旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

「癒やし」という言葉に含めるニュアンスとヒーリング

最近、いつもいろいろ教えてもらっている(勝手に学ばせていただいている、とも言う)先生のブログで、無料の遠隔ヒーリングに関する様々な文書が連続で掲載されていて。

それを読みながら、ヒーリングについて考えている。

 

ヒーリング。

私も、数年前はやっていた。

やりたくてやった、というのではなくて。

絵に天使がきちゃって、どうもコントロール効かないし、描きたいわけでもないのに描かざるを得ないとかで、「エネルギーについて」学ぶために必要だったから。

 

私が最初に先生に選んだ方は、なかなかに、異色なヒーラーだったと思う。

エンジェルヒーラーを名乗る人で、あんなタイプの人は他に見たことがない。

もっとも、それは後になってわかったことで。

当時は、偶然のように手近なところにいてくださる結果になっていた、その方が、私にとっては「降りてきた蜘蛛の糸」みたいなものだった。

それしか掴むものがなかった、という。

 

ヒーリングって何?

みんな一体何をやってるの?

エネルギーワークって何?

は?会うことも電話で話すこともなく送ったり受け取ったりするの?

なにそれ?

 

と、そんなところからのスタート。

 

感覚派の先生だったけど、すごくちゃんと、教えてもらった。

その時はさっぱり理解できなかったことも、たくさんあったけど。

それを落とし込むための、ヒーリングの実践でもあった。

 

エンジェルヒーリング自体は私にはどうも、「イメージがわかない」ていうのも大きくて。

絵だけのセッションメニューとして残した後は、ヒーリングとしての提供はやめてしまった。

なんせ、そもそも天使は「一時的なこと」だと最初からわかってたしなー。

 

ただ、メニューとして入れていないだけで。

絵のセッションの時でも、結局ヒーリングしてるようなもん、みたいなことは多々あったし。

時には、絵を介してのヒーリングが起きる時もある。

 

 

人は、どういう時にヒーリングを受けたいと思うのだろうか。

 

私が遠隔ヒーリングを受ける時って言うと。

そりゃあもう、ほぼ99%は、好奇心だ。

送り手への好奇心、または、送られるエネルギー内容への好奇心。

そういう受け方は、人にはオススメできない。

事後、具合がよくない事も、ままあったが。

私の場合は、それも含めての実験なので、一般的な目的とはずれていると思う。

 

多くの人は、ヒーリングを受けたいと言う時は、そこで謳われている効果を期待するのではないだろうか。

何らかの不具合が解消ないし軽くなる。

護りを強化する。

運気向上。

いずれにしても、「よくなるため」に受けるのではないだろうか。

 

それなのに、それが原因で一時的にでも具合が悪くなることがある。

それは、やはり、本末転倒だ。

 

 

私がヒーリングをメニューから外すことにしたのは、

「私自身が、それをよく実感できない」

というのが大きな理由だったが。

それ以外にも理由がある。

 

複数の人からの感想で、どうやら私のやり方は、通じる人にはかなり効果が高いけど、そういう人は少なくて、多くの人にとっては「合いにくい」ということが、わかったからだ。

 

すごく効いた、という人の感想で共通していたのが。

・底の方に沈殿していた澱が巻き上げられて吸い出されたみたい

・かさぶたをバリッと剥がされた感じ

・日焼けでめくれかかってる皮膚を剥かれるみたい

などのもの。

薄皮を剥がれる、という意味のことを言う人が多かった。

その時はダメージがあるが、後から劇的にスッキリする...というのが、共通していた。

 

強い薬だ、という。

 

気分が悪くなっただけで終わった...という人は何も言っては来られないことが多いので、反応出過ぎて辛かった人がどれくらいいたかは、不明だ。

 

最近は、絵を見てそんな感じになったというご報告も、いくつか受けている。

というか、絵の方は劇的なことがよくあって。

展示しているものを見て、ご本人の意志と関係なく泣き出すという方は、珍しくない。

音楽が聞こえるとか、何か特定の音が聞こえる、という人も案外多い。

声を聞く人や、絵の上にオーバーラップして違うイメージや景色を見たという人もいた。

その方達も、比較的共通しているのが、

「その瞬間は内面が荒れるが、通り過ぎた後は台風一過」

という。

 

効果があるのだから続ければいい、と言った人もいたのだけど。

私は、それは選択しなかった。

少なくとも、もう少し、自分がいろいろと納得できるまでは、無責任なことしたくないと思った。

 

まあ、そう言うとカッコイイんだけど。

単に、「いや、だってなんかあったら困るの私だし」ていうことだ。

 

なんかあったらって、何があったらだよ...とね。

思ったり、言われたりも、したけれど。

 

今、いろんな話を聞いてきて、マーヤラジャ先生が書かれている一連の記事を拝見していて。

やはり、無防備に受け入れる人達に対して、一時的にでも嵐が来るようなヘビーなものを予期せずお渡しするのは、よくないなあ...と思う。

 

絵はもう、どうしようもないので、開き直っているけどね。

私だって予期してないことが起きちゃうので。

 

 

で、なんで、そんなことになっちゃうのか...っていうのも、考えた。

 

それはおそらく、私自身の指向性の問題だと思う。

 

ライトな、サプリみたいな「癒やし」を、私自身がまるで求めていないから。

皮膚の下で膿んでるなら切って出せ!派なので。

 

言縁百式のリーディング傾向も、やっぱり、「軽く、表に出てるところを撫でてやる」程度じゃつまらないって、思っているから、それが出るし。

自分がリーディングや鑑定受ける時も、当たり障りないことばかり言われると面白くないなって思っちゃうから。

だから、そういう指向性が、出る。

 

ヒーリングも、たぶん、そういうことだと思う。

 

リズミカルなパーカッションよりも、一打が轟く和太鼓が好き...と。

ヒーリングやリーディングも、そういう指向性が如実に出ているのだと。

 

私にとっては、骨に直接響くあの音響は、ヒーリングだしね。

音祓い、って思っているけど。

 

でも、みんながそれを求めているわけでもないのは、知っている。

 

万人向けでない。

 

全てにおいて、私の提供するものは、万人向けではない。

 

 

 

もし。

これがすごくいいの、他のよりもずっと効果があるの!

というマッチングが起きるようなことが望めるなら。

ヒーリングを提供するのもいいな、とは思っている。

今じゃないし、近い未来でもないと思うけれど。

 

これは、以前から、とあるヴィジョンの見えやすい神社に参拝すると、度々見えるイメージの中身から、いずれはやることになるのかな...と推測していることでもある。

そのイメージによると、直接使うのは「音」のようなんだけど。

今のところ、私の手札に音の出るものが入ってくる気配がない。

言葉も音といえば、そうだけど。

明らかに、言葉ではないイメージなので。

 

そういう意味では、まだまだ、私にもこの先、未知の領域が絵以外のところにも待ってる楽しみはある。

 

 

何にしても...だ。

何かれかまわずに、無料だからって闇雲にヒーリング受けまくるのは、オススメしない。

 

こちらの記事たちを、参考に。

 

【無料ワークを受けたらえらい目に・・そんなときの解消法】 : 薔薇と魔法と言魂と~トゥリニセッテ

【無料ヒーリングの落とし穴、その対価は誰が???】 : 薔薇と魔法と言魂と~トゥリニセッテ

【それでも経験を深めるために無料ワークを受ける場合の心得…的な】 : 薔薇と魔法と言魂と~トゥリニセッテ

 

 

 

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ブログやSNSの印象と本人とのギャップ 埋める努力はもう終わり

ギャップでコロッといっちゃう、というシチュエーションて、マンガやドラマの世界でよく起きているけれど。

現実にも、そういうのはある...らしい。

 

私、ブログやFacebookの投稿を知っていて、後から実際に会うと、確率9割で

「もっとコワイ人だと思った」

「もっと(体が)大きい人だと思った」

「男の人だと思ってた」

のどれかを言われる。

多くは、二つ以上を。

時には3つ全部。

 

相当なギャップらしい。

 

そうなの?というのは、もう愚問なので問わない。

 

で、埋められるかな、って思っていたけど。

もう、そっちの努力もやめることにする。

 

コワイならコワイでいい。

それでも会ってみたいという人は大歓迎。

予期せず同席するなどでお会いして、なーんだ、ってなれば、それもOK。

 

むしろ。

やさしい人だ、あたりのよいひとだ...みたいな印象を下手にもたれて、後からびっくりされるよりもいい。

 

 

今使ってるプロフ画像とかは、まだ、「ギャップ減らした方がいいんだろうな」と思っている去年の秋に撮ってもらったものだ。

だから、埋める努力はやめて、むしろギャップ強化でいいんじゃないかと思えている今、もう少し違う写真を撮ってもらわなきゃならないと思っている。

 

新しいセルフマガジンの構想も、二転三転しているし。

プロフ画像の作り方とあわせて、新しいサイクルでの活動方針もあわせて、いろいろと検討していこうと思う。

 

なんせ、もうすぐ誕生日だからね。

 

 

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半端な我流は成功から遠ざかる元...とはいえ人の言うことなんか聞くなとも言うよね

指導者を持て、そしてその指導の通りにやれ。

 

人の言うことは聞くな。己の信じるもののみ信じよ。

 

 

二つの、極端な教えがある。

我流で切り開いた人同士であっても、二派に分かれる印象がある。

 

どちらの教えも、そうだよね、って、思える。

 

 

前者の支持者に従うのであれば、意味がわからくても違和感があっても、躓くことがあっても、どんなことがあっても、「この人の指導に従う」と決めた人の指示を守ることが求められる。

それが、最善の方法である。

今までの自分では拓けなかった道を拓こうとするからには。

今の自分には意味がわからない、違和感だらけで、できないから躓いてばかり...の道であっても、そのまま進むのが、最善なのだ。

いずれ、それが身に馴染んでくる。

その頃には、今までの自分ではなくなり、かつての自分が一人では到達できなかったポイントに、立っているだろう。

 

そうだよね。

すでに知っている人が踏んだ道を踏襲するのが、早道だね。

 

 

 

人の言うことは聞かなくてもいい。

自分の道は自分にしかわからない。

少々遠回りしたとしても、人の道を模倣して到達できるのは、その人が踏んだところまで。

しかも、それを自分が踏む頃には、自分だけの道を切り開く選択をした時たどり着けるはずだった自分だけの高みは、もう遠い遠い場所と成り果てているだろう。

それはあくまでも、他人の模倣だ。

 

そうだよね。

自分のことは自分にしかわからないし、自分が決めるしかない。

回り道をしたとしても、自分の気持ちや自分の考えを最も反映するのは、自分が拓いた道。

痛い目にも遭うだろうし、苦しい時誰にも理解されなかったり、助けも望めないかも知れないけれど、それだけに、人とは違ったところにたどり着く。

 

 

 

前者を提唱する人が多い。

今も、今までも。

 

 

私の場合は。

旗印の先頭がある。

不動の旗印で、それを外すということは、あり得ない。

だから、「その旗が示す先」と相反しない行き先であることが大事。

この人の指示に従おう...と思うに至るには、私の場合、その旗の示す先と方向が一致することが必須条件だ。

 

最初に一致すると思っても。

進むうちに、違う先が見えてくる時がある。

そうなれば、私の選択は、先頭の旗の示す先へ向かう、という以外はない。

一択だ。

 

 

その旗印の主は、直接びっちり指示を出すということは、ない。

投げてくるのは、ヒントだけ。

組み立てること、いかにして進むか...そういうことは全て、自分自身で考えて決めていく以外にない。

だから、時に、出した答えがずれている時もある。

勘違いしている時もある。

それでも。

その旗印を目指すことが、とても遠い道のりだとしても。

すぐに結果が出なくても。

 

その選択肢以外は、選択肢ではない。

私には。

その旗印を目指す、という以外のところは、全て「己を信じて自分で拓け」という、後者の考え方になる。

 

 

それでも、時々、もう少し早く「ある程度は結果が見たい」という気持ちになることもあって。

すごい結果を出している人、よい結果を出させている人...に、道案内をお願いしたくなることもある。

 

今は、個人でも比較的気軽にコンサルタント等つけることが可能になっていて。

合う合わないはともかくとして、およそあらゆるジャンルに、指導者がいる。

 

何度も、「この人にお願いしようかな」という気持ちが芽生えることがあるのだけど。

 

私は、苦手なこと、できないことが、とてつもなく苦手でできないので。

それを補う指導を、人に頼みたくなることが、まあ、あるのだけど。

 

なんだかんだいって。

結局、先頭の旗印を見る、ということ以外は、守れなくなることばかりで。

 

だからお前は、いつまでたってもウロウロしているだけで広いところに出ることができないんだ。

 

と、言われても、それは仕方ないな、って思える。

 

 

一足飛びを願っているのじゃない。

けれど、早期に拓けてほしいとも思っている。

 

あの旗の主は、途中の経過、どのように道を進んでいったとしても。

誰か他の指導を仰いだとしても。

「前に進む意志」を失わない限り、変化を続ける限り、決して非難したりはしない。

いや。

休眠していようと、一旦離脱しようと。

自分の意志で決めたことならば、何も言わないだろう。

 

 

鍵は「自分の意志で決めたことならば」だ。

今、しばらくは...例えば、短期的目標をクリアするために...ある人の指導につき、その教えを徹底して守っていくと決めたなら。

がんばれ、というだけだ。

 

 

時々、思う。

私の、この鉄の意志...あの旗印を目指す、という鉄の意志。

この強靱さが他の「指導者」に従う道に一時でも向けることができたら。

ショートカットなんていくらでも可能なのじゃないだろうか。

仮に少しくらい方向がずれても、クリアしたところからまた、修正すればいいのだ。

 

 

そんなことを思いながら。

「人に相談などしなくていい、自分の信じることをやれ」

に、傾いていきたくなりながら。

「とにかく、これを徹底的にやれ」という指導書を、眺めるのであった。

 

 

 

▽人の意見聞いてやってたら、こんなおかしなことにはならないしな.........

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