修練は続く。
書かれた文字は遺伝される物質体だ。言語はエーテル体であり、本の生命だ。物語はアストラル体。歓喜と苦悩を語り、様々な「登場人物」を描写する。自我は全体の理念である。この理念は別の文字や別の言語、そればかりか他の物語でさえ実現されうる。高次の自我は、これら全ての背後に立つ詩人である。
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015, 5月 4
Twitterで発信されてくるミヒャエル・エンデの言葉たち。
上のは、その一つ。
言い回しは難しい感じになってるけど…
私の感覚に、けっこう、近い。
神と人…という概念にも、近い。
自分は絵描きなのに、こういった感覚をどうやったら絵にできるのか、さっぱりわからない。
圧倒的に、視覚に訴えるヴィジュアルの方が多くの情報を発信できるツールだというのに。
「わたしは絵描きだから、言葉で語るのではなく絵で語ります」
と言って、抽象概念を一枚の絵にして見せている人を、存じ上げている。
どうやったら、そういうことができるのか…残念だけど今の私には、わからない。
どのように描こうとしても、少しズレが生じる。
かといって、言葉に置き換えようとすれば、それはそれで、またズレる。
絵だけ、言葉だけ…ということではなくて、もっといろんな手段を織り交ぜたやり方を編み出さないといけないのかも知れないし。
単に、絵も言葉も使い手として未熟なだけなのかも知れないし。
いずれにしても、修練は続く。