航海も人間関係も潮を読むのが大事 あなたの「原点0.0.0」は、どこに在りますか?
他人軸とか、自分軸とか、社会軸とか、いろいろあるけど。
それって、別に、意識しなきゃいけないようなものではないと思う。
無理しすぎて人に合わせすぎて、自分をいつも無視していたら、そりゃ辛いよね。
そういうのって、どういう軸かなんて、関係ない。
自己肯定感がどうこうとかも、関係ない。
わかったようなわからないような、定番化された言葉。
それを使うことで、なんとなく、モノゴトが見えてるような気になってる。
それだけの話だと思う。
自己肯定感をどうにかするために起業するとか。
文脈として、おかしいと思うんだけど。
それでも、今の風潮って、なんかそんな感じ。
自分の仕事をしてなきゃ不幸とか、自由じゃないとか思うのも、ヘン。
自立していることと、自活することは、全く別の話。
何かをカモフラージュするための起業は、うまくいかなくて当たり前。
他人軸だの自分軸だの、その他のいろんなラベリングは、やってる気になれるための「粉砂糖」みたいなものだと思う。
好きなことで生きていく。
それは、本気になればできる。
すぐに、というわけにはいかないし、カンタンでもない(かも知れない)けど。
(それは単なる思い込みかも知れない)
とはいえ、そのことと、「好きに生きる」とは、やっぱり、少し、違う。
「好きなことしよう道」っていうテーマをブログの中に作って。
その後、「好きに生きよう道」に、変えた。
そのいきさつは、こちらにある。
好きに生きる、を現実にするために、やっていかなきゃならないこと、ってのがある。
その一つが、発信すること。
それも、「すぐに見返りが来る/自分に都合のよいカタチで来る」とは限らないという前提で。
そして、計画。
計画を実行に移すために必要な「事」「環境」などを整えること。
もちろん、実行すること。
そのためには、仲間の存在は大きい。
それでも。
「仲間」というのは、流動的なものでもある。
自分の考えや感じ方ですらも、日々変わる。
他人なら、その変遷を知ることすら、表面的なところしかできないものだ。
どのタイミングで変わり始めたか…とか。
どの方向に変わり始めたか…とか。
そんなことは、ある程度変化が表面化してきて、見えてくるまでわからない。
それが、自分にとって望ましいカタチではなかった時が問題。
人が多ければ多いほど、個人の変化は見えにくい。
そして、変化後の影響度は、大きい。
流動するものなのだ…と、ある意味割り切っていないと。
その変化の波をまともにかぶってしまって、ダメージを受けすぎて、結果として自分が沈む…なんてことも、起こる。
航海には、潮を読むことが必要。
人間関係にも、それが必要。
どんなに有力な人の指導でも。
どんなに好きな人の指導でも。
どんなに良い関係性がありそうなコミュニティでも。
どんなに有効なメソッドでも。
自分の重心を、それらの「まっただ中」に置いてしまうと、自分が苦しむだけだ。
それは、自分ではないのだから。
自分の「原点0.0.0」は、常に自分の中に置いておかなきゃね。
あなたの「原点0.0.0」は、どこに在りますか?
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