過去より未来は楽しくなる。「同じところを目指す」誰かがいると、もっといい
かさこさんを通じて、ブログを拝見するようになった ギタリストぽんきちさん の記事をシェアしました。
毎週末がライブだとそんな感覚だったのですが、よくよく考えてみると 1ヶ月は30日ですから、 音楽は生活の30分の4、もしくは30分の5だったんだなと・・・今は月に2~3本なので30分の2、もしくは30分の3に過ぎない。自分は音楽ができていると思っていたのは錯覚だったのです。裏返して考えれば、普通の人々がいかに音楽ができていないか・・・音楽三昧になることがいかに難しいかということなんだと思います。
Posted by 川上 息吹 on 2015年8月18日
一部、引用します。
30年前と今ではすべてが同じではありません。
メジャーデビューして、普通にCDが出て、オリコンに入ってという既存の商業ルートしかイメージできなかったあの頃と今では明らかに違います。
あの頃には存在しなかったものが今はたくさんある・・・このブログを発信するネットもそうですし、音楽の表現方法もそうです。
そして、何よりも残された時間が違い過ぎるのです。
諦めてきたことはもう充分過ぎるほどあります。しかし、追いかけてきたことはまだまだ足りない。
今から追いかけても途中で命が尽きてしまうかもしれないなぁ・・・でも、このまま何もしないことの意味がどこにあるのか?夢を持てない人生の意味を探ることの方が難しい。
夢は叶えるためにあるけれど、追いかける過程の楽しさもきっとある・・・ぽんきちは過去よりも未来が楽しい方がいいとシンプルに考えて生きてみたいのです。
音楽だけではなく、あらゆるジャンルで、30年前と今は状況が違います。
自分で発信することができる…それを不特定多数に送ることができる媒体は、30年前には存在してませんでした。
印刷物や公共電波、イベント。
どれを取っても、昔は莫大な資金が必要で。投入したところで、全て消えてしまう可能性も高かった。
今は、わずかな資金や設備があれば、発信が可能です。
もちろん、狙ったところに届けるためには、それ相応のスキルや努力、時には大きな資力も必要です。
それでも、チャンスは昔に比べたら全然、違う。
私はあまり「夢」という観念を持ってません。
もちろん、こういうのを一般的には夢というのだろうな、と思う妄想は、あります。
あるのだけど…
積極的に叶えたいと思わないことだったりするのです。
(つまり、叶わない前提…ということになるかな)
それよりも。
私には、「この人の思い描く未来を現実にしたい」と思う「他人の夢」があって。
それを叶えるための過程で、私自身も、叶わない前提の夢に少しでも近づくことができる…と。
なんか、表現が難しいのですが、そういう「夢」があります。
もっと正確に言うのなら…それは、「その人の夢であると私が想像しているイメージ」ということになるのですが。
私は、どうも、自分自身だけのため…というのは、がんばりきれないのです。
だから、それがあることは、とても幸運です。
過去よりも未来が楽しいほうがいい…と、シンプルに考えて。
今は、「人よりも自分を優先」とか「自分のためになることを一番に」というのがベストである、という風潮です。
私も、そうだとは思っています。
でも、それも、「一面」にすぎない。
ある一面では、それがベストだ、ということ。
誰かの夢(と思っているイメージ)を実現するために。
その夢を、一緒に見て、実現したいと思う。
それが自分のためにもなる。
その人の見ている世界は、とてもとても広い。
私には、一生かかっても見られるようにならない広大さ。
一人では、見るどころか、思い描くこともできなかったであろう世界を、想像させてくれる。
それだけで、私がその人の夢の手助けをしたいと思うに、十分な理由。
もしかしたら、私には、制作三昧ができるかどうか…というのは、あまり問題ではないのかもね。
そうなれば、それはそれで楽しいし、素敵な生活になるね。
でも、30分の5しか制作三昧でなくても、それも、いいね。
そのためには、私一人では、足りないね。
「一緒に」という意味ではなく、「同じところを目指す」誰かがいると、もっと、いい。
なんか、そんなユルユル加減で、過去より未来が楽しいであろうと思うのでした。
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