緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

他者目線と俯瞰視点 視点転換の可否だけではなかった「人に伝えられるスキル」

ブログのセオリー通り、結論から書こう。

 

他者目線の前に、俯瞰視点を持つ訓練をすべし。

他者目線の持てない人は、両腕を広げた範囲程度しか見えていない。

目に入っていても認識できていなければ、見えていないと同じことだ。

 

そして、俯瞰できるけれど他者目線に欠けてると感じる人は。

「そもそも問題は他者目線ではないかも知れない」

と考えてみてほしい。

 

 


 

人に何かを伝える時は他者目線をもってしなさい、と、多くの人が教えている。

その通りだと思う。

 

私は、自分にはそれが欠けている、とずっと思ってきた。

 

が。

私から見ても「全く他者目線がないな」と感じる人はいて。

文章、弁を操ることが達者であることと、他者目線の有無を感じることとは、また別の話だなとも思っていて。

 

どうも、私が私自身について思う「他者目線の欠如感」と、それらの人たちから感じる「他者目線の欠如」は、発祥がそもそも違うのかも知れない。

...と、思ったのが、考えはじめたきっかけ。

 

 

 

ふ‐かん【××瞰】
[名](スル)高い所から見下ろし眺めること。鳥瞰。「ビルの屋上から市内を俯瞰する」

俯瞰(フカン)とは - コトバンク

 

俯瞰は「高いところから見下ろし眺める」であり、鳥瞰は「高いところから全体を眺め渡す」感じ。

私のイメージでは鳥瞰の方がより立体的に、広範囲を見られる。

 

 

よく、「虫の目、鳥の目、魚の目」の三つの視点を持ちなさい、と言う。

そこに「コウモリの目」を加える場合もある。

私は人工衛星と、天の眼を入れてみた。

f:id:art-hiro-b:20170730140118p:plain

   天の眼として龍を入れたけど、これはもう、大きさだのなんだの、変幻自在なので単なるイメージ

 

虫の目は、ミクロな視点。

ギリギリまで寄って、細部まで注意深く見る目。

 

鳥の目は、マクロな視点。

この記事に書いている「俯瞰、鳥瞰」の目。

 

魚の目は、流れを見る目。

 

コウモリの目は、角度や位置を変えながら多方向から見る目。

 

人工衛星の目は、定点観測。

 

そして天の眼は、あらゆるものを総合的に、公平に見る眼。

 

人によって、持てる視点は違うし、使いやすい視点も違う。

先天的なものもあるけれど、知ること、訓練することによって使えるようにもなる。 

 

 

で。

ここでは鳥の目までで十分。

その視点を仮想的に自分の中に持つ、というのが、物事を俯瞰すること。

実際に高いところに登って景色を見るように、自分の置かれている状況を、自分自身を離れたところから眺めてみることだ。

客観視することの一部。

ヨコや後ろに少しズレるだけでも客観視はできる。

その視点を、うんと高いところに移す感じ。

 

人によってどうイメージするのがしやすいかは多分、違う。

飛行機やヘリコプターか、雲か、鳥か、今風にドローンとか。

別に天使や龍でもいいよ、イメージしやすいなら。

とにかく、自分自身の限定された視点から離れて、自分を含む大きな空間を見てみる。

 

そうすると、自分が囚われていることが「たいしたことない」とわかってくる。

見えてなかったことがわかってくる。

自分に原因があったわけじゃないと、わかってくることもある。

周りの人の動向や、心理も、想像できてくる。

話がそれるので深く書かないけど、想像できてくるだけであって、それは事実とは違うので間違わないことも大事。

 

 

もしかしたら、視点を離れるの意味がわからない、という人がいるのかも知れない。

わかる前提で書いてしまっているけれど。

私は、俯瞰、鳥瞰が比較的得意分野だから、できないのがわからない。

(これはこれで、けっこうシンドイ時もあるもんだよ)

こういうのは、生来得意かどうかというのはあるとしても、誰でも訓練すれば視点を高いところへ持っていくことはできる。

はず。

 

上の文章を読んだ時、

「できないし意味わかんないし。私はだめなんだ」

て思った人。

あなたは、確かに俯瞰できてない。

自分の体の中にある目と耳と感覚だけで反射的に感じている。

そして、そのことを自覚していない。

それが、俯瞰できてない証拠。

もちろん、罪悪感だ肯定感だなどなど各種要素が絡んでくるけど、ここでは視点の話にだけ絞る。

 

視点をずらして「客観視」できると、仮に反射的に自分てだめだ、と感じたとしても、そう感じている自分、というものを見ていることができる。

さらに「俯瞰」できると、発信している私や、同じように読んでいる他の人の存在を見ることができる。

読んだ時「へえ、そんなこともあるのか」くらいで気楽にいられる人もいるのかも...とか、思う余裕ができる。

こんなこと書いてるヤツがどれくらい「モノがわかってる」のか測ってやろう、みたいなことも考えられる。

 

もう、その時点で、「自分のことだけしか見えない」からは、脱けている。

 

そして、他者目線は、ここから入る。

 

発信者の「なんか偉そうなコイツ」から、反射的に「自分てだめだ」と感じてしまった自分を見たら、どう見えるだろうか。

 

根性が悪いとかは置いといて(笑)

少なくとも、反射的に感じてしまう人の存在を、私は想像できている。

その人たちが普段、いろんなものを見たり読んだりして、反射的にすぐに「自分てできてないな、だめだな」と思いやすい人であることも、想像できている。

足下はよく見るけど、後ろから来てる人や、同じような位置に並んでいる他の人のことは見ないとも、想像できている。

だから、その人たちは「一度囚われてしまうと、なかなか脱出できない」傾向にあるとも、想像できる。

 

そんな人たちに向けてアピールしたい時は?

あなたの不安を解消します、とか。

あなたは決して一人じゃないよ、とか。

いくつか、切り口は思いつくわけだ。

 

伝えるための文章や言葉は、そこから組み立てる。

 

 

あなたが今、俯瞰視点を持ちにくい人だとして。

私みたいな相手にアピールしたい時は、どうする?

なんか話をしてみたい、声かけたい。

そんな時は、どうする?

 

私が興味持ちそうなテーマを探すんじゃない?

それを、自分の手持ちのカードを使って表現できる方法を、探すんじゃない?

 

私ならどう声をかけられたら興味持ちそうか。

それを想像するには、「私を含む、私の周囲の状況を俯瞰する」ことが大事で。

なぜなら、私には見えていないモノが、あなたには見えるかも知れないからだ。

私は自分が見えてないものを見せてくれる人が大好きだから。

そんなものを差し出されたら、「ちょっと、それをもっと詳しく!」って、すぐに食いつく。

ある意味、釣り上げるのは簡単だ(笑)

 

 

 

 

さて。

じゃあ、俯瞰は得意な私が「自分には他者目線が欠けている」と感じているのはなぜか。

上のところまでの話だと、俯瞰できると他者目線にはすぐに入れることになる。

そして、確かに、それは間違ってない。

 

私に欠けていたのは、他者目線ではなく。

「人の役に立たせる」という視点

だった。

 

そもそも、人の役に立ちたいという欲求が希薄。

だから、自分の持っている情報をどう加工したら人の役に立つのか、ということが考えられない。

考えたいという気持ちが薄い。

伝えたい欲求は高いので、アウトプットの頻度も高いのだが。

基本的に「自分はこうだ」ということをそのまんま、滝の上からぶちまけている状態だ。

それをわかっている。

が。

下流で受け止めてくれる人に届きやすい形に加工してから、というワンクッションを置くことができない。

置く気にならない。

いいじゃん、受け止められる人もいるかもだし。

と安易に思って、そのままやっちゃう。

そのことも、わかっている。

 

その結果として、他者目線無視のアウトプットになる。

 

けれど、私自身は自分の欲求に従うとどうしてもそうなるので。

結果的に人に伝わりにくい、と感じて。

伝えたいという目的は達成できないので、原因として

「他者目線に欠けてる」

という、教えられる頻度が高い理屈に結びつけている。

 

...ということだったのかな、とね。

 

他者目線そのものの有無ではなく、それを応用するスキルの有無。

応用したい気持ちの有無。

 

他者目線が必要な人と。

他者目線を応用して実際に使う意識が必要な人。

 

視点転換できない、俯瞰できない人は前者で。

私は、後者。

 

そもそもの、指しているものが違ってた。

 

 

いやー、この文章、伝わるのかな?

想像しやすく書いているつもりなんだけど。

そもそも、想像しやすいかどうか、という基準からして違ってるかも知れないし。

 

文章を書くことは好きで得意でも、それが伝わる文章であるのか否かというのもまた、別問題なんだよねえ。

むしろ、苦手な人の方が、訓練で書けるようになった時に「誰にでも伝わる、よい文章」が書けるようになるんだよねえ。

そういう好例が私の身近にもいますし。

 

また後でいろいろ思いつくかも知れないけど、一旦はここで締めよう。

今、3536文字と出てる。

なげー。

 

 

f:id:art-hiro-b:20170730121549j:plain


掲載画像、文章他の転載はご遠慮ください。引用の際は出展元の明記をお願いします。