緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

ブログやSNSの発言で傷ついたり動揺する…のは「発信者と自分の領域が混ざっている」から???

他人のブログやSNSの発言を見て「傷ついた!」と感じる。

時には、それをわざわざコメントやメールで相手にぶつける。

 

そういう動きを指して、

「発信者が多くなって、見たくないものをみてしまう機会が増えたから」

というのだが。

 

本当にそうなのかな、と考えてみた。

 

ネットが普及する以前は「職業として、金銭と引き換えに書かれたものを、同じく金銭と引き換えにして手に入れ、読む」という図式が一般的だった。

だから、書き手と読み手には、最初から明確な「生息領域の違い」があった。

 

立場の同じ者の発言を読む機会は、新聞や雑誌の投書欄のような「同じく読み手側の意見がまとめられたコーナー」程度しかなくて。

それも、編集者がセレクトして、「うちの読者にはこれを見せよう」という意図のもとに公開されているものしかない。

気に入って買って読む雑誌は、そもそも、その読者に受け入れられるものが書かれているのだから。

結局は、最初から「自分に不愉快かどうか」を選んでものをみていることになる。

不意打ちで全く望まない見たくもない意見を無理やりねじ込まれるようなことは、滅多とないだろう。

 

が、ネットがではそれが普通に起こる。

自分で意図しなくても勝手にフィードに上がってくる画像や文章。

しかも、相手の生息領域もはっきりしていない。

 

筆者と読者が混ざり合った、というのが、過剰に反応する一因なのかも。

 

公に見える場所で何かを発言する、というのが「限られた人たち」のやることだったら、ある意味特別視することで、自分の内側に沸き起こる反応を抑えることができた。

しかし、自分と同じようにスマホやパソコンを手にしている「同じような誰か」が、「こんな好き放題を書いているんて」となれば話は別。

 

なんか、そんな感じの図式があるのかなあ…という。

 

 

いや、まあ、だからなんだって話だけどね。

 

 

で。

発信する側としては、つい「わざわざ見なければ見ないで済むものを。嫌なら読むな」って言いたくなるんだけども。

それは正論だとも思うし、実際自分でもそう思うんだけど。

 

そういうのも、「発する側」ならでは言い草だな…なんて、思いもしたわけです。

 

 

 

継承する、という流れの一筋に自分も加わるというのはエキサイティング

先日、貴重な書物をいただいた。

昭和52年刊行の古書だが、おそらくは一般的に流通したのではない書籍と思われる。

当時、自費出版でこのような丁寧な装丁の本を出すというのは、莫大な費用がかかったのではないだろうか。

 

その古書に書かれている題材は、Amazonなどで新しい書籍が何点か流通している。

マニアな内容のため、それほど多くはない。

私が最初にそれについて調べたいと思った時は、まだAmazonも今ほど豊富ではなく、見つけられなかった。

数点でも流通しているということは、まるで関心が持たれていないものではないらしい。

いくつかは、図書館の蔵書一覧に掲載されていたので見に行こうと思っていた。

せっかく行くなら朝一で入り、じっくり見てきたいのだが、まとまった時間がなかなか確保できずにいた。

 

そんなところへ、ひょっこりと、手元にやってきた、この書籍。

きっと私の手元にあるほうが有効活用されるだろうと思う、という、ありがたいお言葉。

そして、この古書に書かれているほどの細かいことは、他の本には載っていないそうだ。

 

 

その本の前書きに、こんなことが書かれていた。

 

「断絶を防ぐためには、秘伝を私すべきではないという心境に達し、あえてそれを公開した」

 

この本に書かれている題材は、中国から入ってきたものを基礎に、日本で独自に開花した文化の一つだ。

平安期から現代まで脈々と、しかし先細りして続いている文化。

今でもいくつかの流派が続いているようだが、この書籍を書いた方たちが名乗られている流派は、検索しても情報がでてこなかった。

 

私は、そうした「流派」の中に入るわけではない。

ただ、この非常に興味深いものについて知り、その方法論を知り、今自分がやっていることへ上乗せして活用したいと思っている。

そして、いずれは提供メニューとして出していきたいとも。

 

龍印画に引き続き、絵画でも造形品でもないメニューだが。

それらすべてに応用できるものでもあり、開運ツールの一つとしても有効だと考えている。

 

 

 

...と、書いていて思い出した。

そういえば、私は以前、この調べているものにかなり近いものを使っていた時期があった。

きちんと体系的に作ったわけではなかったし、改名しているから使えなくなり忘れていた。

 

結局、戻ってくるべきものは、戻ってくることになっているんだなあ。

 

 

とにかく。

この前書きに書かれていた「継承」ってことは、折々に登場するキーワードの一つだ。

本来ならば深く学んで理解した者にしか継承が許されなかったものだとして。

それに足る者が現れなければ、または時代や文化の流れとしてつながらなくてもやむなし、とするのではなく、たとえ書籍の形であっても後世に残そうという意図があったものだ、というのを、ちゃんと受け止めて活用していこう。

 

 

そして、筆で文字を書く、という方面の秘伝が、いくつも続けて私の手元にやってきている...という現象が、なんとも。

これから先の道筋を思わせて、興味深い。

 

 

 

 

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