奥底に、まだつなげられていない古井戸の存在を感じるけれど、なかなかそこに届かなくてむずむずする
2年前、2015年8月3日。
この日書いた記事がある。
そこから引用。
去年の夏辺りから、少しずつ、そういう衝動が来るときが、減ってきて。 書くネタには困らないけど、書かないではいられないっていう感じでもない。
最近、思う。
どうやら、今の自分の中にある、以前なら即刻書きたい衝動に直結していたに違いないような「抱えたもの」は、文章に落とし込むことでは解消できない。
文章にすることで解釈を与える…そういうことでは、今ある疑問や不思議には、落としどころが見つけられない。
「書く」ことと、精神安定&浄化…でもそれができないとき - 緋呂の異界絵師通信
今に至るまで、この感覚は途切れることなく、続いてきた。
意識の中でどれくらい主張しているかは、その時で違うにせよ、消えずにずっと居座っている。
文章を書くことで、言語化することで、自分の中に落とし込む。
むしろ、それを経ないと落とし込めないくらいだった。
この頃から、言語化という手段によっては汲み上げられなくなってきて。
けれど、奥底の井戸には別の水脈があるようにも、感じていて。
書や絵を描く、塑像を作る。
そういう手段も、奥底の井戸には、届かない。
でも、存在はわかる。
2年前と今、大きく違うことは、と言えば。
龍印画を皮切りに一気に流れが速まった、言霊や言葉の意匠に関わること。
ただ「言葉を書き綴る」のではない、呪術的な側面が強まった。
当時は護符を描くとか、祝詞つくるとか、「あるわけない」と思ってた。
そこには近寄りたくなかった。
始まってしまったからには、戻れない。
この深い古井戸から呼び水を引っ張ってくるには?
「ことよりのみくじ」で作る護符は、一日一枚以上は作れないことがわかった。
そして、たぶん、毎日連続で作ることも、できない。
古井戸から汲み上げることができれば、精度やキャパシティも上がるだろうか。
それも、わからない。
わかることは、一つ。
眉間にしわ寄せ、クソ真面目になりすぎてはだめだ。
適度に力を抜いて。
楽しくやること。
様々な問題は、笑い飛ばす。
うっかりすると私は、クソ真面目になりすぎるから。
2年前の記事に貼ったのと同じ画像を、貼っておく。
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