過去の自分がしかけた呪い せっかくだから逆転させて活用すればいいんじゃあるまいか?
自分が作ってきた価値観や、世界観というのは、自分自身で書き換えていく他ない。
人の助けを借りることはできるけど。
それはあくまでも補助にすぎず、実行は自分自身でやるしかない。
ずーっと昔に、いろんな要因によって形作られた観念というものがあり。
年を経て、自分の考え方も感じ方も世界観も少しずつ変化して、もはやその頃の自分とはまるで違う指針で動いている。
それでも、自分は自分で。
昔々に形作り一定の完成度に至り、それ自体が磁場を持つまでになった観念というものは、簡単には消えないものなのだ。
それを、実感した。
あの頃の自分が作った観念。
今では、もう、それに動かされることは減った、と思っていた観念。
でも、やっぱり、根の深いところで発動し続けている呪縛というのは、条件がそろったらきっちりと、あきれるほどの効果を発揮するものだった。
これもまた、魔法だな。
って、思った。
解除されない限り、発動条件がそろった時にきっちりと発動する。
お見事、昔の私。
そんなにまで、自分の描くもの、作るものを否定してたのか。
私は、自分の絵は嫌いではなかったはずなんだけどな。
そりゃ、満足するってことは全然なかったけれど。
そんなの、創作家は...ことに、職人的なタイプは、そういうものだと思うし。
人から認められた記憶の乏しさや、否定されてきた記憶の生々しさなんかは、今でも痛いんだけど。
それでも、基本的には自分の絵も小説も、嫌いではなかった。
というか、嫌いになれていたら、かえってよかった...と、思っていた。
そうなら、もっと早くにすっきりと、やめられたはずだから。
自然消滅するようにフェードアウトして、やめていったわけだけど。
それを惜しいとも思ってなかったブランク期間だけど。
もし、自分の作るモノを嫌いなら、そんな曖昧な消え方ではなく、「よし、これでもう終わりだ」ってどこかで思って、それで本当に縁を切れていたと思う。
無価値感は、今もずっと消せずに残っていて。
絵描き道に舞い戻ってからもずっと、それと格闘を続けてきた。
未だに、完全にそれに勝ったことはない。
ただ、足を取られることが減った。
それだけでも、私には大きい。
ところが。
本気の本気モードにならざるをえなくなり。
勝負をかけるだけの材料がそろってきて。
いざ、さあここから本番だ、っていうのを目前にした時。
呪いの発動条件を満たす出来事が続けて、やってきた。
多段階構造になっているこの発動条件。
今まで絵描き道に戻ってきてからも何度か、動いたことがあったのだが。
こちらの気合いというか、必要性というか、エネルギー値というか。
そんなものも、まだ大して蓄積されていない時だったので。
発動した呪いの質量も、それほどでもなくて。
(いや、当時にはそりゃ、大変だったんだけどね)
今は、その時とは比較にならないほど、私の未来へ向けての想いの質量が大きくなっているものだから。
発動した呪いの質量がもう、すごいことに。
自分を潰そうとする、この呪い。
かけたのは自分だから、自分が解除する他ない。
呪いが生きていたことにまず驚き。
その律儀な働き方に、驚き。
食らったダメージの大きさに、驚き。
昔の自分が抱えたものの根深さに、驚き。
こわいこわい。
また条件がそろった時に発動されたんじゃ、たまったものじゃない。
まずは、条件となっていることを「揃えない」ように動くということは大事なんだけど。
そもそもの、その魔方陣だか式だかをどうにかしないといけない。
この先、こんなことでいちいち落ち込んでいられない。
さあて。
この陣だか式だかを、逆転のものに書き換えることって、できるだろうか。
理屈の上ではできると思うんだけど。
せっかくの、これだけの威力を持ったものなんだから。
消すよりも、逆転させて、潰すんじゃなく活かす方の力に転換できれば一番いいじゃないか。
言縁百式の札を早く完成させろ...って、今浮かんできたけど。
それが使えるのか????
わからん。
基礎がないからホント、頭が痛い。
何にしても。
条件を揃えない、ということは、努力できる。
うっかり揃えてしまわないように気をつけよう。
ここは、気がついているから、回避はできるはずだ。
若い頃の自分から出された課題だからなー。
どうにか、するしかない。
この箱が、早く中身をくれ、と訴えております(笑)