ワクワクが人生を変える…は間違ってはいないが正しくもない
ワクワクとか、もう、いらないから。そんな「ただの気分」に、人生左右されないよ。される人はそこ求めてつづければいいと思うから、否定はしない。ただ、それを求めて、「根底で欲しがっていること」にたどり着けるかどうかは、別の話だよ。
— 異界絵師 緋呂@7/21展示会 (@HIRO_eshi) 2016年7月14日
気分とは、一過性のもの。
その時次第。
場や状況などの外部要因に大きく影響を受けるもの。
自発的要素が少ないもの。
気分、っていうのは、そういうものだと思う。
私は、ずっと、「ワクワク」ってものがよくわからなかった。
それが大事だと言われはじめて、かなり経つと思うが、その当初からの話だ。
こちらの本は、「ワクワク」世界では比較的有名な本だと思う。
- 作者: マイク・マクマナス,ヒューイ陽子
- 出版社/メーカー: ヴォイス
- 発売日: 1999/10/01
- メディア: 単行本
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これをベースにした「ソースワークショップ」という、10時間くらい使うセミナーにも参加したことがある。
ずいぶん、昔の話だ。
まだ、絵の世界に完全に戻ってくる前の話。
2009年くらいかな。
当時は、心理学系、コミュニケーション系の勉強をあれこれ、していた。
まあ、結局は、「いやいやいやいや…これ、なんかおかしくない?」っていう疑問が多々生まれて来て、途中で離脱した世界ではある。
ここで言う「心理学」というのは、臨床心理や病理心理などのガチ学問系ではなくて、テクニック/スキル系のこと。
同じ枠に入れるのはどうなんだ…と思うほどに、両者には隔たりがあるな…というのが、私の印象。
で、スピ系世界でも、ワクワクっていうのは、よく使われる。
結局、相変わらず、ずっと、身の回りに登場する概念であり、ずっと変わらず、よくわからない概念のままだ。
気分だよ、気分、
それが大事、ということは、わかるけど。
私の「気分の感じ方」だと、そんなものは本当に、ほんの一瞬の「ゲージがぽんと跳ね上がった瞬間」のことでしかなく。
継続性のないものであり。
初回の跳ね上がり方は大きくとも、何度か接するうちに慣れてきて、だんだんとゲージの上下はなくなっていくもの。
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上記から一部引用
赤い矢印がつけてある波は、頂点が基準線を越えてます。
その時しか、私は、その感情を「知覚」しないのですよ。
楽しいも、嬉しいも、怒りも、悲しみも、まあ、そんな感じ。
基準線未満の波形は、動きとしては勿論感じますけども、それを「楽しい~!」とかいう風に表の意識には感じられない。
こんな刹那的なものに、一生を左右されるなんて。
アホだし。
気分が継続する人は、いいかも知れない。
私には、それはない。
あっという間に通り過ぎ、同じようには再現しない。
気分っていうのは、そういうもの。
そんなものを、人生の指針に据えるなんて。
ナンセンスもいいところ。
上にリンクした「ソース-あなたの人生の源は、ワクワクすことにある。」という本は、こういう概念の存在を知らずに、人の作った枠に押し込められて生きづらさを感じている、という人が、自分の感覚を取り戻すためには、いいと思う。
そのセミナーを受けた頃は、私もまだまだ、そういう段階だったので、2日間、楽しんだ。
「で?ワクワクって何?」という疑問の答えは見つからなかったけれど。
発想の転換法の一つを知ったな、とは、思う。
人によっては、このセミナーは大きな転機になる可能性がある…と、思った。
当時、私は、「こういう心理学ワークや占いやスピリチュアルメソッドを全く必要としない世界を創りたい」と、思っていた。
だから、そういう手法を取り入れて人に伝える、ということは意義の在ることだと考えてた。
コーチングの学校に行ったりもした。
(途中でイヤになって挫折したが)
必要とする人は確実にいると思う。
けれど。
ずっとそこにいる場ではないよ。
ずっと、ワクワクがどうこう言ってても、始まらないよ。
それを伝える側の人は、それが仕事だから。
ずっと言い続けるのは、当たり前なんだけど。
受け取る側…そういった手法を知って人生を転換したい、という願いを持っている人は、覚えておくといい。
そういう場は、「要件を満たしたら」離脱すべき場。
自分が何を求めているかは、自分にしかわからない。
自分にしか、つかみ取ることはできない。
手法をいくつ学んだところで、自分自身のことを本気で見直して行動しない限り、手段が本来の目的を果たす日はこない。
つまり。
ずっと、学び続けるハメになる。
気分に人生左右されてもいいのか?
そこらへんを、よくよく、考えてみるのをオススメする。