旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

気がつかないワタシは、本当はすごく、高飛車なのかも…と思ったの巻

普通に、団体生活などで必要になる「気がきく」ということも、私はサッパリなのですが。

何らかの「おまじない」やら、「魔法」の類をかけてみた、ということにおいても、本当に、気がつかないことが多いのです。

 

それって、もしかして、あの時のアレの効果なんじゃないの?

 

そんなことがあっても、「今更?」っていうほど後になってから、ひょっとして?と、薄っすら思うことがある。

ていう、レベルに気がつかないです。

 

考え方の習慣として、そういうのができてない。

なので、仮に何かしたとしても、あるいはしていただいたとしても。

直後にはもう、忘れてしまうものだから。

検証、ということが、サッパリできません。

 

 

先日の「自分がかけた呪いなら逆転してしまえ」発想なんかも。

私にしては、珍しいそっち方面の発想だよな、てその時も思ったんですけども。

その前に、とある、効果の大きいとされるあるものの伝授(て表現でいいのかな?)を受けていてね。

たぶん、考え方の習慣ができていれば、今までと違った何かがあれば、その働きかもしれないって検討するんではないかと思うんですよ。

 

ことよりのみくじ、なんていう護符メニューをやっている身としては、どうかと思うんだけど。

私自身は、何らかのカタチで「開いた」という「伝授その他を受けた、という、そのポイント」は

「通過するものだ」

と、捉えているので。

そこを起点にして継続していく術、というものを自分が身にまとっているということすらも、念頭からは抜けてしまったりするんです。

 

もっと見えない力を使えばいい、と今までどれだけ言われてきたか。

その時は、そうだよねーと大いに思うのです。

けど、小一時間もすれば流れ去ってしまうんです。

 

 

でも。

だから、自然に効いている…ってことは、あるとも、思います。

 

 

なんというか。

執着がないので。

斜め上から思いがけない変化球で届いても、そもそも「どこから来るかの予想」すらもしてないからね。

変化球であろうとなんだろうと、来たら受け取るか、打ち返すか、受け流すか…その時の自分の反応次第。

 

いいんだか、残念なんだか(笑)

 

でも、逆にいえば、しくじって返されている時ですらも気がついてないので、普通に反応して過ぎ去っているってことでもある?

それはそれで、平和でいいじゃん、て思います。

 

まあ、こういう風だから、何かのせい、誰かのせいにして逆ギレするようなことは起こさない、ということかも。

ハナっから、期待してないというか。

 

んー、期待してない、っていうのも違うなー。

効果があるって感じることしか手は出さないから。

面白いな、とか、楽しそうだな、とか、なんかいいかも、っていう風に気持ちが動くことしか、習ったりもしないし。

義理で受けるとかも、ないし。

 

術をかけてみる時も、頼むよもう〜って、思いながらだし。

効果は期待しています。

当然じゃんね。

 

けど、すぐ忘れてしまうってことは。

「かけた時点で、完了」

て、設定してるんだろうなきっと。

いや、もしかしたら、

「失敗しませんから私」

みたいに思ってるかも(笑)

どんだけ高飛車(笑)(笑)

 

 

実際に、今まで死なずに生きているから、全て成功していると言っても差し支えなかろう(笑)

 

 

過去に、「意図的に忘却する」ことを長く続けたことがあるので。

これも、もしかしたら、その時の「術」が活きているんではないのかな、ていう気も。

しないでもない。

忘れるようにしたのは、やっぱり、その方面の話だったからなあ…

 

(昔の私がすごい術の使い手だったていう話では全くございませんよ。念は強かったと自分でも思うけどね)

(知らずにやってる一番タチが悪いタイプと言えなくもないか…)

 

 

 

 

言縁百式の札が、すべて描けました。

いよいよ。

実技編が近い!

f:id:art-hiro-b:20170912225041j:plain

 

 

 

 

★外部サイトからも読者登録できます!→

 

 

沈黙は金 を都合よく持ち出しているんじゃないのかな?

言葉なんて、常に、真実には足りないのだ。

事実にも、足りないのだ。

 

全て、ということも、あり得ないのだ。

 

どれほど饒舌で達者な弁の立つ人間であっても、だ。

 

 

自分の考えを全て、完全に、全く曲げることなく言葉にできる。

そんな人間は、きっと、存在しない。

できると思っている人はたくさんいるだろうけれど。

 

もちろん、私の狭い世界と少ない経験からしか判断できないから。

実は、できる人は多いのかも知れない。

 

測る手段がない以上、結局は憶測にすぎないのだが。

 

 

 

でも、だからこそ。

言葉を送り出すことをやり続けるのだ。

 

やっても不十分なのに。

やらなかったら、不十分のままだ。

 

全て伝わるなんてヒトカケラも考えてはいない。

そして、全てを伝えられているとも。

人が、全て語っているとも。

全くもって、考えていない。

 

だから?

言わないのか?

言えないのか?

 

私にだって、言わないことも、言えないことも、腐るほどある。

 

だから?

それがどうした。

 

そんなのは、語らない理由にはならない。

 

 

人間て、自分の都合を訴えたい時には饒舌になる。

聞かれてないことまで、勝手にしゃべる。

文章も書く。

しかし、そういう時に「真実を語る」ことは、まず、ない。

 

むしろ、そういう時は、語られてないことに真実が含まれている。

 

 

我が国には、「沈黙は金」という、含蓄のある言葉が存在する。

そしてそれは真実であると、私も思っているし、信じている。

 

 

素晴らしき沈黙。

 

忌まわしき、沈黙。

 

 

沈黙によって語ることができるほど、できた人間だったらいいね。

 

伝える下手さを、伝える痛みを、伝える苦渋を、その負荷を。

そこに直面できない時に、都合よく、沈黙は金...を持ち出しているんじゃないって、言い切れるかな?

 

 

 

 

自然は、言葉などなくとも饒舌だ。

f:id:art-hiro-b:20170912201638j:plain

一旦受け入れ、そこからまた出発すればいいのに

あの人は、とても頭がいい。

優秀だ。

 

けれど、人は、それだけではついて行けない。

 

情が通じにくい?

それは、ある。

 

でも、もっと大きな原因が他にある。

 

 

あの人は、結局のところ

「自分自身の穴を埋めたい」

というのが一番大きな行動理由で。

そのために、人を周囲に置く必要がある。

自分自身ではその穴は埋められないから。

自分よりも「下」の位置の人たちが近くにいないと、自分で穴と直面しなきゃならないから。

 

穴を埋めたいってのは、人間の脳の構造上優先される欲求だ。

だから、別に特異な話じゃない。

 

ただ、あの人は自分が優秀だと知っているので。

そういう普通の欲求に己が順々としていることは、認めない。

 

だから余計に、欲求は強力になる。

 

一種の自己中毒にまで至る。

 

 

自分は特別でも特異でもなく、少しばかり少数派のポジションにいるだけ。

 

そう、受け入れることができれば。

きっと、もっと様々なことが安定していくだろう。

その後で再度旅に出ればいいのに。

 

 

まあ、どうでもいいけど。

 

 


掲載画像、文章他の転載はご遠慮ください。引用の際は出展元の明記をお願いします。