人の本気の行動を見ていると、自分の本気とも向き合わざるを得ない
7月2日の本日は、一日やや鬱っぽくすごしました。
蒸し暑さも、一因。
作業部屋は、昨日と今日ダンナ氏がすぐ横にある駐車場の屋根を張り直しているため、集中しづらくて入れなかったし。
そして、もう一つ。
前の記事にチラ書きした、「まだ本気でやってないこと」てのがひっかかって。
昨日、福岡で、知っている人たちがたくさん参加しているイベントがありました。
タイムラインには、その様子がどんどん流れてくる。
イベントが終わった今日は、参加してどうだったか、という記事がたくさん、流れてくる。
その中には、「時間はないぞ、本気出せや」系の記事もいくつかあり。
「まだ本気でやってないこと」にひっかかっている身としては。
引き締まる。
動くべきだ。
本気出してないことが自覚できているのに、グズグズしてるなんて。
などなど、いろいろと想念がめぐる。
どうして、よしやるか、ってすぐに思えないか...といったら。
自信がないからに他ならない。
自信なんか、やっていくうちに出てくるものだ、というのはわかっている。
だから、本気でやってない今、あるわけがないってのも。
やってみてからまた進退を考えたっていいのも、わかっている。
友人に、先日、
「思うことを思う通りに、好きなようにやっていくのが、結局は一番の近道なのでは」
みたいなことを、言われた。
彼女は惚れ惚れするほどに、自分の「好き道」を驀進している。
その時はまだ、このテーマは出てきていなかったのだけど。
いただいたその言葉を、今反芻すると、また趣が違うなあ、と。
でもまあ、大丈夫。
なるようになる...のではなく、なるようにする。
だから。