旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

ずっと「仕掛けられる側」のままでいるのか否か 革命のファンファーレを己が人生で鳴らそう

話題の本、「革命のファンファーレ 現代のお金と広告」読みました。

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

 

 

西野さんの本は、昨年の「魔法のコンバス」も、「えんとつ町のプペル」も買った。

そしてもっと前に、西野さんが一人で制作させれていた頃の絵本のうち、「Dr.インクの星空キネマ」も第二版のものを持っている。

 

芸人としての西野さんは知っていたけど、「知っている」という程度。

レギュラー番組は、家族が見てたように記憶しているけど、私はもともとテレビを見ないので。

西野さんについては、絵本が出た時に書店で見て、「なんだこれ、すげえ!」と思って買ったので、芸人だから云々という意味では何も、思うことはない。

 

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今回の新刊は、「魔法のコンバス」に書いてあったことを繰り返している箇所が多いので、前書を買う方がいい、という意見も聞いている。

が、私はそうは思わない。

 

繰り返しているところは確かに多いけれど。

一言一句同じものが再録されているわけではなく、前書の後に起こった出来事を踏まえて改めて書かれているわけで。

そして、前書の頃と現在とでは、時代はすでにまた流れていて。

読み手も違う。

私は両方を読んでいるけど、去年の私と今の私は感じ方が全く違う。

 

西野さんのブログ等を読んでいれば、書かれていることの大半は、「既読」な感覚になることばかり。

ただ、それを、「記事」という刻まれた単位で読むのと、まとめられたものとして読むのとでは、全体のフォルムはまるで違う。

 

だから私は、前書を持っている人やブログ読んでいる人はもう買わなくていいよ...なんてことは、思わない。

 

前書は、タイトルの通り「コンパス」だった。

本書は、タイトルの通り「ファンファーレ」だ。

  

 

プペルは、西野さんの個人販売サイトで予約して買った。

かなり最初の方だったと思う。

かなり待って、届いて、それからほどなくして「全編無料公開」があった。

紙の本とデータ、それは「同じもの」ではない。

だから、その意味で、データを公開したからって「本を無料で配布」したことにはならない、と私は思った。

中身が読める、絵が全部見られる...それが何か?

本という物質として完成された「作品」は、データとは似て非なるモノだ。

データをどれだけ無料にしたところで、本は本。

買った客に失礼だ、という意見もたくさん見たけど。

そもそも、「それは同じものじゃない」のだ。

 

 

もしかすると、私は、そういう感覚そのものは、西野さんに近いものを持っているのかも知れない。

制作過程や材料なども、別に何も隠す必要はないと思っている。

だから、「調合した釉薬や絵の具」を売ってほしいとお願いして断られた...などの時には、もうそれ自体が不思議でたまらない。

同じ材料を使ったからって、すぐに同じクオリティになるわけがないし。

クオリティが並んだとしても、作るモノの方向性は全員違う。

そういうところを拒否する、というのは、それ自体が

「わたしの手がけているものは、薬剤ありきであって、薬剤のポイント以外はたいしてないのです」

と自分で宣言しているようなものじゃないか?

 

そんな風に、様々、「既存の在り方」には疑問を持つことが多い。

※もちろん、その薬剤が手に入らなければ「望む結果を引き出すことが困難である」という現状を見れば、苦労して調合した薬剤をホイホイと他人に使わせるに抵抗を持つ...というのは、わかることはわかる。まあ、だから「売って」と言っているのだけどね。くれ、って言ってるわけじゃなくて。

※実際に私は小分けしていただくことができたので、理解のある作家さんを通していて幸運なわけだが。

 

 

 

しかし。

私には、「疑問を持つ」レベル以上の発想が、なかなか、生まれない。

自分が何を作るのか、というところはともかくとして。

そういう疑問が出てきた時に、それを徹底的に考え尽くして「じゃあ、こう仕掛けよう」というところまで育てあげ、それを実行する。

そういう執念のようなものが。

今ひとつ...というか、ほとんど、私には欠けている。

そういう役割じゃない、とか言うのは簡単だ。

それで片付ければ、「できる人がやればいい」と眺めていられる。

 

しかし。

しかし。

しかし。

 

面白くないじゃないか。

 

昭和40年という時代に生まれて。

平成になった時にはもう成人していて。

Windows95とインターネット黎明期を通り、iPhoneとスマホの登場を経て現在に至る。

その流れの中で、ずっと生きてきて。

今や、あらゆるシステムが根底から様変わりして仕組みが覆されていく中で。

何かを生み出す、ということをライフワークにして生きていて。

 

なぜ、自分は、「なぜだろう」から、「仕掛ける」へ構築しきることができないのか。

 

 

ほらほら、またぞろ「できないところにフォーカス」してるよ。

...と。

そういう見方をする人は、思うかも知れない。

 

もし、本当にそう思った人がいたら。

「じゃあ、あなたはそのまま、できるところだけ見て生きていけばいい」

と、お返ししましょう。

 

できないことを直視し、そこに悔しさを味わう。

それは、伸びしろを叩き伸ばすためには必要なことなんです。

したくない人は、しなくてもいい。

私は、そこに「まだ可能性がある」ことを知っているから、やめないだけ。

 

 

自分の作品一枚、売り上げることができない人間が何を言うか。

そんなことは、自分が一番よくわかっている。

だからこそ、「なぜだろう」と、一層思う。

 

そういう意味でも、こうして、仕掛けてきた道筋を教えてくれる人や本の存在は、何ものにも代えがたい、ありがたいものだ。

 

 

他人が鳴らすファンファーレを聞いてるだけで、満足ですか?

自分の人生でも、鳴らしたくないですか?

 

私は、鳴らしたいよ。

 

 

 

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「オモシロ消防訓練屋」のブログ閉めに学ぶ「ウザくない毎回自己紹介」手法

アクセス解析について先日、オンラインでのセミナーを受けた。

Web制作時代、Googleアナリティクスは必然的に触れることはあったのだが。

当時は「Webマスターツール」なんて名でアナリティクスの中に含まれていた機能が独立して別サービスになっていたりして、もう昔の記憶はほとんど役に立たないのは、知っていた。

 

そこで、現役プロの方が開催した、オンラインセミナーを聞いた、という。

 

その中で、説明に出てきて、印象に残ったフレーズがある。

 

「同じ内容を、何度、何記事、書いてもよいし、むしろ大切なことは毎回でも書くこと」

 

という。

 

インターネット時代になって、本と何が違うか...と。

それを、かつて制作者時代。

クライアントの担当者や、決裁権者に納得してもらうのがいかに大変だったかを、思い出した。

冒頭から読むもの、と思っている人たち。

いやいや、紙の本だって、頭から読むとは限らない。

目次を拾い読みして、必要なところしか読まない...という人は多い。

小説などの、冒頭から読む必然性があるもの以外は。

 

それが、Webサイトになれば、更に顕著になる。

基本的に、検索エンジンにヒットしてくるのは、該当するキーワードが含まれている「そのページ」であって、サイト全体ではない。

100ページあるサイトの中で、たった1ページだけが検索エンジンに拾われて、そこにダイレクトに人は来る。

その仕組みが、なかなか、理解してもらえなかった。

作る側の希望の通りにメニューを並べておけば、その順番でおとなしく読まれる、と思っている担当者さん達。

当時の偉い人達は、今すでに引退されている年代だ。

そもそも「改行位置」に執拗にこだわる、なども、仕組みを理解していない人達にありがちだった。

ページ幅を変えれば改行位置も変わってしまう、ということを、どうしても理解してもらえなかった...なんてことは、よくあった。

 

 

そんなことを、思い出しながら。

はたと、我が身に返る。

 

読みに来る人は、「1ページだけしか見ない」場合がほとんどなのだ。

それすら、全部は読まれにくいのだ。

 

なのに。

大事なことを、伝えようとしてるか?

 

 

毎日更新されるたびに読みに来てくださるようなありがたい読者様ばかりではない。

そういうありがたい方々にとっては「毎回ウザいよ」ということになりかねないのだけど。

それでも、伝えるべきことは、なんとかして、毎回入れられるような構成を、考えるべきではないのか。

 

バナーを貼っておけばいい、ってもんじゃない。

 

単に貼っただけのバナーは、逆効果になることだってあるのだ。

 

 

私が何者か、何を中心に活動している人間なのか。

それを、何かのキーワードで検索エンジンから来てくれた「一見さん」は、わかるだろうか。

 

否...だろう。

 

 

記事の内容だけじゃない。

1記事の中に含めるべき項目も、あらためて考えなきゃならない。

 

毎回、肩書きから名乗って記事をはじめろ、ということではない。

それは本当にウザいから、私も読み手としてそういうのに出くわせば、読むのをやめるレベルのものだ。

だから、そういうことではない。

 

サイト内リンクをウザくないように張り巡らす...とか。

そういうテクニック的なことも大事なんだけども。

 

それよりも。

「何をしてる人間で、どういうものを扱っていて、どういうスタンスで生きてるのか」

てことを、一見さんにとっても「ここ見ればいいのかな」ということをはっきり提示する、ていうこと。

または、ちょっとした一言によって、何者であるかイメージできるようなフレーズを駆使すること。

 

 

知り合いのブロガーさんが、その点実に面白くて有効な手段を用いている。

即座に、そのやり方が浮かんだ。

 

それは、

「毎記事、閉めに会社ロゴと、毎回違う文言で端的に特徴を出したキャッチフレーズを入れる」

という手法だ。

 

こちらのブログである。

mazu-jibu.com

 

スクリーンショットでご紹介したい。

これは、10月7日の記事の閉め部分だ。

この記事は、隔月発行のニュースレター10月号についての紹介記事。

その閉めのキャッチフレーズが

「はしごも訓練メニューに入れたい会社」だ。

ニュースレターの中身が、消防訓練に関するものなのだ。

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毎回、書かれている内容を踏まえた面白いキャッチフレーズがついた会社ロゴで、締めくくっているのだ。

 

会社の取り組みや、記事そのものも面白いのだけど。

こうしたアイデアが、本当に、すばらしい。

 

運営会社の公式サイト

exit-style.com

 

 

せっかく、こんな素晴らしい具体例を知っているのだから。

何か、自分も、「毎回、うっとうしくなく、一言紹介できるフレーズ」を考えてみようかなと思う。

 

うーむ、恐ろしくセンスが問われる.........

 

よし、ひとまず今回はこれだ

 

 

得意技は「とりあえず棚上げ」なアバウト絵描き

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言縁百式正式メニュー化と言縁龍印画の予告(予告のみ)

Facebookで、言縁百式の公開モニター様を20名、募りました。

その全てのお返事が終わり、先生からGOをいただきまして。

正式な認定言縁師(ことよりし)としての活動をスタートいたします。

 

公開モニター様へのリーディング内容をごらんになりたい方はこちらへ

(ごらんいただくには、Facebookアカウントが必要になります)

★1回目10名様

異界絵師 緋呂 - 終了してます! 【言縁百式 公開モニターさん募集 よく読んでから応募してね!】... | Facebook

★2回目10名様

異界絵師 緋呂 - ※※ 終了しました ※※ 【言縁百式 第二回公開モニター募集】 今回も10名を募集します。... | Facebook

 

お申し込みはショップページからの予定。

ただいま制作中です。

完成したら改めてご案内させていただきます。

 

 

言縁百式スタートに伴い、従来の「言縁占符」(ことよりせんふ)メニューを一部、改訂いたします。

 

ことよりのみくじ→廃止。

言縁占符リーディング→従来通りご提供いたします。

 

 

ことよりのみくじは廃止いたしますが、護符の役割を果たすものとして「龍印画」があります。

単体でのお申し込みももちろん歓迎ですが、同時にお申し込みいただくと、言縁百式で出た札の文字や内容を落とし込んだ「言縁龍印画」として制作可能になります。

ことよりのみくじの護符よりも強力なものが作成できるため、ことよりは廃止とさせていただくことにいたしました。

こちらも、お申し込み方法は改めてご案内させていただきます。

 

 

本日は、ひとまずお知らせのみ。

 

 

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