変の中の不変=普遍 それでも、それすらも変わっていく
とあるやり取りから、「変わる」ということを考えた。
少し古い付き合いの人と、久々にやり取りをして思った。相変わらずだね、と言われ。そっちこそ、と返す。その実、両者とも同じではない。お互いそれを知っている。何を見て、相変わらずと言うのか。基本的な性分についてであって、その時の行動とか取り組みについてではない。変の中の不変=普遍
— 異界絵師 緋呂@あかり玉制作中 (@HIRO_eshi) 2016年7月1日
あの人はこう変わった、ああ変わった、なんかヘンだ、もう付き合えない…って、しょっちゅうそんなことばかり言ってるのは、自分自身が変わっていくこと拒否しているからなんではないのかなあ。自分がかわらないえから、余計に人が変わったように感じる的な。
— 異界絵師 緋呂@あかり玉制作中 (@HIRO_eshi) 2016年7月1日
人がどうなった云々で反応を変えるより、自分が変わったからもう合わない、という理由で行動する方が、私は好きだな。変わらないものなんて無いよ。変わる速度や幅、スパンなどの違いがあるだけ。変わらないと思っても、変わっているもんだ。時代は流れているのだかし、時間は経過しているのだから。
— 異界絵師 緋呂@あかり玉制作中 (@HIRO_eshi) 2016年7月1日
思い起こせば、私自身、ずいぶんと「あの人はなんか、前と変わっちゃった」という感覚になってきものだ。
なんか変わったなあ…もう、合わないかも。
そんな感じ方。
けれど、そういう、外側での判断は、やはりどこかで、自分を正当化しようとしてるなと思う。
変わったのは、あの人ではなく、自分だ。
そう思えば、恨みがましい感覚など、湧き出ようがない。
意識的にそう感じようとしてきたわけではないけれど。
そういう風に見ることが普通になってみると、自分が変わったと考える方がずっと、未練たらしさがなくなる。
執着がなくなる。
変わらないものなど、ない。
この世界の真理の一つだ。
ただ、普遍性というのは、変わっていくスパンが非常に長く、なかなか変化を感じとりにくいほどに緩やかである、ということだと思う。
宇宙の星だって、位置を変えていくのだ。
数千年前には、りゅう座のα星が北極星に相当していて、クフ王のピラミッドはその方向を向いているそうな。
そして、現在の北極星ポラリスは、じりじりと位置を変えていき、AD2100年頃に、最も天の北極に接近する…らしい。
天の北極。
不変なものがあるとしたら、それが一番、近いのだろう。
それだって、「現在の宇宙において」という以上のことではないし。
その変遷の縮図が、一人の人間なのだ。
「魂的な人格」が天の北極とするならば。
その時代や役割に適した人格を形成している中心的な価値観が、現在の北極星…みたいな感じだろうか。
変わることを恐れる人も多いようだけれど。
心配しなくても、日々、時間の流れとともに、人は変わっていくのだ。
どんなに頑固な人でも。
その人のペースで。
そんな、しょーもないとりとめのない話をしに、来て下さい。
7/21~26に、名古屋市北区の「箱の中のお店」にて合同展開催です。
25日は不在です。
それ以外の日は在廊します。