【サイキックソウルアート/碧乃編】結界を守護する浄化の華
サイキックソウルアート、三作目。
この絵は、こちらの方を描いたものです。
ドラゴンマスター、龍師の、碧乃先生。
お顔を出されてないので、先生の画像はありません。
碧乃先生も、不思議な方です。
アメブロの時代からネットの上では繋がっていたのですが、実際にお会いしたのは昨年の今頃が初めて。
なのに、そこからは連続で、度々お会いする機会がある、という。
ご縁というのは面白いものだな~と、思います。
ドラゴンマスター、龍師という肩書きの通り、碧乃先生のドラゴンや龍との関わりは実に、濃くて独特な感じ。
私とは、抱えている課題や、他にロールモデルとなる見本が見当たらない...など、見えない世界との関わり方のいくつかに、共通したところを感じています。
中身は違えど、出てくる課題が比較的似通ったものであることも多く。
お互いに「へー、そうなんだ!」と発見しあう感覚もあって、私にはとっても、ありがたい存在。
そんな碧乃先生を描いたサイキックソウルアート。
全体像は、こちら。
『結界を守護する浄化の華』
画像をクリックすると、大きいものをごらんいただけます。
碧乃先生は、日本でも屈指の霊的要所の、ある意味「番人」的な方だと私は思っているのですが。
絵が、まさに、そんな感じ。
香先生の絵と同じく、下絵はなく、最初からこういうイメージで見えていたものです。
最終的には隠れてしまって見えなくなってますが。
後ろに鎮座された龍の、さらに後ろに、大きな満月があります。
まず、満月と、その光が映り込んだ湖面を描き。
その月を、雲で隠し。
そこに、龍を描き。
手前に、華を描いた...と。
意外と複雑な描画手順をとっております。
見えなくなっちゃうのなら満月描く必要なくない?
と思われるかも知れないのですが、そんなことはなくてね。
意味があるから見えているので、そこを省くというのは、ありません。
香先生の時の「見えていたけれど描かなかったフラワー・オブ・ライフ」のようなケースもあります。
描くか描かないか、というのも、その絵を構成するパーツの一つです。
絵の情景として近いのは「かぐや姫」ですね。
竹が光っていて中にかぐや姫がいた...と。
その情景を、湖面に浮かぶ華(蓮が一番近い) に置き換えた感じ。
龍を守護する、ということではなく(それは人間業じゃない...)
龍が休むことができる「場」を維持する結界があり、それを維持する...ていう感覚を描いてます。
印象として、
「誰でも担える立ち位置ではないため、やや孤独傾向」
ていう感じがあって。
エネルギーの値が非常に高くてクリア。
真冬の満天の星空...みたいな、手が届きそうに見えるけど届かない領域を表している。
お納めした後、碧乃先生からは、
「本質と向き合わせて、強制開示?強制接続? そんな感じ」
というご感想をいただきました。
まさに、私がこのサイキックソウルアートで三次元化しようとしていることが、それです。
スイッチを、押す絵。
以前、スピリチュアルな物理学者さんに、
「あなたは、目から<その人のスイッチを押す>人になるよ」
と、言われたことがあります。
私自身はよくわかってなくて、「なんかこんなのできたー」って描く。
そして、それを見ると、その人の中のスイッチが勝手に、押される。
そういうものを提供する人間になる。
...と、いう。
それを言われて、試したこともあります。
考えてみたら、このサイキックソウルアートは、あれの発展系なのか。
今気づきました(笑)
スイッチは、その人それぞれで、作用が違います。
碧乃先生の場合は、もともととてもエネルギーには敏感な方でもあるので、作用がかなり劇的だったようでした。
強制接続、と表現されている通り、ごらんいただいた後しばらく、いろいろと身体的にも作用があったそうです。
今のところ、そこまでの劇症は碧乃先生だけなのですが。
【サイキックソウルアート作品例】