使いたいところで機能しない「自分の特性」は、どうしたらいいのだ?
ほっといたら左脳しか使わない。
たぶん、私って、もとはそういうヤツ。
だから、どうしても右脳を使わなきゃならないことが仕事で来た。
というか、そういうことを選んじゃった。
「生年月日も選んで生まれる」という説。
それについて、以前、こういう見解に至った。
天がその配置になった時に生まれたから、こういう青写真なんだよ…って言われると「はぁ(-"-;)???」って思うけど…
こういう青写真を持って生まれるために、天がその配置になった時を選んだのだよ…と言われたら「なるほどね」と(笑)
結局言ってることは一緒なんだけども、どこから見るかというのを替えると納得感が出た、という話。
今日も、誕生日を元にして算出する「占い」の話をしてて。
私の持っている星を見ると、とにかく、「理屈」「分析」「論理」「解明」「多角的」「再構築」…と、これでもかと書かれていた。
たった3行しかない解説の中に、何度「分析」という単語が出てきてるか。
そりゃもう、呆れるくらい。
なのに私は、自分の絵を「解説」も「分析」も、することができない。
自分のだけでなく、そもそもが「絵」とか「作品」を解説や分析することが、できない。
そこにどういう意匠が描かれているとか、だからここに込められた意味はなんだとか。
それこそ、タロットカードなどの「絵解き解説」に出てくるような、理屈で解説していくこと。
それが、なぜか、全くできない。
(だからタロットも覚えられない…?と思ったけど、多分それはまた別の話だと思う)
他の人が…特にスピリチュアルアートの人が見事に自作を説明している様子を見て、ホント「すげー!」と、いつも感心するんだけど。
どうしてこうまで、これでもかと出てくるその「強い能力」ってのが、このジャンルになると全く働かなくなるのか、ホントに不思議だ。
回路が断たれてるか、絶縁されてるんじゃないのかと思うくらい。
そんな風に、何かの責任にしたくなるくらい、全く機能しない。
描いている時に理解できてなくても、後でそれを「引いて見た」時に解説が浮かんでくるなら、それで良いんだけども。
それもない。
筆を置いたら、後は、自分の作品ではあっても「独立した個の存在」としてしか認識できなくなるんだけども。
そうなっても、解説はできない。
なんたる不自由。
コンセプトの説明? なにそれ?
描きこんだシンボルの意味? なにそれ?
で、とうとう、そういう試みはすっぱりあきらめた。
でも、「自分がそこに込めた価値」を、自分の言葉で表現しなきゃならない、という状況は、依然としてある。
色の意味だとかシンボルの意味だとか、そんなことは、まあいいとしても。
自分が、そこに、何を持たせたのか、ということ。
バックボーンにあるもの。
それは、人に伝えられるようにしなきゃならない。
自分の深層意識の解説?!
絵の意匠よりも、更にハードルが上がってるじゃん(^_^;)
描いてる時は、ホント、何も考えてない。
何をここに描こう…とか、何色を使おう…とか。
そんなのも、考えてない。
一般的に「剣」は力を表すから、ここでは剣を持たせよう…とか。
そんな作り方は、もう一切してない。
出てくるまんま。
だから、一般的には「剣使い」とは言われてないはずの神様がゴッツイ刀を持って出てきたりも、平気でする。
なぜそうしたか…とか、聞かれても、ホント、困るわけ。
知らないもん、自分だって。
分析、解析、解明。
その「持って生まれた特性」を、このジャンルでも使えるようになるためには、何を訓練したらいいんだろうかね。
他のことでは、その特性は自分でも十分に自覚できるのに。
肝心なところで使えないってのは、ホント、どういう制限なんだろうか。
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