「誰から買うか」が「いくらで買うか」より重要なら、もしかしたら「何を買うか」よりも重要かも
自分の提供するものに自信があり、それを愛していればいるほど、人はその人から買いたくなる。
そんな心理がある。
こちらの記事に書いた彼女は何かを売るという行為に一切興味のない人だったけれど。
もし、販売に魅力を感じてその道を突き進めば、すごいことになったと思います。
仮に。
彼女にとっての事実も真実も、本来はそこに存在しないものだった...としても。
彼女自身が感じている「これが好き!」の思いは、誰よりもストレートで力強く。
この上なく説得力がありました。
人と楽しいこと、いいモノ、面白いことを共有したい思いがとても強かったので、この人に合いそうと感じれば一直線にすすめにいく。
彼女は自分でも言ってました。
もし、自分がスピリチュアルの世界で商売をしたいと思うタイプであれば、絶対にうまくいくだろう...って。
私も、それは正しい見方だと今も思います。
むしろ、教祖向きかも。
カリスマ的魅力、という表現がある。
当時、私は、彼女のそういう一面に、少々うらやましさも感じてました。
彼女は芸術の才も備えていて、なにより「自分の絵で自分が一番幸せになれる」という人でした。
だから、自分の絵のいいところを、実にピュアに熱く語れる。
彼女が10分で描いた作品を100万ででも欲しがる人が現れるだろう...と、私は本気で思っていました。
彼女と話をすれば。
その絵が絶対自分に必要で、自分のために描かれたものだと感じるまで、そう時間はかからない。
お金はいらない、って言って、ポンポン人にあげてしまっていましたが。
ハガキ一枚、じゃあ10万でって言えば、払った人は少なくなかったんじゃないかな。
なにしろ。
その瞬間、彼女にとって「この絵はあなたのためにここにある」という感情は、事実であり真実なのだから。
なんでこんなこと書いてるかって?
それはね。
私が、作品を売る、ということを、今までになく本気で考えているからです。
絵って。
相性のもので。
必要な人にしか必要ではなく。
その「誰か」にいかに出会わせるか...ということのために、発信したり展示したりするのだと思うわけです。
私のメニューは主力が「その人のためだけの受注制作」なので。
まだ今この世にない作品を、今生きている人のために具現化する...ということ。
つまり、「買うモノの姿」を見せることなく受注するということ。
その仕事を、いかに、人に伝えるか。
そういうことを考える時、いつも思い出すのが、彼女のこと。
人と人をつなぐ存在としては、彼女はとても危険なタイプ。
人への評価は、とても鋭くて深いところを見ているけれど、事実が事実ですらないことも、ある。
しかしながら。
作品と人とをつなぐ...という観点ならば。
あれはもう、やはり、天賦の才だと思う。
真似したってできるわけがないのだけれど。
私の記憶の中には、そういうケースがあった、というデータは実際に活きる。
来年は展示の企画も出ています。
今出ている企画以外にも、機会があればやりたいとも思います。
ショップも、エネルギーワーク系と作品系とでサイトを分ける準備を進めています。
原画も出していきたい。
陶器作品や、ジュエリーも。
先日、「来年の今頃、私はどうなっていたいか」ということを、はっきり言語化しました。
だから、そこへ向けて、焦点を絞っていくのです。
そんな企画のことをあれこれ、考えていきながら。
あの人がどのようにして、ものの数分で「その絵をください!何が何でも!」みたいな気持ちにさせていたか。
「ここにある作品を譲ってもらえないなら、描いてほしい!」という気持ちに。
真似できるわけではないにしても。
大いに、研究の余地はあるな、と。
思うわけです。
記憶の中を研究するしかないんだけどね。
それにしても...ほんと。
変わった人と知り合いになってきたよなあ~。
こんなのも描いてます。
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