諦めたら、それで終わり
思いっきり紹介したい記事があった。
関西方面に知り合いが増えた最初のきっかけは、奄海るかちゃんだった。
まだホントに、天使描き始めた初期中の初期の頃。
その頃は、まだ、大阪なんて遠いしな…みたいな感覚だったんだなあ…懐かしい。
「うわー これやろうと思ってたら、別の人がやってたー!」
てことは凄くよくある。
ほんと、よくある。
っていうか…私は前からよく書いてるけど、この世界には「完全なオリジナル」など、もはや存在しない。
だから、どこかで必ず、誰かがすでにやっている。
同時期に同じこと考えている人がたっっっくさんいる、と思っている。
ただ、その中でも「実際にやる」人は案外少ないので、数少ない人の中から、特に目立っていく人とそうでない人に分かれていくってことだ。
自分が「そのお題」をどう料理して表現するか…というところに「自分なり」を出して行く。
それが上手くいくかどうか。
見せ方はどうか。
そういうところにオリジナル性を出していくしか、ない。
本当に叶えたいことは 諦めないし手放さない。
自分に何が必要かは、自分しか知らない。
そうです。
自分しか、それを知り得ない。
それを実現できるのも、自分しかいない。
私は「あかり玉」と名付けたひょうたんランプを商品にしようとして、今、試行錯誤中。
Facebook内で第一期モニターさんを募集し、その方々向けの子を作りながら、仕様や部材の調達に右往左往している。
でも。
ひょうたんランプなんて、ものすごいハイレベルなものを作っている方が、たくさんいらっしゃる。
しかも、めっちゃ安い値段で売られてる方とかも。
ひょうたんから栽培して、文字通り手塩にかけて作られてる方も。
私は、それらのどこを取っても、そんな領域ではない。
けれど、比較的強気の価格を出していくことに決めている。
今サイトに載せている価格は「本価格」の前の「期間価格」であって、本価格の時はもう少し上乗せする気でいる。
が、実際、今出している価格ですらも、周辺にいる人から「高いね」って言われたこともある。
けど。
そこは、変えない。
そして、「あかり玉」という名称は、商標登録申請を出願した。
けれど、この名前は、すでに使われている名称だ。
ひょうたん素材ではないけれど、手作りランプの人達が使っている。
知ったのは、この名前にしよう、と決めた後のこと。
どうしても、使いたかった。
変えるとしても、せいぜい「あかりだま」と読ませるか「あかりたま」と読ませるか…くらいのことしか考えられない。
そして、それは、「あかり玉」という文字表記にはあらわれないところなので、結局、他の名前にするという選択肢など、ない。
名前は、そのモノの生命のカタチを決定づけるものだから。
だから、権利を確保しようと思った。
先にその名前で動いている人達に申し訳ない…と思う気持ちも、無いわけじゃない。
でも、私は私で、これから先への自衛も含めて、権利を確保すべきだと結論を出した。
まだ申請中だから、取れるかどうかわからないけれども。
弁理士事務所からは、だいたい問題はないだろうと言われている。
光を…というより「灯火」を、灯したいんだよ。
私はずっと、天使描き始めた頃から、結局は、そこを見続けてやってきた。
今になって、そのことはすごく、よくわかる。
だから、たとえ過去に誰かが使っていた名前だったとわかっても、もっとスゴイものを作る作家が他にたくさんいても、そういう人達が提供しているより高値でも。
関係ない。
値段しか見ないなら、それで仕方ない。
経験値は少ないから、技術に差があるのも今は仕方ない。
センスは…こればかりはもう、どうしようもないけれども…そこをカバーするのは、「他の技法もミックスできる」複合技だと私は思ってるので。
ひょうたんだけでない他の素材を使っての「あかり玉」も、企画は進めている。
諦めたら、それで終わりだ。
負けたら終わりじゃなくて、やめたら終わりなんだよね。
勝つか負けるかじゃなくて、やるかやらないなんだよね。
歌詞を読んでほしい。
最近は、「歌詞を見ない」人も多いらしいと聞いたので、あえてわざわざ書いておく。
気力が失われそうになった時も、新たなエネルギーをくれる人達は必ずいるのが、この世界。
そして、そんな循環も、自分がそれを受け取れなければ、無いのと同じになってしまう。
世界から、何をもらって、何を拒否するか、無視するか。
それも全部、自分が決めていることなんだから。
時々ね、「執着しない」ということを美徳とする感じの人達が、言うんだよね。
「諦めないのは大事だけど、執着しないことはもっと大事」
みたいなこと。
でもねえ。
そういう場合の「諦めない」と、何かを実現したいと思う時の「諦めない」って、使い方違うから。
同じ言葉ではあるけれど。
執着しないのが大事、って言ってられるような…
そんなことで捨てられるようなことは、
「諦めたら、それで終わり」
っていう話が適用される領域とは違うところのことを言ってるのだから。