緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

沈黙は金 を都合よく持ち出しているんじゃないのかな?

言葉なんて、常に、真実には足りないのだ。

事実にも、足りないのだ。

 

全て、ということも、あり得ないのだ。

 

どれほど饒舌で達者な弁の立つ人間であっても、だ。

 

 

自分の考えを全て、完全に、全く曲げることなく言葉にできる。

そんな人間は、きっと、存在しない。

できると思っている人はたくさんいるだろうけれど。

 

もちろん、私の狭い世界と少ない経験からしか判断できないから。

実は、できる人は多いのかも知れない。

 

測る手段がない以上、結局は憶測にすぎないのだが。

 

 

 

でも、だからこそ。

言葉を送り出すことをやり続けるのだ。

 

やっても不十分なのに。

やらなかったら、不十分のままだ。

 

全て伝わるなんてヒトカケラも考えてはいない。

そして、全てを伝えられているとも。

人が、全て語っているとも。

全くもって、考えていない。

 

だから?

言わないのか?

言えないのか?

 

私にだって、言わないことも、言えないことも、腐るほどある。

 

だから?

それがどうした。

 

そんなのは、語らない理由にはならない。

 

 

人間て、自分の都合を訴えたい時には饒舌になる。

聞かれてないことまで、勝手にしゃべる。

文章も書く。

しかし、そういう時に「真実を語る」ことは、まず、ない。

 

むしろ、そういう時は、語られてないことに真実が含まれている。

 

 

我が国には、「沈黙は金」という、含蓄のある言葉が存在する。

そしてそれは真実であると、私も思っているし、信じている。

 

 

素晴らしき沈黙。

 

忌まわしき、沈黙。

 

 

沈黙によって語ることができるほど、できた人間だったらいいね。

 

伝える下手さを、伝える痛みを、伝える苦渋を、その負荷を。

そこに直面できない時に、都合よく、沈黙は金...を持ち出しているんじゃないって、言い切れるかな?

 

 

 

 

自然は、言葉などなくとも饒舌だ。

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