あなた創る人、わたし使う人 使う側がわかるから、創る側はわかんなくてもいい……?
「効果」というものに対してのセンサーの感度。
私はこれ、かなーーーーり、低いなと自分でも思っている。
これが低いと、自分がやってきたからこそ得られた結果はもちろん、他の要因で得られた結果に、ホント、気づきにくくなる。
たとえば、願掛けをするとする。
センサーが敏感な人は、その後ちらりとでも、その時の願いに関係するモノゴトが身辺で動きを見せた時、すぐに「あ、効果が出た!」と、感じとることができる。
まあ…それが、真実そうなのか、ということは、ちょっと置いておく。
プラシーボ効果も効果の一つだし。
小さなことを積み重ねることで、大きな結果を引き出す、というのは、こういうことにも適用されると思う。
※こういう考え方をしている時点で、すでに、「これは○○の効果だ!」なんていう発想に結びつきがたいのだけど………
たとえば、パワーストーンとか。
おまじないとか。
何かのマジックとか。
興味がないわけじゃない…というか、かなりある。
なんだけど。
それを実際、使ってみたり、使える人にやってもらったり…するとしても。
その結果を、自分で、「これ、そうかも!」というところに結びつけることができないと、
「そもそも、それを願ったこと自体も、自然と風化していく」→「結局、信じ切れないまま終わる」
っていう状態が続く。
すぐにピンと来る人ならば、ガンガン効果が出ていることが実感できる…というので、一層信じる力がUPする。
…と、まあ、そんなこんなで、こういう性質は「ちょっと損かも」とか、思ってた。
でもねえ。
それら「効果を出す術」系のプロと何人も、これまでけっこう長く、付き合っている上での、この「そこに結びつかない」性質だからね。
意識してみようったって、なんかやっぱり、無理なんだね~。
そういうことをすぐに感じ取れると面白いだろうな~という程度の興味じゃ、性質を変える程にはならんね、やっぱり。
以前、とある術を使う系の方に、
「わたし創る人、あなた使う人…っていう割り切りでいいんじゃないですか?」
ということを言われたことがある。
「それがどういう効果を生むのか、どういう使い方したら効果出るのか…とか。
作り手は、別にわかってなくてもいいんじゃないの?
使う側が、『あ、コレ○○に使える品モノだな』って、わかるからいいんですよ」
という、斬新な(と私は思った)意見だった。
「へ? そんなんでいいんかい?!」
と、心底思ったんだけど。
けど、そういうもんなのかもね。
…と、懐かしいことを、ふと思い出したのでした。
結局今も、「それでいいのか?」に関する答えは出てません。
だって、別にソレ系のモノ創ってないから。
今は。
ちなみに、その話が出たのは、コレの制作風景を見ていた、とある西の方の人からでした。
龍を焼き絵した木刀です。
何人かが、「これ使いたい」と言ってくださいましたが…
そもそも、そういう用途で創ってなかったからね。
いかんせん、形状が形状で写真に撮ったんじゃ何が何だか…だったので、動画撮りました。
もう手元にはありません。
尖端まで入っている写真が全然残ってなかったので、もっといろいろ撮っておけばよかったなあ。
ちなみに、ほとんど下絵とか描かずに焼き入れしちゃうので、「あ…ここヤバイ。繋がってねえよ…(^_^;)」という箇所がいくつか、ございますが。
ぶっちゃけ、少々の破綻は、大勢に影響は無いってことを学習したのも、こういうモノへの描画からでした。
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