緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

自信に根拠などいらない なりたい理想があるのなら根拠を探すよりひたすら信じて動け Instagram観察で得た実感

根拠なんかいらない。

こうなると思う姿を、「そうならないなんて意味がわかんない」ていうくらいに、思い描くだけ。

 

 

実を言うと、そういう考え方にはちょっと、疑問を持っていた。

というか、「なんだそれ」って思ってた。

 

けれど、やっぱり、それが一番大事なんだと感じられるようになってきた。

 

ナンのきっかっけがあった、というわけではない。

単純に、「やっぱり、そういうことだよね」と、急に思えるようになっただけだ。

 

 

別に原因探しは重要じゃない。

そうなった、ということを受け止めるだけのことなので。

 

でも、一つ「これ影響してるかな」と思えることは。

Instagram観察だ。

 

 

知り合いをフォローする、という使い方はしていない。

一時はそうだったのだが、ある時に、日常写真などをUPしている人はフォロー対象から外す」「Facebookと同じ画像しか載せてない人は対象から外す」と決めて、そうした。

結果として、今私のInstagramには、美しいものやスゴイ作品、驚く作品、絶景写真などしか流れてこない。

 

絵画、イラスト、彫刻、陶芸、宝石、彫金、ワイヤーやビーズ、木彫、そして美しい人物と景色、空や自然。

 

その、なんと気持ちいいことか。

 

 

人によっては、Instagramにも宣伝コピー入れまくり画像をUPしているらしいのだけど。

私は、そういうものが流れてこない。

フォローしていないから。

選んでいるから。

最近力を入れてより美しい画像が入ってくるようにどんどんフォローしたり外したりをしているので、強化されてきている。

その結果、

「世の中は、なんと素晴らしいものを創り出す人にあふれているんだろう」

って。

思えてくるまでになってきた。

 

 

Instagram以外の生活の全ても、これと同じじゃないのか?

 

 

そう思うと。

「ランクが上の人たちと交流しなさい」と言われていることも、実感としてわかってくる。

 

自分の中の美しくない部分を外に見せない、という考え方も、わかってくる。

 

これは、「美しくない部分を見ないようにする」ということとは根本的に違う。

自分自身はそれを直視し、美しいものに変えていく努力をする。

しかし、それを外には出さない。

そういうことだ。

 

そんなことしていたら無理が来て自分が辛くなるだけ。

ていうのが、今流行している考え方だと思う。

 

しかし。

それを超えてでもなりたいものになりたいかどうか、で、判断は全て変わってくる。

 

超えなきゃなれないものになりたいのなら、無理でも辛くても超えるしかない。

そういう時は必ずある。

なのに、いつでも「無理しなくていい」って言ってたら、現状維持どころか下降一方だ。

 

 

こんなこと、「なにを今更」なことばかりだ。

今までいろいろな人から聞いてきたことだし、たくさん、同様のことを書いたものも読んできた。

 

でも、「ふーん」て思っているうちは、響いてないってことで。

大事なことだとも実感していないし、ましてや必須だなんて、思えない。

 

 

美しいものを創る側でいたいのなら。

そうあるべきだ。

 

 

こんな風に思えるようになったのも。

陶器作品を作るようになって、今までとは額の違う設備や材料が必要になるようになって。

陶器という、他の絵画よりもずっと色褪せず変質しにくいものを作品として残すようになって。

 

自分は、何をする人間なのか...ということを、今まで考えていたのとは別の視点、別の深さで考えるようになったからだ。

 

さらに、販路を作る前提で、上代設定をシビアに検討しなきゃならない局面が来た。

 

物事には、「現状を現実的にシビアに測る」一面と、「現状には関係なく、自分とはこういう者なのだという信念」の一面と、その両方が必要になるのだ。

 

そのギャップが大きいほど、信念の中の自己像に現実を近づけていく努力が必要になる。

そして、その信念を持ち続けることができなければ、早々に諦めたり妥協することになるのだ。

 

 

どこの誰かもわからない人たちが日々投稿を続けるInstagram。

その観察で、美しいものをたくさん見るようになって。

そんなところまで、念が強化されはじめた。

 

 

と、いうことは。

私がその恩恵を受けたように。

私がそこに主張を投げることによって、いつか誰かが同じように、信念を強化する日が来るかも知れない。

 

まず、自分から出す。

それをしなければ、起こることも起こらない。

 

 

雑然とした段ボール箱の山に埋もれて過ごしながらでも。

その現実の風景とは違った景色を見ることができる。

 

 

自信に、根拠などいらない。

 

自信がない、というのも、一種の逃げ口上にすぎず。

結局は、「やりきることを避けてもいい理由」づけの一つでしかないのだ。

 

 

 

世の中の、理想の自分になりたい諸君。

 

それが現実になるかどうかは、君の「根拠のない自信」の強さや、それを抱き続けることを自らに許可できるか否か、にかかっている。

 

私も今この年になって、ようやく、そのことが実感できてきた。

 

風呂敷ばっかり広げてカッコ悪い、とか。

痛いヤツじゃん、とか。

 

そんな風にしか捉えられないうちは、理想の自分になんか、なれっこないよ。

だって、なろうとしてないのだから。

 

半世紀生きちゃったけど、まだ寿命は来てないし。

もし明日が寿命の期限だったとしても、明日までは、理想になろうとし続けられるってことだし。

 

この世界は、実に、素晴らしいと、心から思う。

 

 

 

ある朝の景色

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Instagram観察その2 美しい画像が並んでいる画面は見てるだけで嬉しいもの

今日も、合間を縫ってInstagram観察。

♡を押すと、アルゴリズムがそれを解析して、好みそうな画像をピックアップして流してくる。

そこから、いいなーと思うものを見て。

プロフ画面で他の画像も見て。

気に入ると、フォローする。

 

だんだん、ピックアップされてくる画像の傾向が、固まってくる。

 

同じ画像がなんどか流れてくることもあるが。

別のアカウントだけど、とても傾向が似た画像も、たくさんある。

どれがどのアカウントのものか...とか。

ぶっちゃけ、どうでもよい。

 

モノクロの絵が好きだ。
墨の絵が好きだ。
ペンのエッジが立った絵が好きだ。


でも、同じようにそんな風な作品でも、どれでもいいってわけじゃない。


ぐぐーっと、奥底からテンションが上がってくるような画風と、全然何もなく通り過ぎる画風がある。
似てても違う。


この違いは、どこから来る?

 

見られやすい画像作りポイントを見つけるためのInstagram観察なんだけど。

結局、自分を再確認することになる。

 

 

そして。
Instagramで気づく。

私、カラー作品は外国人の画風の方が好きかも。
フォローしたくなった人、軒並み外国人。
国籍バラバラ。

 

中には、同じ人の別アカウント?と思っちゃうくらいに作風が似ていることもある。

日本でもキュレーションメディアが勝手に画像を使う問題があるけれど。

海外でも、そういうことはあるのかも。

だとしても。

これはきっと別人のアカウントだよね、っていうものにも、とてもよく似たものがある。

言語を見ると国も違うみたいで。

そういうのを見ると、無意識領域では全人類共有しているっていうのも、全然不思議ではなくなる。

 

 

こうやって、「どう見せると、より見栄えするか」っていうのを考えていくのも、思ったより面白い。

 

私のは、写真の撮り方からやり直さなきゃならないものばかりだけど。

 

 

それにしても。

美しい画像、好みの画像がずらっと画面にたくさん並ぶ、っていうのは。

想像以上に、見ていて気分がよいものだ。

なるほど、私も、自分の作るモノによって、誰かにこんな気分を味わってもらえたら。

それはそれは、幸せなことだなあ。

改めて思った。

 

https://www.instagram.com/p/BZKmtGilv4I/

#毘沙門天 #七福神 #ムカデ #イラスト #ipadpro #applepencil #art #illustration #japanese #異界絵師 #オーダー可能

 

 

 

 

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Instagram観察〜ブログともFacebookとも違う「そこだけの世界観」の創造

進めなきゃいけない作品が一つあるのですが。

なかなかに、平面大苦戦中でただいま現実逃避中。

Instagramの観察をしています。

 

私はコーディネイト写真とか食べ物写真とか興味皆無のため。

やはり見たいのは、いろんなジャンルの「作品画像」です。

絵画、イラストはもちろんのこと、陶器や金属作品なども嬉しい。

 

 

Instagram観察をしてるのは、どういった「画像の切り取り方」をしたら見てもらいやすいのか、というのを知るため。

なのですが。

♡押したり、フォローをした作家さんを並べてみると、自分の傾向もわかります。

 

 

私は今まで、プロフのアイコンはどこででも統一されている方がのぞましいかな、と思っていたので、全て同じ画像を使っていました。

けれど、やはりTPOはあるのだね。

Facebookはやはり、自分の写真が望ましい。

ブログも、それでいいと思う。

が、InstagramとTwitterはどうだろうか。

 

とりあえず、Instagramを作品の画像に変えてみた。

なんせ、自分の写真をアイコンにしていても、作品の傾向はそれだけでは伝わらない。

特にInstagramは海外の方も気軽にみて下さるし、むしろ♡つけてくれるのは海外の方であることが多い。

自分の画像は、時々、派手に彩色した作務衣着ている絵を載せる程度でいいかな、と思った。

(そして、今、普段の生活でも作務衣でいた方がいいかな、と、何度目かの思案中。真夏も去ったことだしね…)

 

 

私が見る側の時も、フォローしているアーティストは海外の方が多い。

選んでいるわけではないけれど、なぜか、そうなっている。

最近は「Manga」が海外でも通用するようになったくらいに市民権を得ているので。

外国の方のイラストが、日本のマンガ家のようなデフォルメになっていることも多くて。

ずいぶん、様相が変わってきたなーって感じる。

色使いは日本人とは全然違うけれど。

 

 

陶器になると、すごいびっくりするような作品が多くて、本当に楽しい。

こんな発想、日本人にはないな、って純粋に感動する。

土の性質も違えば、絵具や釉薬の事情も違うのだろうから、日本の土で同じことをやってみても違う感じになるんだろうなあ、なんて思いながら見る。

 

石をあしらったジュエリーや金属作品なんかも、「魔法の国ご本家」みたいな感じの作家さんを見ることができて、厨二魂が疼く(笑)

 

そんな中に、自分の作品の画像をぶっこんでいくのだ。

海外の人も見るところに発信する、って、そういうことだ。

 

 

複数の方から、海外の人にアピールした方がいい、というアドバイスをいただいてきた。

問題は語学なんだけど。

そこ勉強したい気持ちがあんまり湧かなくて。

今、友達が尊敬する人の著書を原語で読みたいと英語勉強はじめているのを見ていて、偉いなあ、って思う。

ひとまず、翻訳アプリを駆使して、なんとなく内容を掴む程度にしかやっていないけど。

それでも、何もないよりはマシだ。

 

 

とにかく、もう少しじっくり、Instagram観察を続けてみる。

自分の作品をどう撮影し、どう切り取って送り出すのがいいのか、試しつつ。

 

ひとまず、今のところ理解したのは

「完成していなくても全く問題はない」

ことと

「数秒でいいから動画をマメに撮る」

ことは、心がけようと思う。

 

完成してなくても問題ない、ってのは、もともとそういうスタンスでやってきてるんだけど。

なんかこう……

「ここに掲載するために、あえて、一部分だけを作画する」

みたいなことだ。

 

作品の制作過程として、全く途中のものを載せる、ということとは、いささか違う。

(もちろん、それも大いにアリ)

 

 

 

私のことなんかカケラも知らなくても、画像だけ見て「あ、いいな」と思ってもらう機会がある。

これって、やっぱり、すごいことだ。

活かさない手はない。

 

 

そして、思った。

画像を、主に海外の方に見てもらうために発信する。

そのことに、「私がどこの誰であるか」なんてことは、関係ない。

一切。

 

Facebook繋がりの人たちなどだと、文章と本人にギャップがある、というのが話のタネになる。

でも、海外の人にはそんなこと、どうでもいい。

切り取られた画像だけが全て。

性別も年齢も居住地もどうでもいい。

なんなら、名前すら。

 

非言語コミュニケーションの極みじゃないか?

 

そう思うと、なんかすごく、面白くなってくる。

 

今までは、後でブログに貼りやすいようにInstagramにあげる…みたいな感覚があったけど。

やり方を変えて、InstagramはInstagramの中での「緋呂の世界観」を創る場だと捉えてみようか。

 

 

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ビジネスは美しい しみじみ&改めて感じた「どう在りたいか」が全てだなという話

いいお話をたくさん、自宅にいながらにして聞くことができるオンラインのセッション。

本当、いい時代になりました。

 

記事タイトルの「ビジネスは美しい」とは、今日お話をお聞きしました加藤望さんのお言葉。

 

とてもたくさん、私に役立つお話を聞かせていただいたのですが。

その中でも特別印象深いのが、この言葉。

 

心からそう思ってらっしゃるな、ということが伝わりました。

 

私も、そう思っています。

私はまだまだ、それを語れるほどの状況になっていませんけれども。

なぜか、ビジネスなんて汚いとか、ガツガツしていやらしいとかいうイメージを持っている方も多いのですが。

そして、そういうイメージを与えてしまうような出来事が多く起きていたり、報道されていたりするのも事実ですが。

 

でも、私も、美しいものである、と考えています。

 

というか。

「ビジネス」そのものは、ただ在るだけで。

そこにどういうイメージをまといつかせるかは、人次第。

 

だから、アコギを実践する人もいれば、とことん汚いものにしていくのも人。

美しいものにして、美しい結果や素晴らしい影響を起こしていくのも、人です。

 

だから、ビジネスが汚くていやらしいのではない。

そういうビジネスをする人がいる、ということ。

 

美も醜も、そのように伝えている人がいる、ということ。

 

自分は、どういう在り方を選ぶか、っていう話しです。

 

美しいビジネスの在り方を選べばいい。

そこで得た結果を、美しいカタチで社会に還元したいとも思う。

 

「もっと稼ぎましょう!」

と明るく爽やかにおっしゃる望さん、素敵です。

 

 

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nozomicoaching.com

 

 

望さんはビジネスコーチングをされています。

が、「ビジネスコーチング」というと、どうしても、構えてしまったり、そんな人に頼むほどじゃないし...などと敬遠してしまったり、ということもあるだろうと。

もっと気軽に、いろんな人に話をして、ヒントをもらってほしい、という思いから「お話会」を始められたのです。

今日はなんと私、マンツーマン!

なんて贅沢。

がっつり、すごくニッチなところを聞かせていただき、大満足。

 

私がずーっと模索している課題があるのですが。

そのことについても、いくつもヒントをくださいました。

 

それをお聞きしながら思ったね。

 

やはり、「日々、何を考えながら生活しているか」ということが、結果を大きく左右するんだね。

 

私の苦手なポイント、いろいろあるんだけど。

そして、見事にそこが「ずっと課題」なところでもあるんだけど。

やっぱり、それをモノにしないと、このハードル越せないな。

 

「やること」は、自分が好きでやりたいことで、いい。

だけど、それをどうアウトプットするか、という時には、受け手の目線が必要。

 

先日、今の私にはちょいと遠大に思える課題を出されたんですよ。

それを超えるには、どうしたらいいのか。

今まで通りやっててはダメ。

そこは間違いない。

じゃあ、どうしたらいい?

 

イヤなことや本筋ではないことを無理に「好きになろう」としても、無理なのはわかっている。

そうじゃなくて。

今やっていることは、そのままでよくて。

どう、アウトプットするかに、一工夫する。

 

かさこ塾でも言われてきたことだし。

集客法だのプロデュース法だのといったメソッドを見ても、必ず出てくること。

 

それを実際に、自分がやろうとしたら、どういう風にしていったらいいのか。

 

そこがつながらなくて困るわけなんだけど。

ヒントは、たくさん、日常目にし耳にすることの中にあるんですよねー。

 

なんとなく過ごしていたら、それも流れて行っちゃって、残らない。

でも、それを拾い上げて吟味している人がいて。

そういう人が、結果を出す。

 

極めてシンプルな法則。

 

やったことだけが、返ってくる。

 

美しいビジネスと、美しい結果。

私も、それを目指しているからね。

私が創り出す美しいもので、それを現実にする。

 

 

こんな話を自宅で聞けるって、本当、いい時代だよねー。

 

 

以前に望さんから受けた「オンライン話し方聴き方レッスン」のレポもありますよ。

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

 

 

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焼き物の町「瀬戸市」で材料仕入れ♪

陶器絵付けのための、とある素材を買うために、2時間ドライブして瀬戸まで行きました。

瀬戸というのは、日本有数の陶器の産地。

名古屋市のお隣、岐阜県との県境にある、人工130万の市です。

焼き物のことを「瀬戸物」というのは、この瀬戸市の地名から来ているんですねー。

 

私は高速使わないので、我が家から2時間ちょっとかかります。

もう少し近いといいなあ、と思いつつ。

日本有数の陶器産地がその距離にあることは、ラッキー。

通販でも買えるけれど、私のようにまだ入り口に立ったばかりの者には、卸元や製造元のご主人と実際に話をすることも大事なんですよね。

 

そういうわけで、今日は1本500円程度の材料を仕入れることを主目的にして、半日使って行ってきた、と。

 

 

イッチンの手ほどきをしていただいた作家さんも瀬戸でギャラリーをされています。

絵の具の商店さんと金物屋さんは、その時に教えていただいていて。

今日は、目当てのモノが置いてあると事前に調べておいて、それと共に、欲しい色の絵の具を買ってもいいかな、なんて思いながら、別の絵の具屋さんへ。

原料を販売している製造元なので、ラベルに書いてあるのは「色の名前」ではなく「成分名」というものも多く。

ぱっと見ただけでは、私には????です。

 

磁器の小皿に焼成後の色見本が作られていたので、それを見つつ、聞きたかったことをご主人にあれこれ、質問。

実際に焼かれている見本を見ると、わずかな重ね方や描き方の違いで発色が全く違うということも感じられて、やはり通販ではわからないことが多すぎるな、と実感です。

もっと慣れてくるまでは、足を運んで見て教えていただきながらやるのがいいですね。

 

何にしても、「自前の窯がないと話にならん」ことばかりが、ひしひしと感じられたわけですけど。

 

最初のお店で目当てのモノは買えたので。

次は、以前教えていただいた有名な金物屋さんです。

釉薬を吹き付けるための霧吹きが欲しかったんだよねー。

いい大きさのが買えました。

あと、イッチンのスポイトを買い足し。

他にいくつか、筆や金物類を購入。

土曜日も営業しているお店だから、土曜日に来ようと思ってたのですが。

明日は他の用ができたので、繰り上げて今日行ったんだけど。

幸いでした、明日から連休に入っちゃうところだったよー。

Webサイトもネット販売もされていないお店なので、店頭の張り紙見て知った。

よかったー。

来週からバイトに入るので、なかなか行けなくなるから、今のうちに買っておきたかったのでホント、よかった。

 

 

 

今日仕入れたモノは、紙に絵を描く時にも使う技法が陶器絵付けでできる、という材料です。

紙に描く時は私はそれ、使わない派なのですけどね。

先日本焼きしてもらった角皿のうちの一点が、どうもいい具合に色が出てなくて。

別の描き方を試してみるための購入です。

紙の絵でも、そのやり方は得意じゃないもんだからねえ。

どうなるか、わからないけど...。

 

二軒回って時間切れだったので、前に絵の具を購入した商店には寄らず、帰路に。

なんせ、道路が混むのですよ。

 

 

で。

例によって、家に帰ってきてから、もう一つ買っておけばよかったというモノを思い出す、という。

 

 

明日は、工房に預かっていただいている変形皿を引き取りに行きます。

数をもっと作れという指令が出ているので。

素焼きも増やしておいてもらわないと。

黒土で作りたい件も、もう一回お願いしてみなきゃ。

 

 

帰路に見た日暈。

気のせいか、円弧が逆向きになっているように見えたので撮影してみたんだけど...。

空気の屈折がヘンだったんでしょうきっと。

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そんなこんなで、最近は陶器の絵付けばっかりやっているのだけど。

他の絵を描かなくなった、というわけではありませぬ。

 

来月、10月28日、大阪で、正味20分くらいですが、ライブペイントやります。

大きい紙に描きたいし、ちょっと練習もしとかなきゃならないなあ。

 

10月28日のイベントについて、詳しくはこちらで。

かさこ塾フェスタ大阪2017 10月28日開催 – 好きを仕事にする見本市~かさこ塾フェスタ

 

今回私はブース出展はありません。

 

 


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