天才疑惑とハッタリと
すごく、不思議になることが多い、今日この頃。
家から150km離れたところで、一人で過ごす。
当日になってもう一日延ばす…というのを、誰も止めない、咎めない。
むしろ、集中してできるように配慮してくれさえする。
私は何者なんだろう。
ほんと、不思議。
何を狙ってやってきたわけでもないし。
ものすごく努力したっていう気もしない。
やってみる?とか、やってみて…と言われたことを、「はい~やります~」と、面白くやってきた。
その結果、こんな状態。
またまた、新しい提案がきた。
でも、ある程度予想していた内容でもあった。
だって、その道具も、もう買ってあるし。
ここに来る直前に、電動の道具の話が(別のところでだけど)出てもきたし。
ここ二ヶ月くらいの間に、それをやっていたので、提案された時には「うわぁ、来た!」と思った。
なんで知ってるんだ、どこ情報だ一体? とは思うけど。
その出所は、もはや、人間の領域とは少しずれてる。
でも、現実に現れると、やっぱりびっくりするけどね…何度起きてもびっくりする。
提案は、単体ではなくて、複合的に別のものを掛け合わせて、まだないものにしなくちゃならないので、けっこうハードルは高い。
ただし、それは、ガラス壁画や陶器や焼き絵や水墨といった、好きなやり方から、いくらでも抽出できると思う。
複合のさせかた、アレンジ次第。
今、まだ無いものを、創り出す。
それって、ほんと、面白い。
そんでもって…たいがいのことは、どうにか編み出せるんじゃないかな~。
根拠ゼロな、意味不明な自信というか。
楽観の極みというか。
これ、一体どこから出てくるんだろな、って、我ながら思う。
かなりイタイ状態かも知れないんで、全然自慢にならんけど。
楽しいということがよくわからなかった…という話を、先日書いた。
今、ここまでの道のりを振り返ってみると、実は私って天才的なんじゃないかという気がしてくる。
これだけの、先の見えない、意味のよくわからない、雲をつかむようなっていう事柄を、なんかテキトーに力抜きつつ、それでも相当にがんばってもきて。
結局は、すごく、大きな領域で、長いスパンで、「ものごとを楽しむ」を、やってきたのじゃないかな。
領域が広くて、スパンが長いから、波形の始まりも頂点も終わりも、どこで迎えてるのかよくわからない。
なので、感じてる気がしない。
それだけの話なのかも知れない。
ハッタリをかませ。
それが、これからの課題だったりする。
けっこう、それ、やってきたように思うんだけど。
これからは、もっと気合いの入ったハッタリをかませ、ということです。
絵描きは黙って筆動かせばいい…もはや、そんな時代じゃありません。
そして私は、部屋にこもって黙々とやる仕事も、人前で披露するパフォーマンスも、どっちも同等にやりたい欲張りなので。
ますます、ハッタリは必要になる…わけですね(笑)