10月がそろそろ終わりに近づいていて、自分のサイクルが一つ回る、その直前…
直接絵描きではないお仕事の方が、かつて美大受験経験者だったり、卒業生だったりされてるのを知るってことが、時々ある。
そういう時は、学生時代劣等生だった私は、居心地が悪い気分。
なんせ、完全にその世界から遠い人たちを除けば、絵に関わっている総人口のほとんどは、
(ここらへんは己の過度な想像であると思っているけれども、上っ面の皮の下では全く納得できない感情の問題)
絵描きを名乗ってる私よりも断然、「上手い」のだ。
※上手い、という定義も様々あるが、今はそれを論じない。
なんせ劣等生だったからなあ〜。
しかも、真面目でもなかったし。
美術系の高校に行って、2年生の時にはもう、大学受験はほとんど視野に入れてなかった。
美術科高校の授業なんて、ほとんどは美大受験のためみたいなものだ。
もとから大して真面目でもなかったので、一層、手抜きするもんだから、そりゃあ成績惨憺たるありさま…は、当然。
飽き性の私には、あの、同じ課題を8回合計24時間続けなくてはならないというローテーションは地獄だった。
全然絵の体裁がなってないとか、描き込む余地だらけだとか、そんなのもうどうでもよくて。
もうこの課題(静物だったり、モデルさんだったり…とにかく同じもの)なんて見たくもない。
だからサボる。
サボって何やってたか…といったら。
小説書くのに命かけてた。
決して大げさな表現ではない。
別にプロになろうとしてたわけではない。
とにかく、書かないではいられなかった。
まさに、「寝ても覚めても」ってな具合。
小説を書く…というよりは。
そのネタとなる世界の構築そのものに、没頭していた。
あれは、今思えば、一種の病だ。
そして、結局、今の私がやっている「絵描き」のステップは、あの頃小説書くための世界を創る行程と、なんら、変わることがない。
おかげで、人から「あなたのやってることは、チャネリング」などの類いのことをさんざん、言われても、どうにも納得できなかった。
ある人は言った。
「瞑想の時とかに見えるイメージはね、そんなの、作ろうとして作れるものじゃないんだよ。だから、見える(感じる)ことを素直に受け取っておけばいいの」
いやいやいや…おねえさん。
作れるよ。
いくらでも作れる。
起承転結まとまってなくて、突飛でなんでもアリで、突然途中から始まってもいきなり切れてもOK…なんて。
そんな妄想、いーーーーーーーーーーくらでも、作れます。
中にちょろっと、あなた方誘導する側が「出すと喜ぶ」エッセンスを入れておけば、カンタンカンタン。
(舐めてるけどね…ごめんね、あの頃ご一緒した方達)
現実に、瞑想会でシェアの順番が回ってきて、全く何も言うことがなくて困った時、ひねり出したこと、何度もあるし。
( ↑↑ これは本当はNGですよ。ないなら、ないと言うのが正しい)
まさに。
これこそが、私がどうにもこうにも、スピリチュアル業界の人達の展開しているメソッドの中に入っていけなかった大きな問題。
今は、若い頃にやってたことと、現在私がやっていることの境目など、実はどこにもなかった…と、納得している。
そして、「作ろうとして作れるもんじゃないから」と言ってた人の言葉は、一面で、確かに正しいと、今では思っている。
昨日、長い記事を書いた。
そして、下書き保存したまま、寝た。
この記事への、自己回答のような記事だった。
私にしては珍しく、即時投稿をためらい。
結局、公開しないことにした。
その回答は、あまりにもバカバカしくて。
長文を書いてぶちまけてみたら、ほんと、本気でバカバカしくて。
上の、水平線で区切った段落よりも前。
そこに書いたことに、お蔵入りさせた記事に書いたことは、リンクしている。
とどのつまりは。
「お前は単なるマガイモノだ」
と、自分の中に未だに、チクチクと刺し続けている自分が残ってて。
ちょっと、重なって受けたある質問をきっかけにして、うっせきした瘴気が漏れてきてしまった、っていうこと。
けれど、「これがまだ残ってた」ことが把握できたから、まあ、収まるでしょう。
今日は何回引いても、これが出る(笑)
あと一つ、どうすべきかと考え中のことがある。
誕生日前は、ほんと、いろいろ出てくるよね~。