頭を使うってどういうこと?何も出てこないけど、今とても楽で快調
頭を使う…って、どういうことなんだろう。
よく使われる言葉だけど。
それ、一体、どういうことを指しているのだろう。
昔…思考とは、己の中に蓄積してきたデータベースの照合だ…みたいな感覚だった時代があった。
今や、あれは一体誰だったんだろう、と本人が不思議で仕方ない感じなんだけど。
けれど、年数にしてみれば、それほど遠くない昔には、実際にそうだったことが、あった。
けれど、懐かしい…という気すらしない。
老賢者が理想だった。
今も、まあ基本はそうだけど、「賢者」でなくても全然いい。
もはや、使う頭がどこにあるのかすら、よくわからなくなってるし。
今にして思えば、あの頃の思考ベースは、外部ユニットだったのかも知れない。
いろいろと工夫して作ってきた、鎧の一部とでもいうのか。
これは、まだつい最近のことだけど。
複数の人から、「もっとどんどん、ぶっちゃけて」みたいなことを言われた。
思ってることを、ガンガン書いてほしい、って。
その時は、「おお、そうなのか。じゃあ書くか」とか、思ったけど。
…書く事が、ない。
湯水のごとく湧き出る長文、というものが。
ここのところ、ついに、枯渇したように思えるくらい。
なにも、出てこない。
まさかこんな日が来るなんてね(笑)
ある人が、「それは、今まで住んでいた世界から離れたからだ」と、言った。
言いたいことが山程あって、次から次へと出てきていた頃に住んでいた世界。
そこから離れたら、それまでのような思いは出てこなくなって、当たり前。
離れて、次の世界に着地するまでは、どっちつかずだし。
自分の感覚は、古い馴染みの世界にまだ居るつもりでいるのに、呼吸している空気すらも、もうすでに違ったものになっていて。
当然のように、今までの世界で燃料になってくれた成分は、新しい世界には無いか、あっても役割が違ってて。
データベース照合ユニットは、もう、切り離してきてしまった。
それは、わかる。
原始的なところしか残ってないので、昔のように知識も引き出せない。
かといって、絵だって、自分の中から湧き出てくるものを描いてる人間じゃないので。
思想を描いてきたわけでもないし。
文章で出来ないなら、絵で出せばいい、っていう話でもない。
そもそも。
出したいものが、何も、出てこないのだから。
ここ最近は、人の記事も読む気になれなくて。
SNSの投稿なんかも、ほんとに、チラチラとしか見てない。
読んで考える気にもなれない。
でも。
今のこの状態は、すこぶる、楽で快適だ。