緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

自分よりも優れた人が常に近くにいる…それは天からの恵みである。

 

日々、移り変わる。

状況も、感じ方も、考え方も。

できることも、できないことも。

苦手なこと、絶対イヤと思っていたことすらも。

 

変わらないのは、今自分が生きている、っていうことだけかも。

そして、それも、次の瞬間にはどうなるか不確定。

 

 

迷ったら、困難と思える方を選ぶ。

その方がカッコイイから。

 

これは、尊敬しているある事業家の方が、よくおっしゃってた言葉。

 

 

私の前には、常に、かなり先を行く人がいる…と、ずっと、思っていた。

若い頃…というか、物心ついた頃から。

なぜか、すぐ近くに、自分のしたいことを、すごく上手くやれる人が、常にいる。

それを思った、一番最初の記憶は、幼稚園児の頃だ。

以後、本当に、ずっとずっと、常に、目の前には、私がやりたいと思うこと、やっていることのレベルを数段飛ばしで駆け上がっていくような人とか、すでに数階分上にいるような人がいた。

 

そんなことが度重なり、いつの間にか私は、自分は決して、一番という位置にはつけないのだ、と思うようになった。

背の順で一番前になる…という以外に一番になることはない、と。

 

比べるフィールドを変えて、他に人がいないところに行けばよい。

なーんて、思った頃もあった。

幸いにも、嗜好性はいささか、人とズレているところがあったので。

変わってるね、と言われることに偏向した快感があったりもした。

 

 

今も、前に誰かが常にいる、という状態には、変わりない。

というか、それがなくなる、ということは、あり得ないのだと今は知っている。

 

そして、今は、それが恵みだったことも、知っている。

 

あれくらいできるようになると、次にはああいう可能性がある…とか。

上ったら見える世界を、想像させてくれる。

 

前を行く人が踏み固めてくれた道、というものが、ある。

 

それはその人の道であって、私の道の先頭は常に自分以外にはいないのだけど。

次の一歩を、どういう風に作るかという想像をさせてもらえる。

そして、それをいかにして変化させるかを考えるのは、楽しい。

 

今でも、「あの人に比べたら自分なんてカスみたいなもんだ」と凹む瞬間は、ある。

それはもう、仕方ない。

事実、そうなのだし。

 

でも、次の世界を見せてもらえるということの暁光を思えば。

そんな小さいことは、どうでもよくなる。

 

願わくば、私自身の道筋も、後の誰かにとっての暁光のヒトカケラにでも、なれればいい。

誰かが手にする、カンテラの種火になれば。

どこで、誰が、どんな状況の下で、見ているかわからない。

その細い細い一筋が、蜘蛛の糸になるかも知れないのだ。

 

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