巨額資金があれば、な妄想を語る… 「廃校でクリエイター村」の巻
100億あっても1000億あっても仕事してると思う。
そんなに資金あったら、思いついっちゃった「でっかいビジネス」のアイディアを思う存分やってみたい。
これは、青山華子さんがFacebookに投稿された内容の、最後のところ。
「余談」として書かれていた。
投稿の内容は、かさこさんのブログ なぜ多くの人は「好きを仕事」にできないのか をシェアしての
「好きを仕事に」というのがピンとこなかったのは、自分が好きなのは「ビジネスをする」ことだったからなんだ!
と気がついた…というお話。
青山華子さんをご存じない方は、こちらをどうぞ。
私にも、そんな規模の資金があればやってみたい妄想がある…っていうこと。
上に引用した文章を見て、それをちゃんと書いてみようかな、と思えた。
そう思えた同じ今日、別の方に口頭でその話をすることになったのは、奇遇と言えば奇遇。
流れと言えば、流れ。
その「妄想」の発端は、2012年2月某日、大阪で受けていた某講座中のワークにあります。
「腹の底から沸き上がってくるような<欲望>」を列挙しなさい。
そんなテーマのワーク。
ぶっちゃけ。
私には、そんなの、ないです。
当時も、なかった。
でも、「ない」という回答は許されない。
何かを探す…その、探す行為にも意味がある。
そこで書いた答えが
「蔵を建てる または 島を手に入れる」
でした。
結局それ一つしか書く事ができなかった。
蔵というのは、若い頃から不思議な偏愛の対象です。
そこに住みたい。
その中で仕事したい。
「何かを収納・保存しておくため」のものではなく、自分自身の場とするための蔵です。
「または島」これが、今の私の妄想のモトになった発想。
当時も、その島を使って何かを提供する…という発想だったので、自分が住むための場としては、あくまでも「蔵」が主。
手に入れた島に蔵を建てて住み、島はフィールドとして提供する。
それが、当時の発想でした。
講師の方や同じテーブルの参加者さん達とあれこれ、それについて話をして、その中から「コミュニティ」というものが出てきました。
当時はコミュニティってものにはピンとこなかったけど。
今は、そうでないと私の目的は達しないことは、わかってます。
そして、今は、「島」が「ムラ」に変わっています。
島でもいいけど、あまり孤島では困る。
なぜなら、そこを「クリエイター村」にしたいのだから。
一番適しているのは、「片田舎の廃校」をリノベーションする方法。
そこを「世界にある、あらゆる画材や工具類を取りそろえて、人が滞在してじっくり試すことができるようにする」を実現するためのフィールドにする。
泊まれる…場合によっては住み込みもアリな施設を設け、ある程度の期間は腰を据えて「試す」ことができるようにする。
どんな技法も、ちょっとやってみただけでは、実際どんなものか…っていうのは、わからないものです。
だから、それなりの期間、試せるようにしたい。
定期的に来るもよし、一定期間住むもよし。
一つのものをずっとやり続けるもよし、日替わりであちこち手を出すもよし。
やってみて、「これなら自分で道具を揃えよう」と思えたものを、自力で調達すればいいわけです。
なにしろ、どんな技法も、道具も、ちょっと興味があるっていう程度では揃えるの大変。
イチイチ、お金がすごくかかる。
でも、ある程度納得できるくらい試す機会があれば、納得のいくものだけ選ぶことができるようになる。
やってみたいけど、買うほど投資はちょっとなあ…と、あきらめている人の中に、スゴイ才能が埋もれてるかも知れないのです。
それがもったいない。
人類の損失。
また、人が試しているのを見て興味を持つとか、刺激を受けるということも多々あります。
一緒にやってる間に、ユニット化したり、ビジネスアイデアができあがってきたりすることもあるだろうし。
組む相手を探しに来るっていうのも、アリだね。
広いスペースを使って巨大な作品を創ることもできるし。
ギャラリーやワークショップの場も、複数設けることができるし。
人が集まるところに必要なサービスを提供してもらう…ということで、カフェやレストランをやってもらったり。
地域の農産品やお総菜を販売するもヨシ。
もちろん、本来の役目だった「教育」の場としても使えるし。
クリエイター支援の機能も果たせるかと。
場所は、三重とか滋賀、福井あたりがいいかな~。
で、私は、そういうのが現実になったら、たぶん、もうそれで満足する。
その後の経営とか、場合によっては拡大とか、そんなことは、それが得意な人に全部やってもらいたい。
維持することに意欲も興味も、持続しない人なんですよ、私って。
そういう場ができたら、自分も使いたい時使いたいものを使うことができたら、それでいいかな…と思う。
そこを踏み台にして、新しくいろんなビジネスを作って行く人がいれば、それでいいし。
この考え方、小原の工芸村を起こした藤井達吉翁に、少し、近いかも。
藤吉翁のことを小原に行って知った時に、そう思いました。
行政などがよく、構想だけは立派なハコモノを作るけれども。
立派な建物や施設がいくらあっても、それでクリエイターが楽しめるか…っていうと、そうじゃないと私は思う。
もちろん、キレイで整った設備は便利で嬉しいものだけど。
なんか…生きる意欲っていうか…創造のモトというか…
そういうものは、もっと違うところから出てくるものだ。
自宅から、通える範囲のところにある教室を見つけて通ってみる。
それはそれで楽しいのだけど。
その取り組み方では見えてこないものって、たくさんあるし。
その取り組み方では不完全燃焼が続くだけ…っていう気がする。
願わくば、フィレンツェみたいな「全体が工芸の街」のようなシステムになればいい。
それを、「テーマパーク」としてではなく、現実に存在する村として作れたら。
…というのが、妄想。
でも。
実際には、それを現実にしようとする程の熱意は、私にはない。
多分、本当にやってしまう人って、そんなことグタグタ書いてないで、ほんの小さな足がかりからでも引き寄せていこうとする現実の行動があるはず。
今日、夕方にお会いして話をした方が、
「ぼくならアパートを一軒借りて、そこを拠点にまず小さくやってみるかなぁ」
って、おっしゃった。
たぶん、そういう現実の動きを積み重ねていける人が、最終的に大きなものを生み出すんだよね。
じゃあ、まずその「現代のトキワ荘」になるものを作るために何かを……
って、そういう風には、あんまり、思えなくて。
でも、彼は
「今まだ、何からやればそこに行き着けるか、ということが具体的に見えないからヤル気出ないだけじゃないですかね?」
と、言ってた。
そうなのかな。
よくわからん。
でも、私だけじゃ絶対に実現不可能だ、ということだけは、間違いない。
そこは自信ある!
そして、実際にそれに近いことをすでに現実にしている人が私の身近にいます。
私はそのバックアップを受けている身だから。
そういうシステムがもっと、大きく広くなることで、どれだけ多くのクリエイターが伸び伸びと作ることができるようになるだろう…って、本当に、思う。
そんなのが、私の中にある「巨額の資金が自由になったら」という妄想。
けっこう細かく具体的に思い描くことはできるんですよ。
見てきたように…というよりはもう、「行ってきたかのように」という感じ。
それは、私の「未来志向」なる資質のなせる技…らしいですけどね。
※ストレングスファインダーの分析コンサルによる。その件はまた後日。
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