「書く」ことと、精神安定&浄化…でもそれができないとき
ブログを書く、という行為は、私には精神安定剤であり、もっとも有効な浄化法でもあり。
さらに、とっちらかった思考の整理、分類、仕分け。
解析と解釈。
納得。
明確化。
などなど、実に様々な効能があった。
言語化することで整理し、別角度から見てみることによって、自分自身で納得する。
10数年にわたってやめていた絵の道にUターンしてからは、いろいろな不合理や人に説明できない妙なことがたくさんあったので、文章化でバランスを取ることが重要になった。
もともとはカードリーディングの練習モニターさんを募集するために始めたアメブロが、その送り出し口として役に立った。
去年の今頃あたりまでは、本当に、文章化するという行為は役に立ってくれた。
あんまり他の人が書かないようなことを書いてたらしく、おもしろがってくれる方もいてくれたり。
ブログから知り合った人もたくさんいる。
文章を書くことによってはき出す必要というのが高かった時期には、一日に10回更新してたようなこともあった。
それでも、常に書きかけの下書き記事が10本以上はストックに眠ってる状態。
「まだ今公開時じゃないかな」「まだ消化が足らないな」「なんかちょっと違うな」みたいな感覚で下描きには保存しておく…とか。
そもそも全く途中で止まってる、という時もあったけど。
どんだけ書くんだ、というくらいに、書いた。
去年の夏辺りから、少しずつ、そういう衝動が来るときが、減ってきて。
書くネタには困らないけど、書かないではいられないっていう感じでもない。
最近、思う。
どうやら、今の自分の中にある、以前なら即刻書きたい衝動に直結していたに違いないような「抱えたもの」は、文章に落とし込むことでは解消できない。
文章にすることで解釈を与える…そういうことでは、今ある疑問や不思議には、落としどころが見つけられない。
じゃあ、どうしたらいいのか…といっても。
絵にするとか、造形にするとか、そういうのとも、違うのだなあ。
明日から、また、家を離れる。
先月やってきた自分の仕事が、人の手を借りてどのように進展しているか、見る機会があるかも知れない。
新しいダンジョンが出現する可能性も、大いにある。
日常を少し離れることで、別の角度から何か、見えるものがあるだろうか。
【緋呂 公式サイト/Shop/SNSリンク集】
★外部サイトからも読者登録できます!→