。
龍は、小さくてもそれくらいの存在です。
そんなの、自分が使役できると思えるのがスゴイよ。
(って言うと、「できるけど、やらないだけです」っていう人が必ず出てくるんだけどね………そういう方はもう、内なる龍を起こすとか、必要もないですから興味持たないで)
覚醒してもらう「内なる龍」は、自分の内側の存在です。
もともとずっといるものです。
だから、自分を活性化する。
誰かの何かをもらってくるのではありません。
自分の内側の存在だから。
自分にしか、わからないのです。
施術者は、起こすための補助をするだけです。
受け手をスーパーにするようなものではありません。
地殻は、活性されてきました。
地震や噴火や異常気象などが頻発するのも、活性化の一つの結果です。
自分の内なる龍を目覚めさせ、自分を活性化することによって、どういうことが起きるのか。
それは、誰にもわからないのです。
予想をすることはできるかも知れないけど。
決めるのは、受ける人自身。
神様ゴトなんでね。
縁ナシ、となる方もいます。
その方は、この龍の流れとは別のところに編み込まれているのです。
【ご案内】
5月、6月期間限定セッション
【内なる龍覚醒セッション】は、お申し込み5月31日必着。
セッション日は6月末までのどこかでお選びいただけます。
お申し込みと同時に、自動返信でお振り込み先情報などが届きます。
それが届かない方は、改めてご連絡ください。
自動返信が届いていないまま期日を過ぎた場合でも、再度のお申し込みはお受けできません。
【ハウスDIY進捗】屋外収納スペース着々進行中&室内初稼働!
屋外収納スペース、順調に進んでおります。
まず、床部分。
↓
↓
↓
古材を使っているので、ゆがみも出ていて、なかなか大変なところもあったようです。
壁と屋根。
↓
↓
裏側
室内は、今日から私が作業を開始。
パンチングボードの引き出し棚の上の板にアームを付けて、iPhoneで定点撮影できるようにしました。
カメラの目からは、こんな感じです。
茶色い丸いものは、簡易的な手回しろくろです。
まあ、そんな立派なモノではなくて、「回転台」って感じですね。
でも、簡易でもなんでも、これがあるとないとでは効率違うからねー。
ここで作陶までやる、ってなれば、手回しろくろ欲しいですけど。
まあ、当面はいいかな。
机は折りたたみなので、移動も収納もできます。
机の場所は、その時にやる内容で違ってくるので、大きな重い作業台よりも使い勝手はいいかと。
この机は、以前に別に仕事場を借りていた時に買ったもののリサイクルです。
もう一台、同じような大きさの折りたたみ机があるので、もう少し広い作業台が必要になったり、仮置き場が欲しい時は出してこようと思います。
今日は、ここで、小さめのひょうたんを二つ、ライトを入れる開口部を作るなどの下準備をしましたが。
集中できていいですねー。
入り口のガラスにはUVカット&直射日光避けのフィルムを貼ったし。
窓は北側だから、今の季節は実に、快適です。
まだ網戸がないので、窓開けておくと虫入ってくるのが玉にキズ。
もうすぐ、蚊の季節だしなあ。
前回まで
【ご案内】
5月、6月期間限定セッション
【内なる龍覚醒セッション】は、限定25名まで、お申し込み5月31日必着。
このセッションを受けた方、これから受ける方に特化した「内なる龍の肖像画」オーダー制作いたします。
詳細はこちらの記事で。
★外部サイトからも読者登録できます!→
毒舌であろうが穏やかであろうが、肝心なのは批判のスタンス
書き方が毒舌か穏やかか、というのは関係ナシ。
人の批判をする、という時の姿勢が、結局は「相手を貶め、自分やその身内的関係者を賞賛する」ところに意識があると、いくら「正論」や「破綻が少ない」述べ方をしていても、逆効果になることが多い。
…というのが、最近ほんと、しみじみと感じていること。
毒舌こき落としの場合は、相手をとことん落としたいということは素直に見える。
穏やかな書き方の場合は、その素直さも見えないだけに、より気味が悪く感じることが多いのだな…と、これも最近よく思うこと。
だから、言葉はキレイでにこやかで柔和なんだけど悪意が滲む系の人に、すっごい薄気味悪さを感じることが多いのかも。
片方が完全に正しくて、もう片方が完全に間違っている…なんてことは、そうそうない。
毒舌だろうが穏やかだろうが、やってることは批判に違いない。
「自分が正しい!」ということではなくて、「自分の意見はこうだ」…というのを主にすれば、たとえ意見が食い違った相手とでも、それなりに話を進めることはできる。
と、私は思っている。
今までも、そういうことはたくさん、あった。
だけど、たとえキレイで穏やかな表現でも、相手が間違っているのだから正すのだ、というスタンスで述べていると、話会う余地もない。
まあ、そういいながら、自分がそうできてるか…って言ったら。
笑うしかないけどね。
昨日の夕暮れ空
【関連記事】
毒は自分にも回っていく 毒に己の価値を汚染されないために - 緋呂の異界絵師通信
【ご案内】
5月、6月期間限定セッション
【内なる龍覚醒セッション】は、限定25名まで、お申し込み5月31日必着。
このセッションを受けた方、これから受ける方に特化した「内なる龍の肖像画」オーダー制作いたします。
詳細はこちらの記事で。
★外部サイトからも読者登録できます!→