言い訳とは、己の言葉に自分が嵌まる罠である
発言の三分の2が言い訳の人が、言い訳する他人に突っ込んでいるのを見ると、自分のことはワカラナイもんだなぁと実感する。真意が見えず故意にミスリードする人が、必死に人に取り入ろうとする姿を見ると、信用されない理由をどう思っているのか聞いてみたくなる。どっちにも直接は何もしないけどね。
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月23日
でも本当に、自分がやってるのがタダの言い訳だ、ってことは、自分ではわからない。そこは私にも重々、身に覚えがある。自分が思う「必要な説明」のほとんどは、言い訳だ。特に、感情が絡んだ「説明」の9割は自己都合の正当化のための言い訳だと思う。
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年5月23日
言い訳をしている本人は、自分がしているのが「言い訳」だなんて、思わないものだ。
まあ、時には自覚ありつつ言わずにはいられない…っていうことも、あるだろうけど。
多くの場合、自覚はない。
それは、必要な説明である、と思える。
言わなければ伝わらないことだ、と思える。
伝わらなければ、状況を理解してもらえない、と思える。
たくさん、そういうことをやってきたな~と、今、思う。
そう思ってても、つい、繰り返してしまうことでも、ある。
でも。
引いてみれば、わかるんだよ。
自分が言ったことも、「ああ、言い訳だったな、あれは」って。
確かに、言い訳はいらないから、と言われたのも無理ないか…と、今なら思える。
自分の感情が口から言葉を引き出させる時。
ほとんどは、言い訳だと思う。
相手は、そんな言葉は欲しがってないし、聞きたくもない。
ただ、自分が「これは必要な説明だ」と思い込んで、延々言葉を重ねているだけで、それは何も効果を発揮していない。
むしろ、相手をウンザリさせるだけ。
「納得しなきゃ進めない」って、私も昔は思っていた。
今も、その感覚を退けるのは難しいこともあるが…でも、薄くなったもんだ。
「納得する」というのは。
ほとんどのケースで。
「あんたの言うこと受け入れる代わりに、私の都合を受け入れてくれ」とか
「それは聞きたくない、しかしこちらの言い分を受け入れろ」という意味なのだ。
「条件を飲んでくれなきゃ検討しない」ということだ。
多くを拒否することに成功し。
リスクは減らし。
チャレンジも減らし。
負担を減らし。
そこそこ、ちょっとだけ重心の位置を変える程度で事なきを得る。
そんなレベルの、着地点。
納得した、というのは、多くのケースが、そんなもん。
言葉のトリックは、自分が一番、嵌まりやすい。
相手を落とそうとして、逆に自分が落ちるのが、言葉ってヤツのやっかいなところ。
動いてみる、という以外に解決策がない。
そんな時。
「納得できなきゃ、できない」
という理屈は、本当に、意味が無い。
納得するとかしないとか、そんなことは関係ないところで、「動いてみるしかない」のだから。
感情の置き所など、どうだっていいのだ。
それを呑み込むのは、キツイ話だけど。
でも、それができなきゃ、元の位置でウロウロする以外ない。
それしか手がないから、ウロウロしているのであって。
ウロウロをやめるには、そこから移動する以外に、無いんだから。
そして、それは、納得するとかしないとか、どうでもいいのだ。
はー、イヤだイヤだ。
グズグズ言ってた方が楽だよ、ホント。