挑み続ける、荒波を起こす。
挑み続ける人、というのが好きなんだよね。
結局、そういうことなんだね。
自分が徹底できない、やり切ることがなかなかできない。
その願望を投影しちゃう、っていうのもあるし。
シンプルに「見てて面白いから」ってのもあるし。
時々、呆れたり、うんざりしたり、ヒヤヒヤしたり、げんなりしたり…ってのもあって。
それも含めて、「何かを起こす」ことを期待する。
そういう人が好きだ。
…ということは。
たぶん、自分自身も、そういう風にありたいんだよね。
荒波を起こす人。
ちょっと、付き合い方にコツがいる人。
今までもそういう人と付き合ってきたけれど。
間合いを計るのは、なかなか、難しい。
近づきすぎても、離れ過ぎても、具合がよくない。
関係性の破壊にも繋がってしまう。
私が壊さなくても、相手が壊してくることもあるし。
やった、やられた…は、お互い様で、100%片方が悪いってことは、滅多にない。
大勢の人と関わることを役割とした人っていうのは、すごいと思う。
どういう職業/立場であっても。
私は、最終的には一人で黙々とやることが自分の職分なので。
付き合うのは、この気難しい己だけ…という場面が多くて。
それは、とても楽だ。
人を気遣う必要がない、っていうのは、ホントに楽。
配慮が足りない、という表現のもとに求められる種類の努力は、磨耗するだけ。
何一つ創造的ではない。
そんな風に本気で考える私には、大勢の人の中にあって荒波を起こす人達というのは、それだけで驚異の存在でもある。
他人は、みんな、スゴイ。
私にはできないことが、普通にできる。
だから、私は自分ができることを、もっと深めていこう…と、思える。
自分にしかできない波の起こし方…っていうのはね。
ひとまずこれならできる…ってことを積み重ねていくうちに、作られていくもの。
最初からいきなり、そうなるものじゃない。
大きな波を起こす人は、挑み続けてきた積み重ねがある人で。
小さな小さな波しか起こせない人とは、圧倒的物量の差があるのだ。
それはもう、動かしようのない差なのだ。
小さい質量しかない者には、小さい波しか起こせない。
それが、平等ということ。
自分が大きな波を起こす者になりたいのなら、その圧倒的物量差に挑み続けるしかない。
だから、挑み続ける人が好き…なんだな。
そう思いつつ。
私自身は、深海に潜って海底で石化したい派なんだけどね。