旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

呪いに呪われたままでいるのか、いないのか。反応した時こそ、ただ拒否するよりやることがある

誰かの言葉とか、文章とか、歌とか、写真とか、絵とか。

いろんなものが、刺激になる。

何がどんな刺激になるかは、自分次第。

 

それは、「そのモノ」のせい...というよりは。

自分の中にある、そこに反応した記憶や感情の賜。

 

同じものを見ても無反応な人間もいる。

世の中の全員が、自分と同じような反応をするわけじゃない。

 

バックボーンが違うとか、環境が違うとか。

そんなことを挙げてみて、反応しない人と自分とでは全然違う...と言いたくなるのも確かにそうだろう。

けれど、「自分と全一から百まで同じ他人」など、この世のどこにも、いはしないのだ。

 

全員が、違った環境で、違ったバックボーンを生きている。

それらが似通った人同士は、確かに、似た反応を起こしやすいとは言える。

そして、似通った人同士は、近いところにいる確立も高い。

そうした「半径5M圏内」の事情を見て「ほら、みんなそう思ってる!」て判断するのは、ちょっと待て。

 

その反応を、当然として。

そこにあるものを、当然として。

みんなも当然そうだと、認識して。

 

「そのことを、更に自分に定着する」

 

それは、あなたが忌み嫌う「呪い」を、より強化しているだけだ。

 

 

せっかく反応したのだから。

その反応の奥底に何があるか...ってことと向き合ってみればいい。

 

あそこがおかしい、性別が違う者がなりきれてないからおかしい、目線がおかしい。

そんな風に、相手の非ばかり追求していたって、自分にかかった呪いは解けやしない。

 

その呪いは、誰がかけたか...っていったら。

自分だから。

自分がかけた呪いは、反転させて使うのが一番。

 

 

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生きていく、という過程は、自分で作るしかないのだから。

 

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