旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

たぶん波乱になるだろう新年を迎えるあなたに贈ることば

さてさて。

あと1時間もすれば新年を迎える。

365日。

本当、あっというま。

 

2018年は日本にとっても大きな出来事が待っている。

きっと、個人の単位でも、何らかの大きな出来事がそれぞれ、待っていると思う。

今片鱗も感じなくても。

もう、用意されているよ。

たぶんね。

 

 

先日、あることで、「自分の望む未来」をはっきりさせる機会があった。

その中身ときたら。

とてもとても強欲で。

 

その文章の中には、今まで使ったことがない「新しい肩書き」が、入っていたのだよ。

 

入っていた...とかって。

なんか自分が書いたものなのに、どこかから見つけてきたみたいな書き方だけど。

感覚的には、そんな感じ。

 

いつか。

その肩書きを名乗る日が。

来るのか?

 

その未来は、墨と板の香り。

やっぱり最後はそこに行くのか...とも、思った。

そこに行き着くために。

捨てるべきものは、捨てる。

 

選択と集中。

 

 

 

 

今年最後の記事を締めるにあたり、3月に書いたとある記事を再度、挙げたい。

みんなそれぞれに、苦しいことがあると思う。

辛いことがあると思う。

不安もあると思う。

いろんな、思いを抱えていると思う。

私もそうだ。

 

どれほどやりたいことをやり好きなことをやっていたって。

うまくいかないことだらけだし。

手に入らないものだらけ。

 

人は生きていて、社会は動いている。

時は流れて、あらゆるものは、変化する。

 

いいときもあれば、悪い時もある。

 

だから。

この言葉で、2017年を締めよう。

  

そして、不遇を乗り越えて望む未来を切り拓くために、一番必要なことは何か…と。

それは、「望む未来への、宣言」だと思う。

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

 

君は誰だ?

どこに向かう?

君は何者?

 

 

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年の瀬も押し迫った本日気づいた「未だかつて私の中になかったレパートリーが出現した」話

とあるモノの試作品を作っています。

絵でも陶器でもありません。

 

そして。

その最中に。

 

すごい事に気がついてしまいました。

 

ええ、本当に、スゴイです。

私の絵描き道の中で、こんなことが起きるなんて考えもしなかった...というくらい。

他の人にとってはどうってことないかも知れないけれど。

私には、天地がひっくり返ったくらいビックリすることです。

 

なんと。

 

「小さい方が描きやすい」

 

という。

今もって、不思議に思えるんだけど。

でも、何度かやり直してみて、やっぱりそうだとしか。

 

 

小さい方が、描きやすい。

 

そんなことが、起きるなんてーーーーーー!

 

 

今までどれだけ、作品の小型化を図ろうとして断念してきたか。

できなかったの、どうしても。

大きい方はいいの。

A1だろうがB1だろうが壁だろうが。

ウエルカム。

 

でも、小さい方は。

ハガキサイズとか、もう、けっこう苦。

今龍印画の小さい方を2Lサイズにしているんだけど。

それは、ハガキよりもちょっと大きい。

ハガキに描くつもりで描くと、ちょうど、そこそこ余白を持たせて2Lのフレームに入れられるように収まる。

これくらいがもう限界かな...という小ささ。

 

名刺サイズの絵もがんばっていたことがある。

できなくはない。

が、せせこましい感じになってきて、一枚描くと「うがーーーーーー」って(笑)

 

 

なのに。

おそらく最適サイズは名刺大ではないだろうか...と思える描画法が現れた。

おっとびっくり。

 

小さいのが苦手と思っていたから、その描画もハガキ未満ではやったことがなかった。

しかし今日、試作品を作っていて。

名刺か、それよりちょっと小さいくらいのところに描きこんで。

「おお? このくらいの方が扱いやすいんでないか?!」

と、驚きの発見。

 

後でハガキを使ってやってみたけど。

ビミョーに、広く感じる。

 

なんと。

カードサイズレベルの用紙が、扱いやすいとはっ!!!!!!

 

いや、驚いた。

本気で驚いた。

 

同時に。

ああ、これは、やっぱり、多産になるための手法なんだ...と。

思った。

私にとっては、ということだけど。

 

この描画法は、大きくするのではなく、高密度を目指す。

 

もちろん、大きいのもできる。

 

理由は簡単。

筆を使わないからだ。

 

筆を使うと暴走傾向が早く出るので。

ハガキに筆とかヘタすりゃ一筆で終わってしまう。

 

でも、筆を使わない描き方なら。

大丈夫なのだ。

 

これでやっと、名刺サイズで持っている紙達に出番が巡ってくる。

ありがたや。

 

 

 

 

画像は、昔サイズ小型化のための訓練中に描いた万年筆画。

名刺サイズの紙に描いている。

今やっているのは、この類の延長線と交差している。

これに文様化された文字が入ってくる感じ。

やっぱり、無意味なことなどこの世界にはないのだ。

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ああ、そうだね。

お守り刀で描けばいいんだ。

インクと紙の相性さえ合えば。

黒インクの、黒のキレイなのを選べばなおヨシ。

 

おお、なんか楽しくなってきたぞ♪

 

 

 

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負け慣れる、という恐ろしい平安

ナンバーワンにならなくてもいい

オンリーワンなら。

 

いやいや。

それは違う。

 

オンリーワンであることと、ナンバーワンであることは、全く別の話だ。

ナンバーワンであり同時にオンリーワンである。

それが、望ましい。

 

オンリーワンではあるけどナンバーワンではない。

その事実を見ないですますために、ナンバーワン「より」オンリーワンだ、と言っているだけだ。

 

 

知っているかい?

生物というのは、勝たなくては生きることを許されない存在なのだってことを。

そのために、様々に進化して適応していったのだ。

 

 

 

でも。

競争というのを、悪のように扱うようになって。

全員主役だ、というのを、全然違う意味で使うようになって。

 

競うこと自体、よくないように思わせている。

 

和をもって尊しとす。

それって、競わないことが良しという意味ではないのだが。

 

 

勝ちに行く、ということを忘れるって、実は恐ろしい。

 

負け慣れると、平和なのだ。
平安なのだ。
勝てないことは前提。
それを破ろうと馬力をかけるには、勝たなくてはならない動機も必然性もない。
別に、いいじゃないか、このままで。
何も困ってないのだし。
平和だ。

 

そして。

気がつくと、勝ち慣れている者に支配されている…と。

 

 

マンガの世界じゃ、あいかわらず、勝ちに行きそれを掴む主人公が活躍するストーリーが大人気。

 

みんな、勝つヤツが好きなのに。

勝とうとするヤツに憧れるのに。

 

なぜか、ナンバーワンになれなくてもオンリーワンならいい…とか言っちゃう。

 

ナンバーワンであることと、オンリーワンであることは、まるで別の話だ。

ナンバーワンであり、オンリーワンでもある。

それが、最も望ましいのに。

どの人気作品のヒーローも、みんなそうじゃないか。

負け続けても勝ちに行く主人公はいる。

負け続けて負け慣れてしまったキャラは、そのままでは主役にはなれない。

 

 

自分にとって「どういう状態が、勝ち」なのか。

それをちゃんと定義して、取りにいこうじゃないか。

勝ちのあり方は人それぞれでいい。

価値観の問題であり、人に強制されることではない。

 

ただ、それをちゃんと意識して、目指そうじゃないか。

なんとなく惰性で、負けてないならよし…みたいなのじゃなくて。

 

勝つ相手は、昨日の自分だ。

だれか別の人とか、社会とかではない。

相手は常に、過去…一瞬前の自分。

 

ほしいものは、取りに行け。

負け慣れるな。

誇りというのは、負け慣れた者からは離れていく。

そこに鈍くなったら、いけない。

私は、そう思う。

 

 

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龍雲には比較的よく遭遇するけど、写真を撮れるタイミングではないことも多い。

ばっちり収まってくれると、ツイてるなって気分になれる。

 


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