〆切りがないとできないなら本当にしたいことじゃない…なんてもっともらしく言う人へ
〆切りがないとできないことは、本当にしたいことじゃない…とかね。
言う人もいる。
けれど、〆切りがあるって、エンジンかける、ギア入れ替えるためには、よい機会になる。
〆切りがなければやらないことなんて、本当に好きでもやりたいことでもないんだ~。
なーんてさ。
それは、「そう言っておけば、やらなくても済む」人が、声高に叫んでいるだけなんじゃないの?
って、思う。
〆切りは、自ら設けることだってできるのにさ。
そうはしない、という人の方がずっと多いじゃん。
〆切りがなくても、やれる人は、やれる。
それは、確かにその通り。
でも、そういう人もいる、ということをタテにとるのは、カッコ悪い。
〆切りがあったからこそできた、ということの、何が、揶揄されなきゃならないことなのか…と、思う。
そんなことを、「本当に好きでもやりたいことでもないんだ」というラベリング材料にしなきゃならいくらい、何も動けてないってことを、暴露してるようなもん。
たとえ内輪の小さなイベントだとしても、〆切りがあることでぐっと進められることもある。
それを、自分的な大きな節目にするかどうかも自分だし。
その節目を利用して動ける人達は、どんどん、行動している。
どんどん、やりたいことをハッキリさせていき、進めていく。
どんなカタチであっても、何か、区切りとなることを...それが〆切り。
それをやって、次にまたやって…と、繰り返していくから、後で振り返った時に「あれは本当に、節目だったんだな」と、理解できるんだよ。
それは、やった者にしかわからないし、やった者にしか見えない景色。
そしてね。
カタチにする、ということは、「誰かに見てもらう」ことが必ず伴うことであり。
そうするには、必ず、〆切りというものが必要なんだよ。
人のやっていることをバカにするのなら。
自分はどういう風に展開するのか、別に同じ種類のことをしなくてもいいから、自分はどうやるのか。
せめて、自分自身にくらいは、ハッキリ見せてあげたらいいんじゃないのかな~。
7/21~26に、名古屋市北区の「箱の中のお店」にて合同展開催です。