緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

神は人を救いません 自分の足で立って歩け、という以外にないんです

残念なお知らせがあります。

神は、人を救いません。

 

反論がある方はゴマンといらっしゃると思います。

そういう方に、こう思えと強要するつもりはありません。

だから、救ってもらえるのだと思いたい方は、思い続けていけばいいと思います。

そうすることでご自身が支えられ動ける、というのであれば。

 

 

神の存在を云々する時に、必ず一度は引き合いに出される問いがあります。

 

「神がいるなら、なぜこの世には理不尽が尽きないのだ?」

 

という。

 

 

この問いを、ずっとずっと問い続けている方は、「それがなくならない=神はいない」と結論を出す方も多いでしょう。

 

私から見れば、「いつか神が救ってくれる」と思い続けるよりはまだ、神はいないと思う方がマシかな、って感じます。

なぜなら、神はいないと思って、自分でどうにかするしかないのだと覚悟するってことが大事だからです。

頼ってしまって動かないくらいなら、いないものと考えてアテにしない方がいい。

そこらへんは、「アテにならない親」とか「アテにならない上司」とかと似たようなものです。

 

 

もちろん、「どの神を指しているか」というのは、けっこう大きな要素です。

一神教の神なのか、なんでもあり多神教なのか、っていうのは、すごく大きいです。

私は多神教派ですけれど、一神教の神も「地球の神」の一柱であって、地球の神にはそのまた上の神がいる、っていうのを支持してるという意味の多神教です。

ゆえに、一神教も否定はしません。

それも、一つの在り方だと思います。

しかし、究極的には根源は一つ...も支持していますので、ある意味では一神教派とも言えなくはない。

 

そんな都合のいい話があるかって?

あります。

 

 

んで。

冒頭の、残念なお知らせに戻りますが。

 

神は人を救いません。

人を救うのは、人。

というか、自分自身。

それ以外の何者も、救うことはできない。

 

神がいるのになぜ、災害も理不尽な死も不公平もなくならないのか?

だって、そんなの当たり前ですから。

神は、「人の基準による理不尽」など、意に介さないですから。

なぜ、是正する必要があるのか?

そもそも、それを神は不都合と見なしていないのに。

意味ないじゃないですか。

 

 

神がいないから、何もなされない...のではなくて。

神は、そもそも、そんなための存在ではないのです。

 

人間の思う理不尽というのは、人間の尺度なので。

神の尺度ではありません。

神が人の尺度を優先して考慮すると、なぜ、思うのか?

私には、そっちの方が不思議です。

人間が、スズメバチの都合を考慮することなく巣を駆除するのと基本は同じですよ。

 

 

人にとても近い層に存在する「神」もいます。

その神々は、人の願いを叶えたり動いたりしてくれます。

けれど、その層の神々に、世界の構造全体をどうこうする権限はありません。

人間尺度の理不尽をなくす、というようなことは、世界の構造全体に関わることなので、そこに対しては無力です。

つまり、人を救うことはできません。

でも、人間にとって御利益をいただけるのは、その層の神々ですから。

 

例えるなら。

 

ちゃんとした働きをしたら特別報償をくれる会社が、人に御利益をくださる層の神々。

(ただし、働かないの度が過ぎれば切られることもあります)

 

その会社を取り巻く経済構造の全体が、その上の層の神々。

 

と思えば。

個人の利益に対して経済構造そのものが何らかの手を差し伸べるなんてことはない、って、わかるのではないでしょうか。

 

人間の一部にはスズメバチを偏愛してやまない者がいて研究もしているけれど、決してそれが人間全部には伝播しない。

だから、スズメバチは常に巣や仲間を突然失い全滅するリスクを呑みながら、人家の軒下に巣を作る。

その場所が、巣作りに都合がよい環境だから。

そういうものです。

 

理不尽な構造そのものが、神の在り方の縮図でもあります。

 

だから。

さよならカミサマ」と言って別れる道を選ぶことは、ある意味、正しい。

社会全体の構造なんていう大きすぎるものが人一人をなんとかしてくれる、と期待し続けて時節を無駄にするくらいなら、背を向ける方がマシ。

そして、背を向けたからって社会全体という存在が消え失せるわけじゃない...とも、わかるのでは?

 

 

 

見えも聞こえもしないヤツが何をわかったように!

って思う方に、どうしても理解してもらいたいとも思いません。

私だって、そこは自分でも疑問に思うこと多々なのですから。

だけど、もうどうしようもないんです。

これ以上、説明のしようもないし。

どうやっても証明などできることじゃないし。

 

ただ、神は人を救う存在ではない、っていうことがわかると、それこそ「救われる」人が増えると私は思っているのですよ。

そうか、自分でやるしかないんだ、って。

納得というか、納得できなくてもいいけどそう思って動き始めるのが大事だから。

 

自分の足で立って歩け

 

ていうことなんです。

 

祈りに全時間を捧げようと。

全財産寄付しようと。

何万人に布教しようと。

 

救われるためのパスポートは、もらえません。

 

 

そして、人は人だけで生きているのでも、人だけで世界を作っているのでもありません。

見えない世界は常に、人の世界と重なっていて。

相互に影響し合っている。

人の世界の在り方が変化すれば、見えない世界の在り方も変わっていきます。

さらに離れてしまうこともあり得るし。

そうなれば...なんというか...これは私の感覚による表現なので正確ではないのですけども...

空気が薄くなる

と、思います。

 

人は今よりも、生きていきにくくなる。

人そのもののエネルギーも薄くなる。

人が人であるために必要な滋養を補給できにくくなるから。

 

 

依存するのではなくて、都合よく利用するのでもなくて。

お互いが、お互いの存在を感じつつそれぞれを全うする。

ていうのが、理想かな、と。

 

 

「何もしてくれないなら、いなくてもいい」

と思ってしまうのも、人だな、って。

私は、感じるけれど。

そもそも、それは人が「子」だから思うことなんだとも、思います。

 

 

まあ、何をしてくれるとか関係なしに。

日本のカミサマ達はとても面白い方が多いので。

私は、それを私にできるカタチで視覚化していくことを、これからも続けるし。

人が自分らしく生きていくことを全うするために、見えない世界の存在が力を貸してくれることもまた、体感的には知っているので。

同じ【大きな世界】に存在している波の飛沫の一つとして、龍や神獣を視覚化することも、していきますし。

札などを介して伝えられることがある時は、それも惜しまないでやるつもり。

 

そして、「救うのは自分自身以外にいない」ということも、ずっと、伝え続けていきます。

 

 

 

f:id:art-hiro-b:20170730140118p:plain

 


掲載画像、文章他の転載はご遠慮ください。引用の際は出展元の明記をお願いします。