剣を抜いたツケは、いつか必ず払う時が来るんだ。極端な一般化という剣は、ツケも大きい
一般化の極みのような論に、
「男はこうだ」
「女はこうだ」
ってのが、ある。
確かに、生体としての違いも役割の違いもあるから、ざっくりとした特徴というのはある。
が、現代人がそこにどれほど当てはまるか…というのは、疑問。
しかし、そういう「一般化の極み」をベースにして片方を罵ってるのを見ると、
「この人は、よほど、恨みがあるんだろうな」
と、思ってしまう。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い…だ。
どっちにも、バカも利口も善も悪も長も短もある。
しかも、それぞれ別の。
極端な一般化の元に非難を展開する言動には、同じように一般化したがる賛同者が現れるもので。
そういう負のコミュニティが形成されると、その中での一般化はさらに過激になる。
でも。
思うんだ。
甚だしい一般化を元に持論を展開する、その根底にあるのは
「自分を特別扱いしなかった誰か」への恨み
であって、もともとそんな極論を使ってまで斬りつけたかったのは、ほんのごくわずかな誰かなのだよね。
一般化されたと感じた自分。
特別に扱ってもらいたかった自分。
なのに、極論を振り回して斬りつけてばかりいたんじゃ、余計に、疎まれるだけだし。
そのことで幸せになる人は、いないよ。
同じような世界観の、同じような極論で非難したい矛先が一致してる人達が、ほんの一時、わずかなちっちゃな満足を得るかも…せいぜい、そのくらい。
まあ。
人間だから。
そういう気になっちゃう時もあるけど。
一度剣を抜いちゃったら、その理由がどんなことであれ、抜いたことの責任ってのは、取らされるようにできてる。
目の前の人がとがめなかったとしても。
その場では、なかったとしても。
だから、剣は誰もが持ってるものじゃないし、誰もが持っていいものでもない。
持てたというのは、本人がすごく努力したり、積み上げてきたり、一定以上の水準の何かを身につけているからこその、結果だ。
それを、自ら曇らせるなんて、もったいない。
…と、思うんだな。
いろんな種類の剣を抜いちゃうので、いろんなツケを度々払う…そんな一個人が思うことでした。
できれば、錆び付く程に長い間抜かないままでいる…ってのが望ましい気がする、今日この頃です。