緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

名を名乗る ということ

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空気吸いに来た津島神社 撮ってみた画像に鳥が写りこんでた。#津島神社

 

秋~冬が好きだ。

なんといっても、空が美しい。

 

午後になると光が黄金色になり、そこから日没までの短いひととき、世界はこんなに美しいのかと見とれずにはいられない。

 

 

この移り変わりは、人という種族がこの世にいてもいなくても、続く。

少しずつ、けれど絶えず変化しながら、続いていく。

 

 

以前、こんな記事を書いた。

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

山はどこから始まるのか?

地図上では決められているけれど、そんなのは後から人が作った概念にすぎない。

神も、そんなようなものだ。

 

…という、記事。

 

 

人もその一部にすぎない。

人は一部…でもなく、人が一部…ではなく、人も一部。

 

 

 

前に、ある飲み会の席で、こんな質問を受けた。

 

「神の名前を借りるなら、重々気を付けなきゃならないって言われるんだけど、実際、どうなのかな?」

 

答えは…イエスでもあり、ノーでもある…と、私は思う。

 

私は、自分のペンネームやヒーラー占い師名などに、神仏や天使の名前をそのまま使っている人達が好きじゃない。

正直、「よくやるよ」と思う。

「そんな恐ろしいこと、よーやるわ」と。

 

ほとんどの人間にとっては、その行為は「やめとけ」というものだ。

 

よくもまあ、そこにのっかる「見えない質量」を己が支えられると思えるよな…と。

(名を借りることが無礼だ、失礼だ…という観点での話とはちょいと違うのだ、私の考えは)

 

 

 

でも。

ある一部の人に対しては、真逆なことを、思うことが、ある。

 

「名乗ればいい。その名前がふさわしいと思うなら」

と。

 

神の名は、確かに、人が与えたものにすぎない。

ある種の記号でもある。

 

けれど、長い長い年月をかけて、その名に与えられた「音」は、その神が備える属性を帯びるようになった。

名を持って「縛る」とも言うように。

組み立てられた「音」は、現象を、「かたちづくる」ものでもある。

 

あの山は、霊山だ。神がおわす山だ。

その信仰のもとで語られる山の名と、地図に書かれている山の名は、同じ音でも、違う音。

 

違う音でも、同じ音。

 

 

人間は、どんな大きさにでもなれる存在だと私は思っている。

 

本人が、どんな大きさかと自分を「信じる」か、という、その点に、かかっている。

 

 

音を、単に音として「あの神様が好きだから」などのノリで、名乗る…ということは、私はオススメしない。

重ねて言うが、無礼だ失礼だ、という意味から、そう言うのではない。

 

名乗るなら。

その音に、己を全部賭ける覚悟が必要だと思う。

名乗るということは、「その音により、己をその音の属性のカタチに、縛る」ということだから。

 

だから、神前で宣誓してくれば使ってもいいとか、能力のある人からご託宣をいただけばOKだとか、そんな次元でも考えていない。

もちろん、礼儀は通したほうがいい。

だから、神前に挨拶に出向くなどの儀式は、やらないよりはやったほうがいい。

 

言い換えれば、その程度の問題だ…というのが、私の考え方だ。

 

 

その名には、長い年月をかけて人が創ってきた想いが、役割が、その質量が、のっている。

それに耐えるであろうと思える人なら。

名乗ればいい、と、答える。

 

それを支える気概があるならば、名乗ればいい。

 

 

 

その席で、聞かれた時。

「名乗ればいいよ」

と、答えた。

 

覚悟はいるけどね…でも、もうそんな話するような段階過ぎてるしね。

 

 

 

 

私は、神仏天使の名は、名乗らない。

一時、義理のある人から、とある菩薩の名をすすめられ、ほんの3ヶ月くらい名乗っていたことがあるけど。

いやあ、あの期間は、実のところ、居心地が悪かった。

神ならまだしも、仏はいかん。(←これは私の慣れ度の問題で、私だけの尺度だと思う)

 

 

今まで私が出会ってきた中にも、神仏天使の名を名乗っている人はいた。

でも、「名乗ればいい」なんて答えたのは、今のところ、その時が一回きりだ。

 

 

どこからが平地で、どこからが、その名のついた山なのか?

そういうことを、体感的にちゃんと、知っている人。

 

そうでなければ、名乗ればいいよ…なんて、とても、言えない。

 

 

 

もっとも…お気楽に、チャラく、名を借りている人には、「いっぺん、堕ちてくれば?」という意味を込めて「いいんじゃない?」と、言うかも知れない。

(現実に、堕ちた人も、まあ、いろいろね…いますけどね)

(でも、それもまた、その当人が「かたちづくった」結果です)

 

 

 


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