旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

描くことを「紙の上のスポーツ」と捉えるなら、命がかかった冒険です

さっき、Facebookでこんなこと書いた。

 

「紙の上のスポーツ」ていう表現が気に入った!

競技は何だろう...私は..................

 

登山.....かな.....単独エベレスト登頂....

単独太平洋横断(ヨットより手漕ぎ?)

とか???

いつ死んでもおかしくないぜー的な.... 

 

元ネタは、こちら。

 

この内容に関しては、どの立ち位置から見るかで感じ方は全く違うと思う。

私は描き手なので、どうしても提供側として考えるけれど。

購入者側としては、「これにそんな値段?!」て思う気持ちも、わかる。

「ちょっと、ここの空白に入れるイラストほしいな」レベルで思っているならば、ウン万円と言われたら「はぁ?」てなるだろう。

「この人のこの作品が欲しい!これじゃなきゃダメ!」レベルなら、言われた価格を捻出することだろう。

提供する側の論理はこうだよ、と、このツイートは言っている。

そして、提供する側としては、やっぱり、こう言いたいし言うしかないよね...と私も思っている。

 

 

 

 

当記事は、その話ではない。

 

冒頭に引用文として載せたこと。

 

絵を描く、ということを「紙の上のスポーツ」と捉えるなら。

自分は、どういう競技に相当するだろうか。

という、発想について。

 

 

単独エベレスト登頂だの、手漕ぎで単独太平洋横断だの。

どえらいことに例えているけど。

これは、あんまり深く考えないでサラッと書いた

つまり、「本音」が出た。

のだと、自分でも思っている。

 

私は、描くのが早い。

だから、時給に換算したら...それこそ、時給1000円なんかに換算したら。

軒並み、1万円以下になってしまう。

それはない。

断じて、ない。

満足いく値段がつくのは、鉛筆で延々と大画面を埋めていって約一ヶ月...という、スサさんと八岐大蛇くらいのもんだろう。

art-hiro.com

(ちなみに、上の絵は非売品なので札束ごっそり積まれても売らない)

 

 

あとの絵は、かかっても3日。

だいたいは、半日。

下手すりゃ、数分。

 

時給1万円でも「えー、ヤダよ!」って言いたくなる場合もある。

 

一方で。

「時間が、それほどかからない」ということで、自分の労力が大したことない、と思っていた時期が私は長かった。

ほんのつい最近まで、その感覚がなかなか抜けなかった。

 

なのに。

時給換算した価格だと、イヤだし...と思う。

 

そのズレが、この、シェアする時にサラッと書いた文章の中に、如実に出ているのだ。

 

「こちとら、命賭けてやってんだよ!」

 

て、ことだ。

 

実際、描いた後寝込むこともあるのだ。

(嘘のような本当の話)

 

逆にエネルギーチャージしてもらえて元気になることもあるけど。

 

でも、仮に元気になるとしても。

描く、ということを経由して、自分の生命活動に影響が出るレベルの「何かの交感(誤字ではない)」が、されているということなのだ。

 

 

 

もちろん、それをお客様にまるごと押しつける気はない。

モノには適正価格というものがある。

物質としての絵には、物質としての価格というものがある。

 

だけど。

「ちゃちゃっと描けるんでしょ」

という受け取り方しかしない人には、言いたい。

 

「命かかってるんだよ!」

 

まあ、そんなこと思う人にはそもそも売らないけどね。

 

私の絵、高いよ。

 

時に無料で差し上げることも、あるけどね。

(時と場合と相手によるし、その基準は完全に私都合)

 

 

 

 

この絵とか、20分くらいだからね......時給1万円としても3000円じゃん。

イヤだよ。

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知り合いのご祝儀とは罪深きモノなり

「好きでやってるんです~」

というスタンスで作るモノは、

少々...いや、かなりヘボでも、

そこそこに暖かく受け入れられる。

 

しかし、それを

「仕事としてやってます」

というスタンスにしたとたん。

かなり達者であっても、

厳しい目が注がれる。

 

金銭の授受があるかないか、というのに関わらず。

 

 

そんな時。

SNSの妙

を、強く感じる。

 

自分が普段から「そこそこ受け入れられている場」の中にしかいないと。

そこで、何を放っても、そこそこに、受け入れてもらえるという状況が普通になると。

 

正しい認識が、難しくなる。

 

 

 

普段接している人達が暖かく見てくれる

 

だからといって

それを

「よし、仕事にしてみるか」

と思った瞬間に。

 

折れる

 

という近未来は、用意されている。

 

 

その時、

 

添え木して固めてでも、前に進む

 

ということができないと。

本当に、終焉がやってくる。

 

 

知り合いのご祝儀とは、

案外と、罪深いものなのだ。

 

 

 

ワークライフバランスとは時間労働者のための呪文

今日が祝日だと気づいたのは、昨日の夜。

Facebookに書かれてたのを見なければ、気づかないままだった。

ダンナ氏の仕事は、目下書き入れ時真っ最中のため、曜日関係なく天気さえよければ動く。

なので、彼は今朝、私が「今日って祝日だって知ってた?」と聞いて初めて気づいた。

我が家には、息子も含めて、カレンダーで動いている者がいない。

唯一カレンダーが関係する長男は家にいない。

 

放置すると働き過ぎる傾向にある日本人。

しかも自営業者はなおさら。

 

ただ、我が家の大黒柱は還暦で、身体を動かす庭師という仕事だということもあり、自然とペースは落としてきている。

本人も、そこは気をつけているし。

 

 

私はどうか、というと。

先週の北斎展強行から調子が良くなかった件は一週間尾を引いた。

これに関してはいくつか要因が重なってしまった結果ではあったが。

回復の遅いこと、本当に、半世紀以上使ってきた身体はもう少し気をつけてやらないといけないなと思った。

 

ただ、それは、いわゆる「ワークライフバランス」の話ではない。

本調子でない時無茶すんな、というだけのことで。

仮に休んでいても、私の頭の中はいろんな妄想でいっぱいだ。

(だから、睡眠中は無になる仕様なんだね多分)

それらの妄想が現実に作品や企画として現実化することもあれば、しないこともある…というだけの話。

やりたい時に描いたり作ったりするし、やれない時はやれない。

この日はオフだ!とか言ったところで。

結局、なにかを見に行くなど出かけたってレジャーではなくインスピレーションの元になるものを見るしか興味ないし。

参拝は仕事の一環だし。

参拝のための旅行なんてもう仕事以外のなんだというやつだし。

この前、某サイト用に自己紹介文を書いた時、趣味のところに「漫画喫茶」て書いたんだけども、それだって創作に直結するものだし。

 

なにを見ても、なにをやっても、どこに行っても、誰と会っても。

結局のところ、全部が丸っと、創作の一部となるのだから。

 

ワークライフバランス?

それは、本当に、時間で働く考え方だ。

 

賃金が発生する時間の間は自分のことを考えず。

賃金が発生しない時は仕事のことを考えない。

 

その比率が狂うと人生に陰りが出るよね、ということがやっと言われ始めて出てきた単語。

 

そこにあるのは、「そもそも仕事って嫌なもの」という考え方で。

仕事してる時、仕事のこと考えてる時が一番楽しい…みたいな人(ワーカホリックのことではない)は、そんなバランスのことなど眼中にない。

 

私生活を犠牲にした結果家族も犠牲にしてしまい…的な仕事中毒者が本当に考え直さなきゃならないのは、

「仕事と私生活の時間配分」

などではない。

「自分にとってなにが大切なことか」

という、人間として生きる上での核のようなものを顧みない己自身だ。

 

拘束時間が緩い職場に変わったとしても。

そこを顧みないままであれば、単に「余った時間を持て余す」→「余った時間のせいで家族にも持て余される」になるだけだ。

仕事してた方がましだった、という。

 

 

自営業者で、時間の都合などどうとでもなるという場合でも。

対外的な営業時間はきっちりと区切っておくのがよいと思う。

休日の設定もだ。

営業時間外に一人で仕事していたとしても。

 

でも、それは、仕事の仕方、という話で。

やっぱり、ワークライフバランスっていう話とも違う。

 

 

この言葉。

今、もう、時代に合わなくなってきてるんじゃないのかなあ。

少なくとも、私の身近にいる人たちには、合わないなって感じ。

 

世の中には、1日1時間の「実務時間」で年間1億売り上げるっていう人もいる。

その看板出してる人の多くはインチキかもしれないけど、中にはホンモノもいる。

実際に私が知り合った人にも、そういう人がいる。

日々日本各地を飛び回って遊んで美味しいもの食べてついでに仕事もする…みたいな働き方の人もいる。

そんな人たちにとっては、ワークライフバランスなんて、まさに「無意味な言葉」筆頭だろう。

 

 

ワークライフバランスを大切に!

なんてのは、賃金が出る時間とそうでない時間をきっちり区切らせ、出る時間を意識させる方が有利になる「人を使う側」にとってメリットがある話だと私は思っている。

 

人を雇うのはコストがかかる。

被雇用者は本当に、いろんな制度に守られている。

それを意識しないで文句ばかり言う被雇用者にメリハリをつけさせるために、この言葉が有効なんだ…と、私は思っている。

 

 

つまり。

そこに気をつけておけば快適に働けるよ、と。

時間労働者のままでいてもらうための呪文…だと思うのだ。

(もちろん、そういう働き方が自分にとって一番いい、という人はそれでいいんですよ)

 

 


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