旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

年の瀬も押し迫った本日気づいた「未だかつて私の中になかったレパートリーが出現した」話

とあるモノの試作品を作っています。

絵でも陶器でもありません。

 

そして。

その最中に。

 

すごい事に気がついてしまいました。

 

ええ、本当に、スゴイです。

私の絵描き道の中で、こんなことが起きるなんて考えもしなかった...というくらい。

他の人にとってはどうってことないかも知れないけれど。

私には、天地がひっくり返ったくらいビックリすることです。

 

なんと。

 

「小さい方が描きやすい」

 

という。

今もって、不思議に思えるんだけど。

でも、何度かやり直してみて、やっぱりそうだとしか。

 

 

小さい方が、描きやすい。

 

そんなことが、起きるなんてーーーーーー!

 

 

今までどれだけ、作品の小型化を図ろうとして断念してきたか。

できなかったの、どうしても。

大きい方はいいの。

A1だろうがB1だろうが壁だろうが。

ウエルカム。

 

でも、小さい方は。

ハガキサイズとか、もう、けっこう苦。

今龍印画の小さい方を2Lサイズにしているんだけど。

それは、ハガキよりもちょっと大きい。

ハガキに描くつもりで描くと、ちょうど、そこそこ余白を持たせて2Lのフレームに入れられるように収まる。

これくらいがもう限界かな...という小ささ。

 

名刺サイズの絵もがんばっていたことがある。

できなくはない。

が、せせこましい感じになってきて、一枚描くと「うがーーーーーー」って(笑)

 

 

なのに。

おそらく最適サイズは名刺大ではないだろうか...と思える描画法が現れた。

おっとびっくり。

 

小さいのが苦手と思っていたから、その描画もハガキ未満ではやったことがなかった。

しかし今日、試作品を作っていて。

名刺か、それよりちょっと小さいくらいのところに描きこんで。

「おお? このくらいの方が扱いやすいんでないか?!」

と、驚きの発見。

 

後でハガキを使ってやってみたけど。

ビミョーに、広く感じる。

 

なんと。

カードサイズレベルの用紙が、扱いやすいとはっ!!!!!!

 

いや、驚いた。

本気で驚いた。

 

同時に。

ああ、これは、やっぱり、多産になるための手法なんだ...と。

思った。

私にとっては、ということだけど。

 

この描画法は、大きくするのではなく、高密度を目指す。

 

もちろん、大きいのもできる。

 

理由は簡単。

筆を使わないからだ。

 

筆を使うと暴走傾向が早く出るので。

ハガキに筆とかヘタすりゃ一筆で終わってしまう。

 

でも、筆を使わない描き方なら。

大丈夫なのだ。

 

これでやっと、名刺サイズで持っている紙達に出番が巡ってくる。

ありがたや。

 

 

 

 

画像は、昔サイズ小型化のための訓練中に描いた万年筆画。

名刺サイズの紙に描いている。

今やっているのは、この類の延長線と交差している。

これに文様化された文字が入ってくる感じ。

やっぱり、無意味なことなどこの世界にはないのだ。

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ああ、そうだね。

お守り刀で描けばいいんだ。

インクと紙の相性さえ合えば。

黒インクの、黒のキレイなのを選べばなおヨシ。

 

おお、なんか楽しくなってきたぞ♪

 

 

 

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負け慣れる、という恐ろしい平安

ナンバーワンにならなくてもいい

オンリーワンなら。

 

いやいや。

それは違う。

 

オンリーワンであることと、ナンバーワンであることは、全く別の話だ。

ナンバーワンであり同時にオンリーワンである。

それが、望ましい。

 

オンリーワンではあるけどナンバーワンではない。

その事実を見ないですますために、ナンバーワン「より」オンリーワンだ、と言っているだけだ。

 

 

知っているかい?

生物というのは、勝たなくては生きることを許されない存在なのだってことを。

そのために、様々に進化して適応していったのだ。

 

 

 

でも。

競争というのを、悪のように扱うようになって。

全員主役だ、というのを、全然違う意味で使うようになって。

 

競うこと自体、よくないように思わせている。

 

和をもって尊しとす。

それって、競わないことが良しという意味ではないのだが。

 

 

勝ちに行く、ということを忘れるって、実は恐ろしい。

 

負け慣れると、平和なのだ。
平安なのだ。
勝てないことは前提。
それを破ろうと馬力をかけるには、勝たなくてはならない動機も必然性もない。
別に、いいじゃないか、このままで。
何も困ってないのだし。
平和だ。

 

そして。

気がつくと、勝ち慣れている者に支配されている…と。

 

 

マンガの世界じゃ、あいかわらず、勝ちに行きそれを掴む主人公が活躍するストーリーが大人気。

 

みんな、勝つヤツが好きなのに。

勝とうとするヤツに憧れるのに。

 

なぜか、ナンバーワンになれなくてもオンリーワンならいい…とか言っちゃう。

 

ナンバーワンであることと、オンリーワンであることは、まるで別の話だ。

ナンバーワンであり、オンリーワンでもある。

それが、最も望ましいのに。

どの人気作品のヒーローも、みんなそうじゃないか。

負け続けても勝ちに行く主人公はいる。

負け続けて負け慣れてしまったキャラは、そのままでは主役にはなれない。

 

 

自分にとって「どういう状態が、勝ち」なのか。

それをちゃんと定義して、取りにいこうじゃないか。

勝ちのあり方は人それぞれでいい。

価値観の問題であり、人に強制されることではない。

 

ただ、それをちゃんと意識して、目指そうじゃないか。

なんとなく惰性で、負けてないならよし…みたいなのじゃなくて。

 

勝つ相手は、昨日の自分だ。

だれか別の人とか、社会とかではない。

相手は常に、過去…一瞬前の自分。

 

ほしいものは、取りに行け。

負け慣れるな。

誇りというのは、負け慣れた者からは離れていく。

そこに鈍くなったら、いけない。

私は、そう思う。

 

 

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龍雲には比較的よく遭遇するけど、写真を撮れるタイミングではないことも多い。

ばっちり収まってくれると、ツイてるなって気分になれる。

 

小森憲一郎という現代東洋占術家のオリジナル占術による【一生の指南】

たぶん、お会いしたのは一回だけだと思う。

記憶が間違ってなかったら。

ネットで先に交流があって...というパターンでもなく、「初対面が初見」だったとも思う。

 

その時も、ちょっとクセのある方だな~なんて思ったの憶えている。

その後Facebook等で時々やりとりし。

文章を拝見して、「あ、やっぱりちょっとクセあるな(笑)」と思っている。

小森さんは、そんな人。

現代東洋占術家である。 

 

 

今回。

「オリジナル占術です」

というところに、興味を持って、見ていただいた。

どういう占術か......というのを私はどうにも説明ができないので。

ご本人の、それについて書かれたブログ記事を貼っておく。

自分のオリジナル占術を公開する勇気。|古い解釈を、現代に合わせる 現代東洋占術家 小森憲一郎のblog

 

もう一つの記事から、一部引用。

この占術の欠点は、【一生の指南】
その【指南】が一生のってところなのだ。
一生の指南って、東洋占で出してる文献はないから。
そのため、私のオリジナルである。
ただ、だからといって、スパンが長すぎる。
さらに、占われたクライアント様の感情も大きく作用する。
一生を占うとは、傾向しかわからないのが、普通である。

早速、指南法則に・・・|古い解釈を、現代に合わせる 現代東洋占術家 小森憲一郎のblog

 

 

 

私がいただいた結果は、こちらだ。

 

全文引用OKという許可をいただいている。

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で、少々、理解しにくかったので「指南」ということについて解説を求めてみた。

 

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上にリンクした小森さんの記事を合わせると、この「指南」と銘打たれた占術がなんとなく、わかってくる.........かな?

 

 

さて。

私の感想だが。

「一生の生き方法則」つまり、生涯にわたって継続する私という人間の傾向、ということと解釈すると。

ほぼドンピシャといってもいい。

当たってる。

 

「正道」を、世間一般のような外側の基準での王道...のようなところに求めると話が面倒になるが。

私の中にある、私自身の生涯を貫く一本道...とすれば。

確かに、そこから外れることは「ほぼ絶対」できない。

絶対なんてことはこの世には存在しない...というわけで「ほぼ」だけども。

9割9分9厘、それはできない。

それが私の枠でもあり、ある意味では限界でもある。

ぶち破りたいと思う一方、そこに美学がある以上、この線の上を行くのが私の王道だ...とも思う。

 

隣の芝は青いし、なんなら黄金色に見えることすらあるが(笑)

だからって、この正道を逸れることができるか...って言ったら、NOだし。

 

私の正道とは、紆余曲折ありまくり、登ったり下ったり、なんなら突然プツッと途切れてとんでもないところから再出発...なんてことすら起きてしまう道。

「危うい道」...そりゃそうだ(笑)

 

で。

今でこそ、かなり落ち着いて温厚(自分で言う)になっているけれども。

40代前半あたりまでの私は、はっきり明確に、自分の危険な破滅型傾向を認識していた。

スピリチュアルの世界に足突っ込んでからというもの。

その危ない破滅型傾向はかなり、顕著になっていて。

その時期が、人間関係のドツボにはまっていろんな観念が反転してしまった時期と重なっている。

 

私の中には、「このラインを超えたらダメ」という、スピリチュアルに関する禁忌の概念が非常に強く存在していて。

そのラインというのがまた、刀のような切れる線で。

私は、その刃の上を、次の一歩で真っ二つになるか、または向こう側(いわゆる闇落ち)するか、または無傷でまた戻れるか...というのを日々試しながら歩いていた。

そんな感覚だったのを、今もよく憶えている。

 

まあ、実際には、当時の私はまだまだ、ほんの入り口に立ったばかりだし。

対して経験則もなく、本当にカンだけでそれをやっていて。

強度の憑依現象に対処する現場に立ち会うような機会にもまだ恵まれる以前だし。

私自身も、まだふわふわしてたように思う。

 

でも。

その、「今日はあっちへ落っこちるかも」みたいなところを好んで歩くのは、実に楽しかった。

いつ落っこちるか、どこまで行くと落っこちるか。

真っ二つになるのはどの角度か。

そんなことを確認するのが「趣味」だったとも言える。

悪趣味だ。

そして、その自覚もあった。

 

自分の正道...美学に反するから、落ちるわけにはいかない。

でも、その淵の際はどこなのか、それを知りたい。

 

困った好奇心だったよ、我ながら。

 

まだ、龍を描くようになる前だ。

というか、天使時代の話だ。

あんなふわっとしたキレイな色の絵を描いている時期、私自身はそういう危ないところを行くのが楽しかったのだ。

そりゃあ、絵と自分の乖離が激しかったのも道理(笑)

https://www.instagram.com/p/7uaQh1piTN/

懐かしい絵シリーズ。ガブリエル&マリア(受胎告知)#artwork #art #illustration #angel #pastel #天使 #ガブリエル #マリア #パステル

 

 

そして、その当時の交友関係はまもなく一掃された。

今も続いているのは、ほんの一握りの人達で。

その中には、今となっては欠かせない存在とも言える人達もいる。

人間関係総入れ替えの時にも繋がり続けた人達。

あの頃、自分が今ひとつも今三つも信用できなかった私だが。

今となっては、それは過去の話だ。

 

 

今の仕事は天職だという。

でもほんの少し前まで、私はこの道を捨てた人間だった。

15年近く、絵から離れて、創作も離れて、もちろんスピリチュアル道も離れて。

もうそれらは自分の生活には関係ないものだと思っていた。

未練もなかったし、諦めたというような感覚もなかった。

自然に消えていき、もうどうでもよいもの...だった。

 

ヘアピンカーブを描いて戻ってくるなんて。

カケラも考えてなかった。

 

でもまあ。

天職だというなら。

どっちにしても、いずれは戻ってきたのかも知れない。

天使とか神とかの怪しい話が身辺に沸き起こるようなことが、なかったとしても。

 

 

もうこの道から離れることはないので。

天職を全うして正道を堂々、生きるよ(笑)

 

 

「今の吉凶」とか「ここ最近の運勢」とか。

そんなことは、私はぶっちゃけ、どうでもいいのだ。

運勢が落ちていても、上がっていても。

私には、あんまり、関係ない。

 

バブルが崩壊したって言っても私には何も影響がなかったのと同じように。 星回りが良かろうが悪かろうが、今までの人生、大きく影響が出た記憶がない。 いい日もあればそうでない日もある。 それだけの話。

今年も残りあと3日 - 緋呂の異界絵師通信

 

上がっていても下がっていても、吉でも凶でも、やることは同じだ。

 

 

小森さんも書かれているように、この「指南」というのは、目先の動向とか運勢とかに気持ちを左右されやすい人には、ピンとこないかも知れない。

その時の状況に囚われていると、全体の流れは見えにくい。

 

ただし.........なにしろ一生の傾向っていうくらいだ。

なかなか、お金にはなりにくい占術......な気はするね。

 

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(生まれながらにして与えられてる生き方に沿って、生きているかどうか。いきるべき注意点等のアドバイスです)

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