一人じゃ大したことできないけれど、必ず1以上であることが条件だ…と忘れてないか?
人は、一人の力でできることなんて、知れている。
本当に、そう思うし、実感もしてきた。
たぶん、これからもっと、今までとは違った場面で、さらにしみじみと感じるようになるのだろうと思う。
ただし。
その「一人じゃ大したことはできない」は、前提として
一人でも、それなりのことができる
ってことが、必須だ。
0×0=0
だし
100×0=0
なんだ。
誰かが0なら、組んだ仲間の結果も0になってしまうのだ。
何かを人とやる、ということは、一人でできる以上の結果を導き出さねば、意味が無い。
つまり、一人が1のままでも、意味が無いのだ。
最低でも、1以上。
小数点以下のケタがすごく大きかったとしても、1以上。
そうでないと、人とかけ算しても、その人の結果を削いでしまうことになる。
それでいいのか?
ダメだろう。
なんのために、組むんだかわからない。
相手の結果を削いでしまうくらいなら、組まない方が良い。
けれど、世の中、えてして「削いでしまうことが、わからない」人がいて。
そういう人ほど、人との掛け合わせ効果への期待が大きくて。
結果として、誰のためにもならない「コラボ」が、多発している。
自分がまず、1以上のものを相手に差し出してからだ、誰かと組むのは。
人のパイを狙って組むのは、お門違いもいいところ。
組もうとしている相手が、1未満の人でないかどうか。
見極める目を持とう。
そして、自分が相手にとって1未満でしかないのか否か。
自分のことも、厳正に見極める基準を、自分の中に持とう。
それから。
持っているものは1以上でも、在り方がマイナス…という人が、一番やっかい。
そういう人は、ちょっと見ただけでは、わからない。
気をつけるポイントは、その人が無意識に使う「口癖」にある。
なんだかんだ、マイナス発言に繋げる接続詞を多発しないか?
その口癖は、その人自身の結果をマイナスに導きもするし、組んだ相手の結果をも、マイナスに導く。
「でも」「だって」「どうせ」は、代表的によく言われる口癖。
動かなくてもいいための理屈をひねり出すばかりの口癖だから、それを多発する人とは組まない方がよい。
「結局……だから」も、その一つ。
結果に向かうために力を貯めようとしているところに、それらを浴びせかけ。
一見、冷静で現状を見ているように見えるけれど、その実、向上を阻む。
予測の範囲内に納まるように…つまり、その人の器の中に楽に納まるように。
つまり、器以下の大きさにまで。
あらゆる着地点を、引き下ろそうとする。
「そんなに甘くない」「上には上がいる」
そういった言葉も、その仲間。
身の丈がどれくらいかなんて。
ぶつけてみなきゃわからない、ってことも、多いのだ。
想像で測っているだけなんだから。
実測したら、意外にそうでもない、ってことは、たくさんある。
逆に、思ってたよりも実測値が高くて、予想を超えてできなかった、ってことも、あるさ。
そういう痛さを味わう前に、痛くないように飛ぶのをやめる…ってのが、マイナスに繋げる口癖の人達の常套手段だ。
賢いように見えるだけの、賢さとは無縁の人達。
彼らのやっかいなところは、結果が予測を超えて良いものになった時ですら、それを下げさせようとすることだ。
彼らにとって脅威なのは「振れ幅が大きいこと」であって、それはマイナスでもプラスでも同じこと。
変化することが恐ろしいのだから。
遙かに良い結果が出ても、そこに冷や水を浴びせて消火にかかる。
そんな人と同じ船に乗らない、乗せない。
途中で気づいたら、毅然と下りてもらう。
あるいは、自分から下りる。
その厳しさや潔さは、必要だと思う。