旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

人の不幸でしかあがなえない…そんな痛みを追体験しに行くの、やめにしない?

しばしば、耳にするのは。

自分と同等か、もしくはそれを上回るような困難や苦境に遭ったことがある人でないと認めない、という感覚。

 

「わたしは、○○が××しても、それを克服して今、これをやっている」

 

それが、自信にもなっているのだけど。

あまりにも困難だったがために。

あまりにも辛かったがために。

そんな思いをしてきたことを、「最低ライン」に、設定してしまう…という。

 

ある意味、刷り込みの間違い…なのだけど。

 

でも、暗に、自分以上に「不幸だった」人以外は、認めてやらない…という心理に傾いてしまう…という。

 

 

でも、思うんだけどね。

 

そんなに、人にツライ目にあってもらいたいの?

そんなに、同じような辛苦を味わってもらいたいの?

もっと苦しい状況に、人を追い込みたいの?

 

それを切り抜けてきた人でないと認めない…って、そういうことだよね?

 

みんなが、自分と同じかそれ以上に苦しい目に遭えばいい…と。

 

そういう、ことだよね?

 

 

そんな思いを抱いている限り。

その苦しい記憶からは、逃れられないと思うんだ。

 

誰かにそれを強いる限り。

 

自分も、楽な気持ちには、なれないと思うんだ。

 

 

もちろん、一時的にそんな気持ちになっちゃうことはあると思う。

それほど、辛かったのだし。

 

けれど、ずっとそこに居続けるかどうかは、自分で選ぶことができる。

 

 

環境や血縁、天変地異。

そんな、どうしても避けられないことや、個人では太刀打ちできないことは、いくらでもある。

 

人も引きずり下ろさなきゃやってられない程の痛手は、人の不幸でしかあがなえないのかも知れない。

そうかも知れないけど、そんなことで埋めた穴は、やっぱり膿んで痛むと思うんだ。

 

 

私はそこまでになったことがないから。

こんなこと、思うのかも知れない。

 

そうだね。

たぶん、そうなんだ。

 

でも、あなたが味わってきたことの100分の1くらいしか辛くなかったとしても、それなりに痛い目にはあってきてるし。

人にも同じ思いしてもらいたい、って考えてしまう時は、自ら思い出して追体験しているな…っていうのは、経験から知っている。

 

追体験、やめればいい。

 

許しなさい、って言ってるんじゃない。

それは、したくなければしなくてもいいと思う。

 

そうじゃなくて。

自分から、それを再度味わいに行くのは、やめようよ…って、言ってるだけ。

 

自分を自由にできるのは、自分しかいない。

 

それだけの話。

 

 

 

仏の顔も三度まで…その諺は適切ではないけれど、心境はそんな感じな今日この頃

三度、似たような状況が起こったら。

もう、本当に、それを起こしている原因を絶つようにしなきゃいけない。

 

今、それをすごく、実感している。

 

その原因は、自分の中にある。

どこかで、そういう状況を招き寄せるように、選んでいる。

 

ああ…全ての人がそうであり、全ての原因がその人にある…と言ってるわけではないよ。

 

これは、私の場合の話だ。

あなたの場合の話ではない。

 

 

 

私の場合。

こんな面倒くさい、イヤな状況なのに、似たようなことを3度も経験するなんて。

いや、3度じゃすまないか…もっとあったじゃないか。

おかしいんだよ実際。

そういう因子が匂う人や状況を、好んで選んでいる。

どのケースも、最初はすごく、いい状況になるんだ。

楽しいんだ。

けれど、些細なことから、潜んでいるトラブル因子が表に出てくる。

 

なぜなら。

私は、トラブルが好きだからさ。

トラブルになると、ちょっと元気になるんだ。

わかっているんだ、自分で。

 

窯に火が入る…というか。

ヘンなエンジンに点火してしまうんだな。

 

他のことで元気になればいい。

窯に火を入れればいい。

良い方へ進むエンジンに点火すればいい。

 

何かに点火していないと気が済まないのだから。

 

お手軽なのが、トラブル因子に点火することなんだ。

カンタンだから。

 

 

けれど、回数を重ねるごとに、引き起こした状況が、変わって来たから。

とうとう、本来ならば起こらなくてもいい、自分が原因ではないことによるトラブルが発生した。

私は特に何もしていないのに。

私が寄せた、別個の個性からのシワ寄せが、私に向かってきた。

 

ああ、なんてバカバカしい。

 

今度という今度は、もううんざりだ。

 

こんなことで、疲れる点火をするのは、もうやめるんだ。

 

その、潜む因子の香りを察知したら、フェードアウトする。

一定のラインから中には入れない。

ましてや、こっちから寄っていくなんて。

一時的には、すごく魅力的に見えるから、なかなか始末が悪いんだけど。

 

 

 

 

吸血鬼は、招き入れない限り入ってこれないそうだ。

でも、招き入れたくなってしまうような魅力があるんだそうだ。

どうしても、フラフラっと、入れてしまいたくなるんだそうだ。

 

だったら。

そうなった時、吸血鬼側が「こいつはヤバイ」と思うアイテムを装備しておくのがいい。

入ろうと思ったけど、そのアイテムがあると入りたくなくなる。

吸血鬼のお話しで言うなら、十字架とか、ニンニクとか、聖水とか。

 

たぶん、私が「寄せちゃいけない因子」にも、共通の有効なモノがあるはずだ。

私が装備するには、ちょっと、難しい…私自身にすら合わないような装備である可能性はあるけれど。

(なにしろ、トラブル因子は自分に似ている因子だから…)

 

 

 

 

ひとまず………

 

(私にとっての)悪霊退散の札でも、書いておくか。

 

 

作品の展示会 誰とやる?どうやる? ハッキリ見えた今の方向

作品をどうやって見てもらうのか…という時。

私のように、大きな絵が中心だと、手軽に持って行くというわけにもいかないし。

やはり、展示会をやる、というのが、一番よい方法になる。

 

もちろん、そのためには会場の手配が必要になる。

よいギャラリーを借りたい、となると、会場費は非常に高額になる場合が多い。

1週間で5万円は激安。

1週間で10万円以上はザラ。

20万円超える会場もある。

 

 

額装もしなくてはならない。

大きな絵は、額も大きく、一点ずつ費用がかさむ。

こだわって、いい額を誂えれば、絵の力は数倍になる。

額は本当に重要で、絵の一部だから、いいものを選びたい。

が、私が使うサイズB2だのB1だのになると、うっかりすると1枚の額で数万円…なんてことも、軽く、起こってしまう。

 

運搬の問題もある。

よい額は、えてして、重量もある。

だから、しっかりした展示用設備…ピクチャーレールなどのある会場でないと、まず、展示すら不可能になることも。

 

 

潤沢な資金がある人や、展示会やれば多くの作品が売れていくような人気作家さんならば、そこも大きな問題ではないかも知れないが。

そうでなければ、どこでやるか、という段階で、選択肢は非常に、限られる。

 

それを軽減してくれるのが、グループ展だ。

 

今まで、いろんな人と組んでやってきた。

多くは、その頃に比較的交流の深い、仲が良いと思われる人と、「じゃあ、一緒にやる?」という流れで組む。

 

そして、その度に、いろんなことを感じてきた。

 

 

 

これは、今日、Facebookに投稿したもの。

ネタになった記事のリンクと一緒に、貼り付けてみる。

 

 

もしかしたら見られない人もいるかも?

なので、私のテキストをここに、転記しておく。

 

ここ1、2年、この内容に通じることを、作品の展示会を誰とやるか…ということで感じています。
気が合う人同士でやる、ということの良さ&問題点てのを、いろんな人と組んでやってきて、そのたびにいろいろ、感じる。

これからは、展示会を人と組んでやるという時、もともとの親交の度合いではなく、作品の内容や方向性などによって「同じ展示会を一緒に作る」という感覚でやれるような企画でもって、やっていく…というスタイルにしていこうと思う。

そうでなければ、一人でやる。

売るための展示会というだけではないけれど、その空間を共に創っていく、というのを本当に実現するには、「企画ありき」であるべきなのかな…と。

もちろん、人ありき…で、もともと気が合う人と、企画を中心に創っていくことができれば、それは歓迎すべきことです。

 

 

リンク先記事から引用。

 

いくらでも可能性はある。
いくらでも嫌われてもいい。
ネットの場合、母数(パイ)は いくらでもあるのだから。

友達に仕事を頼む/頼まれるからうまくいかない。リアルの強いつながりよりネットの弱いつながりを : 好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

 

 企画がまずあって。

その企画に賛同する人達…単に「作品を出し合う」だけでなく、会場の演出なども一緒に考えて、一緒に創っていく。

そういう展示会を、やってみたいと思う。

 

今までも、それは思っていた。

けれど、結局、「近いところにいる人」に声をかけて、その中でやる…ということが常になっていて。

時には、妥協に妥協を重ねる結果になった…なんてことも、あった。

直近の展示会は、あかり玉中心のクローズ空間を作らせてもらったので、私自身は「他のメンバーとの共同空間」を意識しなかったけど、それはそれで、果たしてどうだったのか…というのは自分自身として疑問も残るところだ。

 

知り合い同士が、手持ちの作品を持ち寄る…というスタイルの合同展は、おそらく、私がやりたいことと、違ってきたのだと思う。

単純に、集客力と費用配分というメリットを取る…という発想であれば、そのスタイルが一番楽で、やりやすい。

 

だけど.....

 

あかり玉の展示をやってみて、今までの作品の展示とは全く違った空間作りが必要になるのだというのがよくわかった。

それもあって、今までは漠然と「これでいいのかなあ」程度にぼんやり思っていた展示会の創り方というのが、ハッキリと「これじゃダメでしょ」と、思えてきた。

何事も、やってみて初めてわかる。

 

あかり玉中心の展示会にするか、絵中心の展示会にするか…という選択も含めて、また新しいやり方を探していこう。

 

f:id:art-hiro-b:20160726232032j:plain


掲載画像、文章他の転載はご遠慮ください。引用の際は出展元の明記をお願いします。