緑色の爺様→その形容で連想するキャラはただ一人→以前にコワい連想をしていたのを思い出した!
今日、とある怪しい方面のワークを受けていたのですが。
その時に。
爺様がおいでになり。
その時は全くなんの違和感もなかったのですが、後からセッションについてお話していただいてる時に、
「緑色じゃなかった?」
という話になり。
その段階で「普通の人類の爺様ではありませんなあ......」ていう話になり。
風貌が先日のラクガキの爺様に似ているって言うことで、彩色をしてみたわけです。
iPadProとApplePencilはホントいい仕事してくれるよー。
アプリは無料のPhotoshopSketchほぼ一択になってきたよー。
もっと手の込んだことやろうと思ったら他のを使うけどー。
翁 #art #illustration #pencil #鉛筆画 #異界絵師
で。
「緑の爺様って言ったらもう、ヨーダしか私は連想できません」
て、思ったんだけど。
さっき、急に、以前に書いた絵日記が思い出されまして。
ヨーダのネタ。
それが、こちら。
私の龍のカオ。
そのパーツの元って、もしやヨーダ?!
というのを唐突に思ったんです、っていう絵日記なんだけど。
どうも。
今日のワークの成り行きを考えるに。
これ、逆なんでは?という、ね。
私はスターウォーズという作品そのものには、別に何の思い入れもない。
全部見てもいないし。
私には、それほど楽しめないところが多くて。
有名だからネタとしては見ました、っていう。
けれど、唯一、ヨーダというキャラだけは、なんでこう好きかな、って思うくらいに好きで。
それも、一番最初に登場した時の、どうにもしようのないロクデナシ爺風の時のが一番好きだったりするんだけど(笑)
新シリーズになった時は、めちゃくちゃ動いてるのに感動しまくった。
なに、あの爪楊枝みたいなちっちゃいライトサーベル!
まさに一寸法師の爺様版。
いや、それはいいんだけど。
今日のワークで。
なぜかヨーダだけあり得ないくらい好きな理由はコレか?!
っていう「元」を見ちゃったかも知れなくて。
いやいやいや、そんなわきゃ~ない。
あの爺様に会ってるわけがない。
もしかして通りすがったことがあったかも、という話にはなったけれど。
だとしても、ヨーダだけやけに好きだという記憶はもっとずっと昔からだから。
とかいって。
ずっと前に、自分でこんな記事も、書いている。
ああもう。
どうせ、考えても仕方ないことで、答えなんてないことなのだから。
楽しんでおけばよいのだ。
ただ、書いておかないと忘れちゃうから。
記録だけは、しておこう。
途中で去った人の言葉は聞かなくて良い
「産まれた時からそのことに触れていて、息をするようにやっていた人にはかなわない。だから、自分もやっていたことがあるし、できるけれど、やめました」
そう言った人がいた。
その人は、とても多才な人だ(という風に見えたし、実際にそうだと友人は言っていた)
実際に、とある業界の中では活躍されていて、かなり知名度もあったとか。
私は全く無縁の業界のため、わからないけれど。
そんなに昔のことじゃなかったと思う。
今年に入ってからのはず。
その時、私は、その人の言葉に大いに納得した。
その人が去った世界に、今まさに突っ込んでいきはじめた途上だったのでなおさら。
そうだよな、実際、そういう人にはかなわないもんな…なんて。
思った。
それは、すごくハッキリ、覚えている。
今日、それにとてもよく似たことを、全く別の場で耳にした。
けれど、今日の私は、
「途中でその世界を去ったヤツの言葉など聞く意味ある?」
と、思った。
生まれた時の環境。
その世界のまっただ中に生まれて、そこで育って、その空気を吸って。
だから、細胞がその色になっている。
そんな人に、大人になってから触れた人間が、かなうわけがない。
確かに、そうかも知れない。
では、あれか?
今、世の中で活躍している第一線の人たちというのは、全員が、そんな風にして生まれた環境からベストだったと?
そんなわけがあるか。
かなう、かなわない。
そんなことを理由にして、そこから去ることができたのならば。
そもそも、その熱は、それくらいのものだった、ってことではないか。
その去った人が、実際にどれくらいのことができるまでになってからそう思ったのかは知らないけど。
どっちにしても、私には関係ない。
その人が去ったままでいようが、どこかで再燃してリトライしようが。
私には、関係ない話だ。
ほんの半年くらい(だと思う)の間に、ずいぶんと、感じ方が変わったな、というのは、こういう時に実感する。
あなたは、「息をするようにそれをやる」人と比べて、自分がそこにいる必要はないと判断し、その相手をサポートして活かすような道を選んだ。
でも、私はそうしない。
私は、むしろ、あなたのような人に、活かしてもらう道を往く。
もちろん、あなたが私を活かす手伝いをするか否かは、私には関係ない話。
あなたに、と言ってるわけではない。
「活かすことを選んでいる人」の全てを対象にしているから。
うーむ。
我ながら、偉そうなことを言うようになったもんだ。
だけど、実際、そうだと思うのだ。
生まれがどうこう、環境がどうこう。
そんなことを理由にして、やらない選択をする...というか「できる」ということは。
別に、そこじゃなくても生きる道がある、ということなのだから。
バックボーンも才能も乏しくたって、譲れないからしょうがない、っていう人間のことを、とやかく言ってもらいたくない。
もし、そんな風にして気をそがれてしまい凹んでしまう...なんて、半年前の私に似た人がいたら。
「去った人の言葉は聞かなくていい」て、言ってやろう。
あ、念のため書くけれど。
冒頭の言葉を言った人については、別に何も悪感情はありません。
面白い方だな、って今でも思っています。
その方に、作家として関わる機会がもしあれば、きっと刺激的だろうな、とも思ってます。
ただ、冒頭の言葉に対しての反応が、当時と今でまるで違うな、っていうだけの話です。
オンライントーク中にラクガキしてて、途中になってたのを描き足し。
爺様を描く機会はなぜか多い。
「自分のため」の先に。サイキックミディアムのリーディングから遠くへ釣り針を投げるの巻
この人はスゴイ、と思う友人に恵まれているのですが。
その中でも異彩を放つのが、大阪のサイキックミディアム、奄海るか先生。
先日、新しいカードのリーディングモニターになりましてん。
今回のリーディングは、文字起こしではなく、音声メッセージにて結果が送られてくるシステム。
文字で読むよりも、その箇所の「ニュアンス」がイントネーションや声の強さなどで感じられるので、すごくわかりやすい。
ぶっちゃけ「これはいい!」って思ったね。
で。
その鑑定内容がね。
最初に聞いた時には、「???」だったんですよ。
るかちゃんて、本人が「意識を逸らしている」こととかもわかる人なのでね。
私が、「そこを見ないようにしてる」ことを、メッセージで伝えてくれてて。
当然の結果として、意味がわからんのですわ。
そんで。
何回か聞き直し。
カードの画像見ながら、聞き直し。
「なんのために、それをやってるのか?」
という質問。
何のためにって。
そんなん、「自分のため」に決まっとるがな。
けど、言いたいことは、「自分のため、の、その先」ということで。
その先?
そして、それを考える中で出てきたのが、前の記事にも書いたこと。
指示っていうよりは、「計らい」というニュアンスがより正確かな。
広げた手数を絞り込みにかかります、たぶん - 緋呂の異界絵師通信
これね。
見えない世界的な指示、というのではなくて。
私の、「その先」に対して自覚を促す、という計らい。
自覚を促すためにも、ここに書いちゃうことにしました。
私、何か一つでもいいから、「歴史に残したい」です。
実はほんの最近まで、そういうことにはヒトカケラの興味もなかったんだよねえ。
美術館の常設展とか、納骨所みたいな感覚になることすらあったし。
でも、ある時に、ふと。
「もし、私が作品なり、名前なりを残すことができたなら、私に関わってくれた大事な人たちのことも、同時に残せるかも知れない、ということなんじゃ?」
って、思ったんですよ。
私がすごくお世話になった(&進行形)の方の何名かは、もうすでに、残る側に入っている方達でもあるのだけど。
その可能性が、より、高まるし。
より、広がるんじゃないのかな。
なーんてね。
そう思ったら、なんか、やる気出てきてね。
自分のためには違いないけど。
本当に、自分だけのためだったら、そんなには頑張れないんですよねえ。
めんどくさくなるから。
けど。
私が連なっている人たちに、何かをお返しする機会を一つでも増やす、という意味では。
この「先」をちゃんと見るって、大事やな、って。
ずっと前に、とある方に、
「何かはわからないけれど、とにかく、常識を越えて長ーーーーーーーーーーーい」
っていうことを、言われたことがあって。
意味がわからなかったので、ツッコミして掘り下げてもらって。
そしたら、「たぶん、作品ですね。それが、常識を超えた長さ存在し続ける、ということかなと」っていうことに。
その時は、長く残すということには本当に、何の魅力も意味も感じていなかったので、「へえー」とか、めっちゃ棒読み反応をしてしまったんですが(笑)
でも、よく考えたらね。
作品って、ある種の「タイムカプセル」なんですよ。
その時、その時代、どういう流れの元で作られて、どういう流れの中でそれが残っていったか...ということが、共に情報として保存されるわけでしょ。
まあね、事実がその通りに保存されるかどうかってのは、わからないけれど。
でも、今の時代のこの文明の元ならば。
こうやって、本人が書いているものとかもある程度、どこかに痕跡としては残るでしょうから。
何世紀も前の作家の情報がなんかヘンな伝わり方している、っていうことと比べたら、事実が残りやすいとは、思うんですよ。
これは、タイムカプセルだな、って。
防水して缶に詰めて埋めることなしに、それよりもずっと広大な情報の網を、一つのモノを起点にして、投げかけることができるわけ。
そういうことを考えたら、自分だけのためと思ってる時には沸かない熱意が出てくるよね。
ということで。
今回、思いがけず、遠い先へと釣り針を投げるようなことになりました。
焦点を結ぶ、という。
るかちゃん、いつもありがとう~。