新しい世界が見たい その欲こそシンプルな原動力
私は私に、何か新たな世界を見せてくれるか、体感させてくれる人が好きだ。そこに安心とか善意とか求めてない。相手が打算バリバリでも、そいつが引き連れているモノが自分にとって新たな何かであれば、構わない。その打算に付き合うかどうかは別問題だから。清く正しいとか、圧倒的にどうでもよい。
— 異界絵師 緋呂@7/21展示会 (@HIRO_eshi) 2016年7月27日
ただし、見たくない関わりたくない世界というのはあるから、いくら新たな何かの予感があっても御免こうむるということはある。そこまで暇じゃないし。その線引きは自分的にはハッキリしてるけど、傍目には???なのかも知れない。傍目の基準なんか、私は知らん。
— 異界絵師 緋呂@7/21展示会 (@HIRO_eshi) 2016年7月27日
ほんの少し前まで。
私は、社会的基準(もっとも、それは単に私が思っているというだけの話だが)から言っても「マトモ」であったり、「良い」や「品格のある」などの、クリーンで優位なイメージを伴う人と近い関係になれることを「よいこと」と、思っていた。
…らしい。
というのは、そういう基準がなくなってしまってから、「そうだったのかも」と思えてきた、っていうことで。
そのど真ん中にいる時には、そんなことは気がつきもしなかった。
自分は、一体、どんな人を「好き」と思うんだろう…と。
そんなことを考えていて、ハタと、思い至ったのが、冒頭に貼ったツイート。
よいこと?
いやいや、違うでしょ。
新しい世界が見たいんだよ。
自分では考えつかない考え方や、気がつきもしない見方や、発想。
そんなものを、いともたやすく出してくれる人と一緒にいると、新しい世界はとても身近だ。
比較的発想の幅は広い方ではないかと、自分では思っているのでね。
カバーできない範囲を、人が提示してくれるのが、楽しみで仕方ない。
そして、そういう、「おお!」と思うような視点や枠組の取り方を見せてくれるような人となると…やっぱり、どこかが飛び出て、あるいは極端にへっこんでて、全体からしたらヘンな人でないと。
無理なんだよね。
時に、良識と言われるものを逸脱するくらい。
悪魔か鬼かと言うくらいの、きわどいことをやっちゃうくらい。
あるいは、神だと思えるくらいの、全体像が見えないような巨大なフトコロを持ってるとか。
いずれにしても、変な人。
人によっては、同じ空気を吸うのがイヤだと感じるくらいに、他人を圧する何かを備えている人。
普段は存在感薄いけど、自分のフィールドに誘い込んだ後に豹変する…とか。
何か、ギョッとするような要素を、備えている人。
ぶつかる時は壮絶なことになりがちなんだけど。
それでも、その視点は自分には無いから、補ってもらうしかない…そんな人。
まあ、できれば穏やかな物腰であってもらいたいけど。
そうでなくても、別にいい。
私は一人、物腰は穏やかで、いつも笑顔で、普通なら起き上がることもできないような状況でも平気な顔でどっか行っちゃったりして、非常に愛されるキャラクターでありつつも、鬼か悪魔かという面も備えている…という奇跡的な人を知っているので。
燃料の補給には、あまり不自由はしていないのだけど。
それでも。
貪欲なのでね。
他にもきっと、あれに匹敵するような変人が、いるはずだ…なんて。
思っているのだ。
常に探しているのだ。
私は、驚かせてくれる人が好きだ。
新しいものを見せてくれる人が好きだ。
逆に言えば、あまり変化のない、自分の流儀に固執して頑固な、世界の狭い人には、短時間で興味を失うか、歯牙にもかけないか…と。
誠に不遜な話だけど。
まあ、そうなる。
建設的で、這ってでも進む気概のある人で。
悲劇に酔わない(時にそうなっても、すぐにそこから抜け出す)、感情ズブズブにならない。
ネガティブでもいいけど、それを自覚してなきゃね。
そして、何より、浅はかな小狡さは、いらない。
顔色をうかがって出方を決める…みたいなことも、興醒めの一因になる。
社会的地位とか、財産の多寡とか、そんなのは、関係ない。
ただ、どこかで、常軌を逸した何かがある人でないと。
これから先、私自身も、今まで自分が踏み入れたことのない世界へと、だんだん、近づいている。
だから、自然に、出会う人も今までとは趣が違った人に、なってきてる。
ああ、楽しみだ。