緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

私が自分の絵を説明しない/したくない/できない理由

私は、自分の絵を説明するのがイヤだ。

イヤという以上に、出来ない。

せいぜい、この絵に描かれてるのは○○神さまです…という程度でいっぱいいっぱい。

 

 

 

たとえば、この絵。

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天鈿女命(アメノウズメノミコト)【扉ひらく】 | Hiro-Web

 

これは、天鈿女命(アメノウズメノミコト)通称「ウズメさま」を描いてる。

画中に入れてる文字の表記が違うが、この頃、表記を古事記式に統一した方がいいんだろうか…とか思ってて、私のイメージではこの文字じゃないのだけど…と思いながら古事記式表記を使った。

自分の中では、天鈿女命という文字がイメージだ。

アメノウズメ - Wikipedia

 

鈴鹿椿大神社別宮の椿岸神社、伊勢の猿田彦神社境内社の佐瑠女神社などに祀られている、猿田彦さまの后となられる女神。

岩戸に隠れた天照大神が、外に騒ぎが気になってほんの少し岩戸を開けたところを外に連れ出された…というエピソードで、岩戸の前で踊った女神だ。

 

…と、いうことを、説明するまでは、OK。

 

けど、この絵には「パッと見、三つ巴紋のように見える図形が複数描かれているが、この意味は?」とか、「この光は何を表してるの?」とか、そういう質問は却下したい。

 

なぜなら。

 

そんなこと、私にもわからないんだよ!

 

…っていう話だから。

 

 

 

知り合いの画家には、何から何まで細かく、描き込んだ意匠を説明できる人がいる。

というか、もしかしたら、本来そうあるべきなのかも知れない。

 

デザインの世界などでは、クライアントに全て説明ができなくては失格…みたいなことを言われてもいる。

そういう意味では、きっちり全てを説明できる知人は、まったくもって正しい。

 

それに、そうやってきっちりと説明することで、お客さんが「なるほど、それなら買おう」という話になっていく…っていう現場も、見せてもらった。

 

プロとしても、知人はまったく、全うだ。

 

 

でも。

残念ながら。

 

私には、それができない。

 

だって、自分でもわかってないものを描いてるのだから。

なぜ、そこにその図形らしきものがあるのか。

なぜ、光のようなものがあるのか。

 

知らん。

だって、そういう風に手が描きたがったから、そうさせた、ということだから。

 

後付けでもいいから何か説明できるようにしろ、と言われたことがある。

 

イヤだよ。

後付けの理由なんか、理由じゃない。

そんな曲がった説明、したくない。

そうしないと売れないと言うなら、売れなくていい。

この結論を言い切れるようになったのは、まだ最近のことだ。

本当に、そう思ってしまったから。

 

なぜ、この位置にこの図形でないといけないのか…という理由は、たぶん、ある。

私には理解できなくても。

 

そして、それは、「この絵を見て、見た人本人が感じた理由」であるべきだ。

私は、そう思っている。

 

描き手の私の思う理由は、どうでもいい。

 

あなたにとって、どうなのか。

 

それを大事にしてもらいたい。

 

 

見てくれた人が、自分自身の感覚で「ああ、この絵を手元に置きたい」と…「何かが開けそうだ」とか「守られている感じがする」とか、何でも良いけども、とにかく、見た人の中に沸いてきた感覚でもって、判断されたいのだ。

 

私が語るウンチクによって「そうか、そういう御利益がある神様の絵なら買おう」とか、そういう判断をされたくないのだ。

 

描き手の私が、この絵のどこがどのように苦心した…とか。

どこに力を注いだ…とか。

そんなの、どうでもいい。

私の仕事は、とにかく手が描きたがるものを、そこに描かせるだけなのだ。

苦心するとしたら、単純に、私が未熟だから、という以外に理由はない。

 

 

この図形は、巴に似ていて、巴とは雷を表現する紋です…とか。

雲や流水を表す図形でもあります…とか。

神社のご神紋によく使われるカタチです…とか。

 

ウンチクは、言えなくはない。

 

けど。

 

この絵に描かれるカタチが、「その巴」なのか…なんて、わからない。

 

もっと違うものかも知れない。

何かの一部でしかないのかも知れない。

三つ巴のように見える、というだけのことなのに、「これは三つ巴といって……」なんて、わかったような説明はできない。

 

ウンチクがないと買う気にならないなら、買ってもらう必要はない。

一番嬉しいのは

「なんか、よくわかんないけど、気に入ったから手元に置きたい」

と言ってもらえることだ。

 

 

でも。

普通は、見る人は「描き手に何らかの意図があって、このように描いているのだろう」と、思うだろう。

そして、普通はそうなのかも知れない。

 

だから何?

普通はどうだなんて、知ったこっちゃない。

私は私で、こういう風にしかできないし、頭で考えたものを描こうとしても手は拒否するから、私は手に従う以外にない。

 

 

後付けで、マトハズレかも知れない枠をハメさせようとするのなら。

描かなくてもいい。

 

他人には意味がわからない、おかしなコダワリに見えるかも知れないけど。

私には、これしかできない。

 

 

 

その代わり。

今までは、それもやらなかったことを、やるようにしよう。

描かれてる神様について、神話について、神社について…そんなウンチクをもう少し語れるようになろう。

その話で、見に来て下さった方に少しでも喜んでいただけるように。

 

それなら、曲げた話をするわけではないから。

そして、もしかしたら、それをきっかけに、もっといろいろ知りたいと思ってくれる人がいるかも知れない。

ああ…私のことをじゃなくて、自分の国の神のことを…ね。

 

 

 

 

余談:古事記式の表記に統一、というのを「イヤだ~」となって却下したのは、それをやるとスサおっちゃんも「素戔嗚尊」から「建速須佐之男命」にするべきだ…っていう話になるから。

例によって理由は不明だけど、どうしても、素戔嗚尊じゃないとイヤなの。

ていうか、うちのパソコン、そっちじゃないと変換してくれないんだけど。

須佐之男命って打とうとすると、なんか知らんけど一文字ずつ出さないと打てないよ。

もう、そっちは使わなくていいってことじゃんね。

 

古事記日本書紀、どっちがどうで、何がどうだ…なんて、知らないけど。

文字の表記については、妙に、「これじゃなきゃイヤ」感が強いのだ。

まあ…結局のところ、そもそも漢字表記は後付けの当て字みたいなものだけどね。

 


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